日本仏教は衰退の危機にある? 109
ストーリー by hylom
仏教離れと言うよりは寺離れ 部門より
仏教離れと言うよりは寺離れ 部門より
masakun 曰く、
日本の仏教が衰退の危機にあると英紙ガーディアンが報じている(ニュースフィア、The Guardian)。
現在7万7000ある日本の寺院の約4割が、2040年までに閉鎖されると予想されている。その理由のひとつは若年女性(20〜39歳)の地方離れ。これが加速すれば日本の地方自治体の半数が消滅する(日本創成会議「ストップ少子化・地方元気戦略」)。地域コミュニティーが崩壊すれば、檀家の寄付で成り立っている寺院も立ち行かなくなってしまう。
一方寺の大きな収入源は仏式葬儀である。昨年130万人が亡くなった日本では収入源に事欠かないように思えるが、多くの家族が民間の葬儀社で安価で質素な葬儀を出す傾向にあり、お寺の減少を食い止めることには役立っていない。とはいえ「1700年代初め、日本の人口は今よりも1億人少ない3000万人だった。それでも4万6000の寺があったのだ」という指摘もある。つまり寺院の衰退は人口減ではなく、1995年の地下鉄サリン事件以来、組織宗教に対するイメージが悪化している日本人が増えているせいだという調査があるという。
さて皆さんがお持ちの仏教のイメージはどうだろうか。
原始仏教には学ぶところが多い (スコア:5, 参考になる)
本来は「このように生きたら幸せになれますよ」という人生を生きるための教えの集大成で、それ自体役に立つものです。
現代における心理カウンセラーがやっていることは、お坊さんがやっていることと一緒で、したがって動くお金の規模は小さくなってもニーズは無くなることはない。
私は「ギャバン教」の信者で、たとえば「若さってなんだ?>振り向かないことさ」って教文にあります。が、これは仏教の教え「今だけを見よ」と同じことで、こういった役に立つ部分は取り込んでいきたい。
Re:原始仏教には学ぶところが多い (スコア:2)
でも、「在家にも適用される」戒律・教義ならともかく、「出家するのが前提」の戒律・教義を俗世間に居るままやろうととすると、どっかで無理が出ると思う
# 例えば「断捨離」とか言うなら、まず、捨てるべきは、俗世間と家族じゃね?? とか思ったり
Re:原始仏教には学ぶところが多い (スコア:3)
ただ各種宗教の「人生ガイド」を取捨選択して参考にすればいいかと思います。
Re:原始仏教には学ぶところが多い (スコア:2)
いや、でも、それって、「なぜ、そう云う戒律が必要か??」「なぜ、そう云う教義になってるか??」とかをネグって、「宗教の教義・戒律の内、自分に合った所だけを、つまみ食い」って事じゃないんですか??
まぁ、それが悪いとは言い切れないけど……
Re:原始仏教には学ぶところが多い (スコア:2)
申し訳ないが、「ギャバン教」は、知りませんでした。
ただ、原始仏教に学ぶところは多いにしても指摘は、現代の仏教。
まあ、欧米のキリスト教と共に(要出典)、衰退してるのでは無いでしょうか。
あ、
> 人を扇動するツールとして使われてなかった純粋な時代
これは違うと思う。当時はそうだったのではないか、
時代と共に、廃れ、更新されたのではないか (要出典)
Re:原始仏教には学ぶところが多い (スコア:2)
イスラム教がらみでは「アラーのために」と、「死ぬことを恐れない兵士」とかなんかだそうで(戦争名は忘れました)、キリスト教は十字軍? 日本では「僧兵」ってありましたね。
これは「最近」のことで、ブッダやキリストが生きていた生まれたばかりのころは純粋だったと思います。
Re:原始仏教には学ぶところが多い (スコア:2)
もちろん学ぶことは多いけど、そういうことを教える役割だったり癒やしを与える役割だったりをギャバンやカウンセラーに奪われて寺院は閑古鳥って話でしょ
ネットにいろいろ奪われて新聞やテレビなどの旧メディアが斜陽なのと同じ話かと
Re:原始仏教には学ぶところが多い (スコア:2)
思い出したのでついでにメモ。
「振り向けば小さな昨日、目を開ければ無限の明日」はメタルヒーロー教ジャスピオン宗派。
