2020/02/19 - 2020/02/19
63位(同エリア532件中)
SRさん
この旅行記スケジュールを元に
この日はついにエルサレム旧市街を歩きます。
この国を訪れる多くの巡礼者にとってそうであるように、今回イスラエルを旅する目的はエルサレム、とくにこの旧市街にありました。
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Coffee Nadi
今日はこの旅前半の目玉。気合を入れて、カフェでイスラエル風の朝食をとる。 -
クリームチーズ、ドライトマト、ジェノベーゼ、オリーブ、ジャム、バターなど。
一番感動したのはチーズで、クリームチーズって本当にクリーム状なんだ!(そこかよ) -
I Love Jerusalem
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ヤッフォ門から旧市街に入る。
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ヤッフォから来た巡礼者がここに至るのでヤッフォ門と呼ばれる。現在の門はオスマン帝国時代のもの。
ヤッフォ門 建造物
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ダビデの塔
ヘロデ王、ローマ帝国、オスマン帝国それぞれの時代に継ぎ足し補強されてきた城壁は、5世紀ごろから旧約聖書の雅歌4章4節にちなんでダビデの塔と呼ばれるようになった。ダビデの塔博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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入場料(40シュケル)払って入る。
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塔の頂上から、旧市街が一望できた。
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発掘された中庭とオスマン帝国時代のミナレット。
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エルサレム旧市街の模型。
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中は博物館になっていた。
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岩のドームの模型。
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聖ヤコブ大聖堂
アルメニア人地区を通ってシオンの門を目指す。聖ヤコブ大聖堂 寺院・教会
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聖マルコ教会 寺院・教会
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カルド
ローマ時代の大通り。カルド 史跡・遺跡
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シオンの門から一旦外に出てみた。
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門の中。
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シオンの丘に通じることからシオン門と呼ばれる。
現在の門は16世紀のもので、第一次中東戦争では激戦の舞台となり、残されたユダヤ人を救出しようと義勇軍がこの門から突入した際の生々しい弾痕が今も残る。シオン門 建造物
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イチオシ
マリア永眠教会
1910年にシオンの丘に建てられた、ロマネスク・リバイバル様式の比較的新しい教会堂。マリア永眠教会 寺院・教会
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アプスを飾る非常に美しい黄金のモザイク。
これは第二次大戦の初めにマリア・ラーハ修道院の修道士によって作られたが、下部に設置される予定だった大理石の板は、戦争によってドイツから移送することができずに空襲により破壊されてしまった。 -
どこかからの巡礼者たちが歌うコーラスが響き渡り、何とも言えない美しさ。
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イチオシ
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イスラエルの十二支族。
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「唯一無二の三位一体」と書かれた床のモザイク。
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イエスを抱くマリアと、ベネディクト修道院の聖人たち。
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地下のハンガリー礼拝堂のモザイク。
王子イムレ、イシュトヴァーンI世、ラースローI世、 ポルトガルの聖エリザベト。 -
イエスと十二使徒。
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正教会がルーツの生神女就寝の構図では、マリアの魂が赤子の姿でイエスに抱かれている。
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地下には、桜材と象牙で作られたマリアの像が眠っていた。
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いやー良いものを見ました、心の肥やし、目の肥やし。
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ダビデ廟
その近くにはダビデの墓と呼ばれる所があった。ダビデ王の墓 史跡・遺跡
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ただ、集団礼拝者たちと、ごっちゃになってしまいよく分からず。
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二階は最後の晩餐の場所とされる部屋がありますが、まあ別にいいでしょう。
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ニワトリ、この方角。
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鶏鳴教会
有名なエピソード「ペテロの否認」があった場所に建てられた教会。鶏鳴教会 寺院・教会
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ビザンチンのモザイク
この教会は457年にビザンチン帝国によって建てられ、1010年にファティマ朝によって壊され、1102年に十字軍によって再建され、その後廃墟となり、1931年に再建されたもの。 -
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糞門を通って再び城壁内へ。
1952年にヨルダン、1985年にイスラエルによって車両が通れるまでに拡張されたこの門は、16世紀にオスマン帝国によって造られた当時はムグラビ門と呼ばれる小門だった。
19世紀になると、ユダヤ人たちから糞門と呼ばれるようになった。おそらくはネヘミヤ記に見られる、神殿からごみをヒンノムの谷に運び出すために使われていた門にちなんでいる。糞門 建造物
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神殿の丘の上に建つアル=アクサー・モスク。
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嘆きの壁
金曜の日没から土曜の日没までは撮影不可のようです。
他にも常時ラフな服装などに制限があるようです。
なお、この仕切り板の右側が女性、左側が男性用となっています。嘆きの壁 史跡・遺跡
