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2025-01-16

俺の祖母コンピューターおばあちゃんだった

 俺がまだ幼かった頃、周りの大人たちはよく「近頃の技術はすごいなあ」とか「昔とはえらい違いだ」と口々に言っていた。けれど、そんな大人たちを尻目に、さらに先を行っていた人がいる。それが俺の祖母——通称コンピューターおばあちゃん”だ。これは、俺が子どもの頃に祖母と過ごした日々や、彼女が残してくれた大切なものについての回想録。今は亡き祖母への想いを、ここに綴りたいと思う。

1. 祖母と呼ぶより“コンピューターおばあちゃん

 俺がまだ物心ついたばかりの幼稚園児だった頃、祖母はすでにパソコン自在に使いこなし、テレビラジオ流れる新しいテクノロジーニュースには目を輝かせていた。家には分厚い辞書百科事典が何冊も並んでいたが、さらに机の上には最新のパソコン雑誌や科学雑誌、果てはプログラミング関連の本まで置いてあった。幼い俺が「あれ何?」「これどうして?」と尋ねると、祖母はまるで電子辞書のように即座に教えてくれた。当時の俺にとって、難しい用語祖母解説にかかれば、スッと頭に入ってくるから不思議でならなかった。

 「コンピューターおばあちゃん」は、子ども向けの音楽番組みんなのうた」で流れていた歌のタイトルそのままだったが、俺にとってはその呼び名のもの祖母の姿を表していた。機械に強く、知識に溢れ、しか子ども相手にやさしく噛み砕いて教えてくれる姿は、歌のイメージのものだったのだ。たとえば、俺の住んでいる町が他のどの町より暑かった日に、「なんでこんなに暑いの?」と尋ねると、「それはね、地球の自転と公転、それに加えてこの町の地形が影響していてね……」と、クーラーの効いた部屋でわかりやすく教えてくれる。さらパソコンを立ち上げ、天気予報の画面を見せながら「この等圧線と高気圧の動きがね……」と続けるのだ。幼稚園児の俺でも妙に納得してしまったのを覚えている。

2. 図書館よりも頼りになる知恵袋

 祖母知識の幅はとにかく広かった。歴史地理科学文学芸術、果てはゲームまで。どんなジャンル話題を振っても、少なくともある程度は知っている。まるでいくつもの電子図書館」が頭の中に入っているようだった。まさに子ども番組で言われる“コンピューターのように何でも知っているおばあちゃん”であり、俺はいしか自然彼女をそう呼ぶようになった。

 人間誰しも得手不得手はあるはずだが、祖母は「知らないものを知らないままにしておくほうが、私には合わないんだよ」と微笑んでいた。だから気になることがあれば何でも調べ、またはパソコンを使って検索する。俺が「ゲームセンターで見た変な機械、あれは何?」と聞けば、それがどんな仕組みの機械なのか、どのメーカーが作っているのかまで丁寧に教えてくれる。さらには「いつか一緒にゲームセンター行って、じっくり観察してみようか」と、学びの場として遊びに誘ってくれた。その姿勢はいつも驚かされたし、また「大人ってこんなに遊び心があっていいのか」と思ったものだ。

 大人になった今になって思えば、あれはただの“学問”に留まらない、祖母生き方のものだったのだろう。常に新しいことを取り入れ、面白がり、わからないことを探求する。その姿勢が、彼女の若々しさを保ち、俺たち孫の世代とも自然につながっていられる原動力だったに違いない。

3. 日常を彩る“歌”と“人生レシピ

 祖母はよく鼻歌を歌っていた。その中にはもちろん「コンピューターおばあちゃん」を思わせるフレーズもあれば、ほかの子ども向けの曲や懐メロもあった。俺が小学校に上がる頃には、祖母自作の“歌詞抜粋ノート”が存在し、そこには祖母が好きな歌の一節が手書きで書き写されていた。日付や一言コメントも付いていて、当時の祖母の心境や季節の移ろいが見えるようだった。