Re:原始仏教には学ぶところが多い (スコア:1)
今現在“初期仏教”“原始仏教”として伝えられているもの自体が、ゴータマ・シッダッタ(釈迦)の時代(実在していたとすれば)より
100~200年以上の後に作られたある種のファンタジー、1つの解釈をする宗派集団によって作られたというのが一般的な理解なので、
仏教が宗派化される以前のオリジナルである(オリジナルに近いかどうかも、現在わかるのは“その可能性はありえる”までです)、
それゆえに価値があると考えられているのであれば、期待にそぐわないのでないかと思います。
いずれにせよ個人的に仏教の価値は、大乗、密教、チベット仏教、禅、念仏、法華信仰、近代教学に至るまで、
2000年以上にわたって多数の仏教者によって思想や信仰が生み出されてきた、その圧倒的に豊かな土壌にあると考えているので、
オリジナルに近いか、近くないかというのはあまり気にしないのですが(それこそ純粋な信仰の領域に入ります)。
Re:原始仏教には学ぶところが多い (スコア:3)
ITを例にすればプロジェクト管理やらテスト手法に関して多くの人々が何十年もかけて研究を重ねて「このやり方が効率がいい」と、今現在ベストな方法を編み出して、たった数千円で買える本として公開されているのに買わず読まず、自分で失敗を重ねて時間を無駄にするのは凡人です。
失敗も人生の一部とはしつつ、「このようにすれば平穏に幸福に暮らせる」という数千年かけて多くの頭脳を消費して練られた指南書(あるいは土壌)があり、短い人生の中でれを享受しない手はありません。
組織宗教に対するイメージ悪化? (スコア:4, すばらしい洞察)
> つまり寺院の衰退は人口減ではなく、1995年の地下鉄サリン事件以来、組織宗教に対するイメージが悪化している日本人が増えているせいだという調査があるという。
どういう調査か知りませんが、これはちょっと的外れではないかなあ。
多くの日本人には旧来からある宗教といわゆる「新興宗教」との間に明確な線引きがあって、地下鉄サリン等で強化されたのは「やはり新興宗教は怪しくて危険なものだ」という意識だと思うんだけど。
ってか、あれ以来近所のお寺さんのイメージが悪くなったなんて人いないでしょ?
Re:組織宗教に対するイメージ悪化? (スコア:1)
どういう調査か知りませんが、これはちょっと的外れではないかなあ。
多くの日本人には旧来からある宗教といわゆる「新興宗教」との間に明確な線引きがあって、地下鉄サリン等で強化されたのは「やはり新興宗教は怪しくて危険なものだ」という意識だと思うんだけど。
そうですね。ただ、911でも「宗教は怖い」と思った日本人は多いと思います。むしろ「宗教をまじめに信じている人は何を考えているか分からないから怖い」か。
多くの日本人はこれからのシーズン「クリスマスを祝って、門松を飾って、除夜の鐘を聞いて、神社かお寺かは交通の便や混み具合で判断して初詣に行く」という、宗教的にまじめな人には理解しがたいであろう行動を取ります。宗教に対するそういう態度に、オウムごときが影響しているとは思えません。
Jubilee
Re: (スコア:0)
「近所の坊さん」とか「お参りにいく寺社仏閣」に対するイメージは変わらないけど、
「宗教全体」に対する忌避感は増えたかもしれませんね。
生活に溶け込んだレベルのは嫌わないけど、ある程度以上強い関与・変化は嫌う、みたいな感じで。
法事でお布施して正月にお賽銭なげて鳥居を見たら「これで十万円くらいならオレでも建てられるかな」とか考えておきながら「宗教に金を奪われる奴はバカだ」とか言っちゃうのが居るのが日本人だし(前者は対価、後者は搾取、みたいな感覚)。
要は魅力が無くなったってこと (スコア:3, 興味深い)
安易に葬式仏教に堕して長年サボっていたために、魅力が無くなってしまったということでしょう。
「お布施しなきゃ」って思うアイドルやガジェットはあるが、坊さんはいないと。
昔の坊さんは日々地道な活動をしていたものです。売り出し中のアイドルのように。
Re:要は魅力が無くなったってこと (スコア:1)
> 売り出し中のアイドルのように。