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この壁は、下から7段がヘロデ王によるもので、次の4段がウマイヤ朝、その上の14段がオスマン帝国時代、最後の3段が1967年のもの。
エルサレム神殿は、ソロモン王により築かれバビロン捕囚により破壊された第一神殿と、ヘロデ王により拡張されユダヤ反乱でローマ帝国により破壊された第二神殿とに分かれている。
このうち第一神殿は考古学調査によって地下から発掘されていますが、見学には予約が必要。 -
貸出用キッパ
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イチオシ
嘆き、と表現したのはユダヤ人自身ではなく、アラブ人や他の人たちから見て、ということのようです。
少なくともイスラエル国家が再建され、エルサレムが首都と自認できるようになった今、この壁の前で捧げられる祈りは「嘆き」という感じではないように思われました。 -
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アル=アクサー・モスク
神殿の丘に登りたいのですが道が見つからず。よく調べたら営業時間外だった。また後で来ることにしよう・・・。アル アクサー モスク 寺院・教会
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また同じ門から南へ抜ける。
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オリーブ山
今度は東側にあたるオリーブ山にやって来ました。旧市街の中心をあえて通らずに回り込んでいるのは、今後のストーリーの繋がりを考えてのことです。オリーブ山 山・渓谷
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エルサレムの城壁
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聖母マリア墳墓教会
先ほどの「マリア永眠教会」と名前が似ていますがこちらはギリシャ正教会で、マリアのお墓とされる場所になっています。マリアの墓の教会 寺院・教会
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イチオシ
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どんどんと地下に入りますが、これ以上は撮影不可のようなのでやめておきます。
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万国民の教会
1924年に建てられたローマ・カトリックの教会堂。
イエスが捕らえられる前に祈っていたという岩の上に建っている。万国民の教会 寺院・教会
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ゲツセマネの園
イエスはユダの裏切りを予言しますが、そのユダに手引きされた人々に捉えられるまでの間、ここで夜通し祈り、苦悶し、最後に捕らえられることを受け入れます(ゲツセマネの祈り)。ゲッセマネの園 文化・芸術・歴史
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ゲッセマネは、アラム語で「オリーブの油搾り」という意味だそうで、当時からオリーブの木が茂る地だったことがわかります。
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万国民の教会は、このようにゲツセマネの園を抜けて入る。
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コリント式の柱の上にあるのは各福音書の記者の像。
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このときイエスを捕らえる人々を先導したのは、イエスの弟子のユダでした。
ユダがイエスに接吻をしたのを合図に、イエスは捕らえられます。 -
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イエスが実際に連行されたルートを辿るために、ライオン門から再び旧市街へ入ります。
この門は1538年にオスマン帝国のスレイマンによって建てられ、マルムーク朝を破ったことを記念して4つのライオンの像が彫られたことから、ライオン門と呼ばれます。
また石打ちの刑で殉教したステパノにちなみ、聖ステパノ門とも呼ばれますが、ダマスカス門もまた同じ名前で呼ばれることがあるようです。聖ステパノ門 建造物
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ライオン門から後ろ(オリーブ山方面)を振り返って。
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右に(I)と書かれたプレートがありますが、これがヴィア・ドロローサ、すなわち苦難の道の第一留であることを示しています。
第一留、イエスが裁かれた総督官邸の場所は、事前の情報によればここではなく近くのアラブ人の学校の敷地内のはず。(それがここにあるということは、私有地が巡礼路になっていることが問題になったから?) -
II 鞭打ちの教会
ユダヤ教の祭司や律法学者が差し向けた群衆に捕らえられたイエスは、エルサレムへと連行され、ときのユダヤ総督ポンテオ・ピラトへと引き渡されました。
ピラトの下で有罪となったイエスは、十字架につける前にここで鞭打たれます。鞭打ちの教会 寺院・教会
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イエスが被せられたいばらの冠が、ドームにあしらわれていた。
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第二留のプレート。
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ガチの人用のいばらの冠。
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ヴィア・ドロローサ
ヴィア ドロローサ 散歩・街歩き
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エッケ・ホモ・アーチ
イエスの死後まもなく起こったユダヤ人の反乱がローマ軍によって鎮圧されると、度重なる反乱の原因がユダヤの信仰にあるとみたローマ帝国によってエルサレムは破壊され、跡地はローマ植民都市アエリア・カピトリナとなり、ユダヤ人が住むことさえ禁止されました。
これは、この街がアエリア・カピトリナだった時代にハドリアヌス帝によって造られたアーチの名残です。 -
後ろから。
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エッケ・ホモ教会は、フランス人のマリー=アルフォンス・ラティスボンヌがこの地を購入して修道院を始め、その中に1858年から1862年にかけて建設された。
エッケ ホモ修道院 寺院・教会
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その名の通り、ポンテオ・ピラトがイエスを指して「エッケ・ホモ」つまり「この人を見よ」と発言した場所の上に建つ教会とされます。
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イエスが繋がれていた地下牢、という場所があった。
Prison of Christ by the Greek Orthodox 寺院・教会
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ギリシャ正教のプラエトリウム
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このとき携帯電話の電波が謎の不調を起こしたため、記憶だけを頼りに巡礼路を辿ることを余儀なくされています・・・。
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III アルメニア教会
アルメニアン カソリック教会 寺院・教会
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1856年に、十字架を背負うイエスが最初に倒れたとされる場所に建てられた教会。
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IV 苦悩の母マリア教会