 ある日、そのノートを見ていた俺は、ふと「この歌詞意味はどういうこと?」と尋ねた。すると祖母は、歌詞が持つ文脈や背景、そして作詞者の想いや時代性まで話してくれた。まさに“人間コンピューター”の面目躍如である。だが、祖母は決して「理屈」や「知識」だけを語る人ではなかった。必ず、そこに自分感想や教訓を加える。「このフレーズはね、人生におけるこんな出来事を思い出すなあ……だから〇〇なときには、こんな気持ちでいるといいのかもしれないね」といった具合に、子ども心にもスッと染み込む言葉をかけてくれた。

 彼女の持つ叡智の素晴らしさは、学校の成績を上げるためだけの“お勉強”とは違っていた。生活人生を楽しむための“レシピ”がそこにはあった。たとえば、落ち込んだ日は「お腹から笑うといいよ」と言って、祖母自身ゲラゲラ笑っておどけてみせる。心配事がある日は「眠る前に紙に書き出すといい。それで一旦置いて寝ちゃうんだ」と、実践的なアドバイスをくれる。どれも祖母自身が実際にやってきたこなのだろう。まるで一冊の辞典のように、そして誰よりも暖かい人生の先輩としての言葉をくれた。

4. パソコン越しにつながる世界

 祖母パソコンを扱うだけでなく、インターネット世界にもかなり明るかった。俺が小学校高学年になる頃には、オンライン海外博物館映像や、世界ニュースを一緒に見たりもした。そこで初めて知ったのは、インターネットが単なる機械的な情報交換の場ではなく、人間同士の交流を広げるための“窓”でもあるということだった。祖母はまさにその窓を巧みに開き閉めしながら、遠い世界を俺の前に見せてくれたのだ。

 「パソコンの画面を通して見る世界は、ただの映像じゃなくて、“人”がいるところなんだよ」と祖母は言った。「画面の向こうにも誰かがいて、きっと同じように息をして、ご飯を食べて、笑ったり泣いたりしている。そこに興味をもてば、お友達になれるかもしれないし、いろんな考え方を学べるかもしれないね」。まだ子どもだった俺にとって、それは驚くほどスケールの大きい話に感じられたが、祖母は「一歩ずつでいいの」と笑った。実際、海外の子どもたちが作ったというWEBサイトを一緒に覗いて、俺が英語がわからなくても、祖母サクサク辞書を引きながら一緒に解読してくれた。その過程がとても楽しかったのを覚えている。

 そんな祖母の探求心に刺激を受け、俺自身ももっと世の中を知りたいと自然に思うようになった。中学生になってからは、祖母と一緒にインターネットでさまざまな情報を探したり、調べ学習資料をまとめたりするのが習慣になっていた。夏休み自由研究でも、祖母が遠慮なくアイデアをどんどん出してくれるから、いつもクラスでも評判の出来になったっけ。まさに“コンピューターおばあちゃん”との共同作業。あの頃の夏休み特別に充実していた気がする。

5. “悩み”も解析? コンピューター越しの優しさ

 祖母機械だけでなく、人間の心にもとても敏感だった。そんな祖母に“悩み”を打ち明けると、まるでコンピュータ検索をかけるように、じっくりとヒントを探してくれた。といっても機械的な冷たいやり方ではなく、温かく、しかときユーモアを交えながら、俺が自分で答えに気づくまで導いてくれるのだ。

 高校生になると、友達関係部活、将来の進路……いろいろな悩みが増え、俺の心は常にモヤモヤしていた。祖母はそんなとき、まず俺の話を黙って聞き、「なるほどねぇ」と目を細めながらうなずく。そして「ここにデータがあるとしたら、どんなふうに整理する?」と、まるでコンピューターフォルダ分けをイメージさせるような問いかけをするのだ。「まずは心配事をカテゴリごとに分類してみよう。友達とのことは友達フォルダ、将来のことは将来フォルダ、と。そこからもっと細かくファイルに分割して、どれくらいの優先度があるか考えてみるんだよ」と。

 そんなふうに、一見堅苦しそうな“整理術”を教わるうちに、俺自身の頭の中もすっきりしてきて、不思議問題が大きく見えなくなっていった。「つまり人生って、ひとつの巨大なデータベースみたいなものかもしれないね」と祖母は微笑む。「たくさんの情報がごちゃごちゃに入っているときは、まずはちゃん仕分け検索やすいようにすればいい。大事なのは、どうタグ付けするか、そしてどのデータが今の自分にとって本当に必要かを見極めること」。それは小難しそうな言葉だけれど、祖母の口から語られると、なぜかすんなりと腹落ちした。まるで大きなやさしい手で、俺の悩みを丸ごと包んでくれているようだった。