ニコニコ動画には蝉丸P [nicovideo.jp]という方が居りまして……
Re:要は魅力が無くなったってこと (スコア:2)
やっぱ仏像これくしょん作った方が良いのかもなあ
Re:要は魅力が無くなったってこと (スコア:1)
剃髪した女体化したキャラの頭蓋骨の形の美醜にこだわる観賞体験
をも大事にしてほしい…
ちゃんと経営しているお寺さんやお神社さんは二世代三世代とか (スコア:0)
余っている地所に大きなマンション建築とかにして分離、
または向こう三軒両隣の細かな地所を買収してまとめて
駐車場+墓所の拡張とかとか、後継ぎの後継ぎまでの二世代、
三世代まで同居や近所に建てて、色々とやって集金して
頑張ってますよ(走召糸色木亥火暴)
"castigat ridendo mores" "Saxum volutum non obducitur musco"
Re:ちゃんと経営しているお寺さんやお神社さんは二世代三世代とか (スコア:4, おもしろおかしい)
もう20年くらい前なのですが、京都の中心街の寺が改装してビルになり最上階に本堂ができました。
よくある話で、まあそれも情緒がなくなってどうなんかなとも思ったのですが、それよりも何よりも下の階がチェーンの巨大な居酒屋になったのはびっくりしました。
いや、そこは建前だけでも戒律を尊重しようよと思いました。
葬儀はドーピングだと思う (スコア:1)
今よりずっと人口が少なかった時代に檀家の寄進で成り立ってたはずが、今では危機に瀕してるってことは、
そんな大金を継続的に突っ込める層がいなくなったって方が大きいんじゃないですか。
宗教への不信感というより、目に見えるメリットがないところには金を出さない、ってのが徹底されたような。
とは言いつつ、ニセ科学ネタに金突っ込みあまつさえ【布教】にいそしむような人らもいるわけで、
人間の心理は難しいですなぁ。
Re:葬儀はドーピングだと思う (スコア:1)
昔は寺社が地域の人の情報を握っていたりして近辺の調整役も請け負っていたそうだけど、今はもうそう言う役割も権利も無くなって影が薄くなりすぎたんじゃないすかね。
地域の寄り合い所だったり、寺子屋というか知識を学ぶところだったり修養の場でもあったはずだけどそういう役目も無くなって葬儀くらいしかやってないところが多そう。
人口が減少している山間部とかだと無人の寺社が増えていて、元々あった仏像仏具などが盗人に荒らされてオークションや海外にどんどん流出してるそうな。
車で全国回って盗んで売りまくって捕まった夫婦の話をテレビでやってたけど、管理者も誰も居ないため盗まれていることにも気がついていないケースが殆どで返す当てもなく博物館で保管するものも多いらしい。
そのうち観光地以外の寺社仏閣は無くなったりして。
Re: (スコア:0)
寺が人を求めて都市部に移動し、寺が遠くなった檀家からの寄進が減って逆効果。
うちの実家が総代を務めている寺がそんな感じです。
都市部に移動したからって檀家が増える余地は今はないし、物理的に寺が遠くなれば通う人も少なくなる。
Re: (スコア:0)
檀家の寄進が減ってる理由として、身近なところではお寺の後継者不足もあるのかな。
少なくとも自分の実家ではそうでした。
以前は法事や寺のイベント等で、それなりの寄進をしてました。
自分が小さいときから住職とは知り合いだし、地方でそれなりに資産がある家なら金を出すのが当然という雰囲気だった。
でも、寺の後継者がいなくて、同じ宗派の見知らぬ人が住職になってからは相当に減ってます。
Re:葬儀はドーピングだと思う (スコア:2, 興味深い)
沢山絡み合ってますよね。
宗教行事への熱心さが失われているのもあるし(法事や墓参りの回数が減ってたり)、
転勤・転地のため永代供養としたり、「地元」と「生活地」が異なるせいで葬儀に呼ぶ人が限られたり、
腐ったり廃棄が大変だから墓へのナマモノのお供え減少、火事になるからロウソクや線香を避けてLED化、
生活地での人の繋がり減少で坊さんは「地元のご意見番」的な地位を失い「あの寺の人に昔お世話になった」という経験も少なく、
金持ちは知らんけど庶民はホント法事と正月(と観光)くらいしか寺を意識してないんじゃなかろうか。