苦悩の母マリア教会 寺院・教会
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イエスが悲しむ母マリアと会った場所とされます。
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V キレネのシモン礼拝堂
ここでキュレネから来たシモンに十字架を運ぶのを手伝わせたことに由来しています。シレーネのシモン礼拝堂 寺院・教会
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力尽きてしまって進まないので、その辺の田舎者に手伝わせた(そして歴史にその名を刻んだ)、といった所でしょうか。
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これは、イエスが倒れこむときに壁にめり込んだ手形と言われるもので、礼拝堂の出来る前の第五留の目印でした。
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この辺は巡礼者も増えて、お土産物屋も賑わってきました。
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VI 聖ベロニカ教会
イエスが癒やした人の中にはかつて長血を患っていた女性がいましたが、その女性がここでイエスの顔を布で拭い、その布に顔が浮かび上がったとされる場所。その女性はカトリックと正教会では聖ベロニカとして知られ、そのときの布が聖骸布です。
(下にある石柱が目印なのですが、知らずにプレートしか撮っていないという・・・)聖ヴェロニカ ギリシャカトリック教会 寺院・教会
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VII イエスが2度目に倒れた場所。
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VIII
イエスが
「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい。」
と言った場所。これも、本来下に石があります。 -
だんだん、聖墳墓教会に近づいてきました。
聖墳墓コプト教会 寺院・教会
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IX 3度目に倒れた場所
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聖ヘレナ聖堂の屋根
ミラノ勅令によってキリスト教が公認されると、320年ごろ皇帝コンスタンティヌスの母ヘレナが最初の巡礼者となりました。そのとき十字架の破片や釘が発見されたのがこの場所。 -
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この細いところに入っていく。
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聖墳墓教会
聖墳墓教会 寺院・教会
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X 衣服が剥ぎ取られた場所
この右側の塔です。 -
聖墳墓教会はキリスト教最大の聖地で、現在は主にローマ・カトリック教会、ギリシャ正教会、アルメニア使徒教会、コプト正教会、シリア正教会が管理している。その管理をめぐっては宗派争いが絶えず、かつて多くの部分を占有していたエチオピア正教会は、勢力争いの末に追い出されてしまった。
1187年に聖地奪還を果たしたサラディンは、争いを止めるためにある奇策を思いついた。それは鍵をキリスト教徒ではなく、あるムスリムの家に委ねるというもので、それ以来800年余、鍵は代々誠実に管理されていて、鍵をめぐっての宗派争いもなくなったという。 -
このようなランプの一つ一つにも宗派ごとに管理権が決められているという。
カトリックは前後の2つ。ギリシャ正教会は4つで、上の卵が金色。コプト正教会は1つ、という具合。
「聖地の果てなき縄張り争い」というドキュメンタリーでやってました。 -
ルートらしきこちらの階段に向かう。
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すり減り具合がすごい・・・まさに歴史的な階段。
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ここから全く前に進まなくなりました。
そして、あえて撮らないようにしていますが、油断していると人の頭しか映りません。 -
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前に第十一留の場所が見える。
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アブラハムが神に息子を差し出す場面(イサクの燔祭)。
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XI 十字架に釘で打ち付けられた場所
福音書によると、イエスが十字架にかけられたのは午前9時ごろだった。 -
列はどうやら、イエスの十字架の場所へと続いているようです。
私は他にもまだ回る予定なので、抜けて先を急ぎます・・・。 -
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午後3時ごろになって、イエスは
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
と叫びました。これは詩編第22編の冒頭部分と同じものでした。
「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。」
こうしてイエスは息を引き取りました。 -
XII イエスが死んだ場所
先ほど抜けた長蛇の列はここに入るためのものでした。中に、十字架が立っていた場所を示す銀のくぼみがあり、信徒はそこに触れて祈りを捧げます。 -
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亡くなったイエスの遺体は、当時のユダヤ人の慣習にしたがって清められ、香油を塗られて布で覆われました。
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XIII イエスに香油が塗られた場所
イエスの遺体が横たえられたとされる塗油の石。
信徒は自前の香油をこの石に塗っては布で拭き清め、その布はここに来られなかった信徒にも恵みをもたらすと信じられています。 -
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エディクラ
もう一つの長蛇の列は、この中にあるイエスが葬られた棺に触れるためのものです。
イエスはその後復活して天に昇ったと信じられているので、すなわち中には何もありません。ここは、そのことを確認するための場となっています。
この聖堂は何度も破壊されていて、今のものは1810年に再建されたものです。 -
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XIV イエスの墓
これにて、ヴィア・ドロローサの終わり。 -
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イチオシ
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というわけで、キリスト教最大聖地でした。
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さて、嘆きの壁に戻って神殿の丘に登ろうと思ったら、今度は午後の公開時間が終わっていた・・・。
果たしてエルサレムまで来て岩のドームを見て行かない人っているの?
いますよここに・・・(涙) -
アラブ人地区のスークを抜ける。
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エルサレム旧市街の北の門、ダマスカス門へ。
ダマスカス門 建造物
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時計の針は午後3時ごろですが、残りの時間でベツレヘムに向かいます。
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