元記事にレスをもらうと、その返答の冒頭に必ず
ふーん。
とつけてから発言する人を、「ふーんさん」と心の中で呼んでいたことがあるよ。
最近見ないなあ。あれは同一人物だったのかなあ。
初潮だったのではないかと。
で、結構量が多かった。と。
なんていうか、この程度のことを話題にしてほしくないですよね。
先生がこういう話題を出すことに幻滅というか。
またお前か、また例の人か
みたいな感じで
一体誰と勘違いしてるんだろう
気に入らない書き込みをする人は全部同一人物だと思ってると言うこと?
本気で思ってるのかうすうす気づいてるけど嫌いな奴がたくさんいると言う現実は認めたくないからそう思い込もうとしてるのかはわからないけど
「メディアが騒ぎすぎじゃないですかね」みたいに自分達がしてることにもかかわらず、まるで他人事のような表現をよくするよね。「我々が騒いでいますが、もう少し自重します」と言い直すべき。
22歳くらいから、体つきが変わってきている。
もうこれから年を重ねるにつれて、太ったりたるんだりしていくばかりかと思っていたんだけど。
妙にいやらしい。鏡に映った自分を見て、ときどきそう思う。
胸は小さいながらもだんだんと丸みを帯びて、やわらかい感じになってきてるし、
腰も以前に比べてやたらと目立つ。
最近は、たるんでばかりいたおしりがきゅっと上がってきて、形がよくなった。
BMI21あたりの、太めで色気のかけらもなかったわたしが、こんな体になるなんて。
まだ誰とも付き合ったこともなくて、もちろん処女で、恋愛至上主義にもなれず、
数年の周期で現れる好きな人とも全然うまくいかない、わたしが。
女として成熟してきているんだろうな、と思う。もう2回目の年女だもの。
種を残す、という、生物に仕組まれた使命を果たそうとしているんだろうな。
今のところ、男性の目に付くこともないこの体は、何の役にも立たない。もてあましている。
この書き込みをした人は頭がおかしくなっているとしか思えない。
常軌を逸している。
文を読んでいるだけで明らかにまともじゃない空気が伝わってくる。
オタクじゃなくても裸体を人体の基本として練習するものだよ。
まともな書き込みはこれだけじゃん。
やっぱりか。きちがいは家の中にいるという共通認識があって良かった。
その家の中の人達が
おっちゃんがきちがいになるまで石をぶつけまくっていた姿を見た。
死にかけているのもその人達に殺されかけてるっぽかった。
むごすぎる。
これ確かに!!!と思った。
変に正義感振りかざしてる形になってたかもしれない。
やっぱ匿名でやっててよかった。
ひどい行為だったなーやっぱ。
けど、父ちゃんが外に出て行っていいなんていったらもっと問題で。
石はどこかにぶっとんでったんだからまぁーしゃーない。
つか、きちがいはどうしようもない。石を投げるポーズをするのが精一杯なんだから
プラグマティックという点ではもうすでに達成できてるでしょ。
今や日本の製造業はほとんどを中国生産にしてるし、中国人のかなりの割合いが日本語をある程度できる。全日制の日本語学校があるからね。
でも腹の中では日本なんか嫌いなんだよ。それなのになんで日本語勉強するかっていうと取りあえず儲かるから。だからがつがつする必要のない金持ちは日本語なんか見向きもしないで英語づけだし。
そういう「腹の中の感情はおいといて、取りあえず経済的な理由で関わっていく」というのを実利主義と解釈すれば、お互いすでに達成してると思う。
むしろ日本側に「本音と建前が一致しないのは日本人の悪いところ。経済的に関わるのであれば心の中でも中国を好きにならなきゃ」くらいの潔癖性的な強迫観念があるんでない?
ここ1年くらい、Chikirinという商品について結構「ヤバイ感じ」がしますよね。やばいってのは「なくなるんじゃないの?」ってことなんだけど。
自分自身のコトを考えても、今乗っているものをもう一回くらい乗り換えるかなあ、という感じ。それで「個人でChikirin買う」のは最後になるかもと思います。その後は、買うのは別の商品(別のコンセプトの商品)になるんじゃないかという気がする。
ええっと、まずはおことわりを。増田はアルファBlogの人でもなく、その分野に詳しい訳でもありません。なので今日書くのは、単なるBlogのイチユーザーの感想に過ぎません。
さて、なんでそんなふうに思い始めたかというと幾つか理由があって、
(1)周囲の人でBlogしか使わない人が結構増えている。
(2)自分自身もChikirinの用途がすごく限定的になってきた。
(3)Chikirinの代替品的な商品が実際に出てき始めている。
という3つ。
なにそれこわい。
草なぎさんの逮捕とその後の自宅の捜索については,多くの人が疑問を持つところだ。
下の記事でも明確に疑問が呈されている。
http://www.the-journal.jp/contents/yamaguchi/2009/04/post_63.html
しかし,今回の件で問題があるのは警察やメディアの姿勢ではない。
問題は裁判所にある。
家宅捜索までするのはおかしい,と誰もが感じたことと思うが,この「家宅捜索」は警察が勝手にできるものではない。
裁判所に捜索差押令状を請求し,これが発されてはじめて許されるものなのだ。
ということは,この令状を発した裁判官がいるということだ。
公然わいせつの常習性を解明するために自宅を捜索するというのは常識的に考えておかしい。
常識が許さないことは法も許していないはずだ。