#今信心深い人が少ないのは戦争~高度成長期の間に宗教から心が離れた結果、みたいな気がするんだけど、サリン以降みたいな近年の話なのかなぁ。
#単に信心深い高年齢層がその頃から他界し始めた、とか(特に思いつきであって本気の主張とかではない)
Re:葬儀はドーピングだと思う (スコア:1)
どこ情報よ?それ (スコア:1)
>1995年の地下鉄サリン事件以来、組織宗教に対するイメージが悪化している
>日本人が増えているせいだという調査があるという。
この一文のせいで記事全体の信用度がゼロになった。
仏教のイメージ=ベンツ (スコア:1)
T/O…じゃあまりに、なので
核家族化が進行し、地域土着といった言葉も死語になる昨今、檀家制度下の
寺院の役割が現在担えなくなっている以上寺院が減少するのは当然のことですね
宗教の本質である心の平安を得ること、死後に救われること、これも現代では
説得力というか、訴求力は皆無ですしね…だってベンツ
仏教衰退、本当の理由が明らかに (スコア:1)
それは巫女さんのような萌え要素がないからです。
ソースは俺の趣味。
Re:仏教衰退、本当の理由が明らかに (スコア:1)
いかりや長介似の女優…というかコメディエンヌって誰になるだろう?
趣味・嗜好の多様化 (スコア:0)
国家や社会がその宗教への帰属を強く求めない以上、殆ど仏教は趣味・嗜好の領域に所属してしまっているので、
その多様化とともにシェアが下がっていくのはまあ当然な気もします。
逆に、衰退はしても消滅はしないとも思いますが。仏教業界で飯食ってない限り、さほど憂慮することでもないのでは。
もともと (スコア:0)
寺社が役所の機能を持っていただけ
だから、檀家として市民を登録していた
宗教が衰退というのはいかにも外人(とくにエゲレス人)らしい表面しか見てない意見
Re:もともと (スコア:2, 参考になる)
役所の機能を持ってたのは教会も同じ。
戸籍も管理したし、裁判だってした。
さらに病院もだし、学業も。
国と国民の間のパイプを宗教が担ってたのは洋の東西を問わないと思う。
Re: (スコア:0)
英紙の記事になっていること自体謎だ。
仏教だけにほっとけ、なんてね。
Re:もともと (スコア:1)
国が教会を運営している国からすれば不思議な現象なんでしょう。
Re: (スコア:0)
フランスだったら謎じゃないのか
Re:もともと (スコア:3, おもしろおかしい)
Re:もともと (スコア:2, おもしろおかしい)
Le 問答ですね
Re:もともと (スコア:2, おもしろおかしい)
どんだけ荼毘に付しても腐乱す、なんてね。
Re: (スコア:0)
だとすると、とっくの昔に衰退してたのに今さら何言ってんだよ、って話ですね。
どっちにしろ寺が繁栄してた頃も、すでに宗教としてはどうでもよく思われたということになるんだし。
Re: (スコア:0)
>「1700年代初め、日本の人口は今よりも1億人少ない3000万人だった。それでも4万6000の寺があったのだ」
ここがまさにそうで、別にみんな仏教に信心深かったわけじゃなくて、
単に幕府がキリスト教徒の炙り出しや、戸籍の管理を寺にやらせるために
寺請制度を利用していただけのことなのです。
もともと宗教は、歴史や法や文化だったので、近代化につれてそれらの機能は分離されていったわけです。
日本に限らず、他の国、宗教でも基本は似たようなもんだと思います。(土着の宗教があるところは別だと思いますが)
Re: (スコア:0)
宗教は基本人の生き死にに係るのが普通というか、そこ(死の恐怖や生にまつわるセックスや愛情などの本能的部分)から生じる事が多く、人の生き死にに係れば戸籍の類や婚姻・相続、そこから家や不動産情報、そして人間関係、また出産、育児、教育、医療などなどへの発展も必然的な部分がある。
#加えて農作と予言から気象学、暦学、天文学等も
それはイスラム教やキリスト教も、シャーマニズムやアニミズムも発展の度合いの違いはあれ、似たようなものかと。
Re: (スコア:0)
じゃあ、あんたが主張したい本質的なことってなんなの?
寺の数が減っても宗教の衰退とイコールじゃないっていうなら
みんなの心の中にあるから大丈夫、衰退してないってこと?
こちらの記事の方が (スコア:0)
こっちの一連の記事見た方が現状がよくわかる
http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20141114/273840/ [nikkeibp.co.jp]
戒名を金で買うシステムをやめようとしないからこうなる。 (スコア:0)
お寺にお墓を作ってそこに入るためには仏門に入る必要がある
↓
仏門に入るためには戒名が必要
↓
お金(戒名代)ちょうだい。
「戒名はあの世での名前」という俗説が流れているけど、(元から戒名代をとっていない宗派は別として)実際のところは上記の論理なので、直葬や散骨などのお墓を持たない葬り方をした遺族には、そのようなお金を払う必要はない。そもそも江戸時代から前は庶民にお墓を持つ習慣はなく、無縁仏として葬っていたのが当然の頃もあったのだから、その時代に戻っただけの話。
#生前、寺の建立や修繕にあたり莫大な財産を寄付するなどを一切していなかった人間が、いざ死ぬ時になってから僧侶に院号を金で求める馬鹿は死ね…… あ、もうすぐ死ぬのか。
Re:戒名を金で買うシステムをやめようとしないからこうなる。 (スコア:1)
>#生前、寺の建立や修繕にあたり莫大な財産を寄付するなどを一切していなかった人間が、いざ死ぬ時になってから僧侶に院号を金で求める馬鹿は死ね…… あ、もうすぐ死ぬのか。
生前って事は既に死んでるやん。
宗教は葬式なのか (スコア:0)
宗教を精神的なものと見ると、仏教を知らずに葬式をやってる日本人は、特に仏教徒でもないでしょ。
となると、葬式が寺から葬儀屋に移っただけで、宗教的には何も変化はないのでは。
でも、実際は宗教って習俗とか習慣に近い。
だからこそ、いくつかの国で調べると、イスラム教が95パーセントだったり、キリスト教が90パーセントだったりする。普通に選択肢が複数ある調査でこんなことない。選挙で90パーセント超えるのは北朝鮮とかだろ。
なので、今起きてるのは、宗教的な変化でなく、習慣の変化だろ。
幼稚園という存在 (スコア:0)
お寺や教会併設の幼稚園に通ってた、という人でも
近くにあったから、とか、評判がいいから、という理由で
信者/信徒だから、という理由で通ってた人って少なそう
# もちろん、信者/信徒以外はほぼ通ってないようなところもあるのは知ってますが
こんなサービス (スコア:0)
Re:だがしかし、真の仏教的生活者は増えている (スコア:2)
いや、
俺の嫁が多数いて、
清貧で質素かもしれないけど大量のグッツにまみれ、
更には108個どころじゃない煩悩に従って生きているので、
アレは仏教的生活者ではないかと。
Re:だがしかし、真の仏教的生活者は増えている (スコア:1)
捨てるのは修行法の一つ、高い山を登るルートのうちの1つにすぎないので、
あえてグッズに囲まれ出たら買っちゃう生活を続けつつも「これはこれで」「コンテンツが終わってしまうならそれもあり」とするのも一つの悟りの姿ではあります。
所詮複数の生涯という長い修行のなかのひととき、グッズを拒むことが徳を積む行為なのか業を背負う行為なのか誰が断言できよう。
(生産過程で犠牲になる人が、とかそういうのは別問題、必要あらば批難や拒否などするとして)
「捨てねばならぬ」「苦行をせねばならぬ」というのもまた一つの拘りにすぎぬのだ。
しかしまあ、飾りもしないガチャやキャッチャーで好きでもないキャラの置物とってきたりするのはやめたほうがいいかな。燃えない・萌えないゴミになるだけだしな!