6. そして別れの日

 俺が大学に進学してしばらくすると、祖母は少しずつ身体の不調を訴えるようになった。ただ、それでも祖母知的好奇心は衰えず、入院先でもタブレット端末を使いこなし、看護師さんたちと仲良くなっていた。担当のお医者さんが口にする専門用語もほぼ理解できるし、わからないことはすぐに調べる。周りの家族心配そうに「無理しないで」と言っても、「何もしないでボーッとしてるより、私にはこっちのほうがずっと元気が出るんだよ」と笑っていた。

 そんな祖母の容態が急変したのは、俺が大学四年生の夏だった。夜遅く病院から連絡を受けて駆けつけると、祖母はベッドの上で小さく息をしていた。もう思うようには口がきけない状態だったが、俺を見て微かに笑ってくれたように見えた。その笑顔はまさにいつものコンピューターおばあちゃん”の面影で、俺は涙が止まらなかった。

 祖母はそのまま、静かに旅立った。最後まで、頭の中にはきっといろんな知識や、俺たち家族への思いが溢れていたのだろう。「みんなのうた」で聴いた“コンピューターおばあちゃん”は、まさに祖母のものだった。お別れは悲しかったが、祖母が教えてくれたことは俺の胸に深く根を下ろしていると実感した瞬間でもあった。

7. 祖母が残してくれたもの

 葬儀が終わり、祖母の遺品を整理していると、昔家族で撮った写真ノート、そして祖母パソコンが出てきた。パソコンの中には、家族写真データ日記のようなファイルさらには雑多なフォルダに分けられた学習ノートデジタル版が保存されていた。そこには祖母自身が調べてまとめた、さまざまなジャンル知識や観察メモがあって、見ているだけで祖母と会話しているような気持ちになった。

 そのファイルの一つに「大切な人たちへ」とタイトルがつけられたテキストがあった。開いてみると、そこには「私が得たものは、すべてあんたたちに残していくから、どうか自分の好きなように使ってほしい。知らないことに心おどらせるのは、本当に素敵なことだよ。これからもずっと、学びを楽しんでね」というような内容が書かれていた。文章を読み終えたとき、俺は思わず涙が零れ落ちた。そこにはいつも笑顔知識を授けてくれた、あの祖母の姿が確かにあった。

 さらパソコンデスクトップには、「コンピューターおばあちゃん」に関する記事や、祖母なりに歌詞アレンジして書き溜めたノートもあった。そこには、あの歌がもたらす夢や希望について彼女が感じ取ったことがびっしり綴られていた。「なんでも知っていて、なんでも教えてくれるおばあちゃん、それは私の理想じゃなくて、私自身の生き方のものだ」と。祖母にとって「コンピューターおばあちゃん」はまさに人生象徴だったのだろう。

8. 受け継がれる“好奇心”と“優しさ”

 祖母を失って寂しい気持ちは今でも消えない。それでも、祖母が残してくれた“調べること”“学ぶこと”“遊ぶように知識を楽しむこと”は、今の俺の人生を豊かにし続けている。職場でも「どうしてそんなにいろんなことを知っているの?」と聞かれることがあるが、俺は胸の中で「祖母の血かもしれないな」と思っている。実際、祖母から学んだ“分からないものは楽しみながら調べる”という姿勢が、仕事でも役立っていると感じるのだ。

 そして何より大きいのは、祖母の“人を思いやる優しさ”を忘れないようにしていること。どんなに新しい技術情報を知っていても、そこに相手への気遣いがなければ独りよがりになってしまう。祖母が俺に常に教えてくれたのは「相手立場気持ち想像しながら、一緒に探求していく喜び」だった。だから今、俺が後輩に教えるときや、友達と話をするときには、決して上から目線押し付けにならないように気をつける。そして「もしよかったら一緒にやってみよう?」と声をかける。その方がずっと楽しいし、きっと祖母も喜んでくれるに違いない。

9. 最後

 もう祖母の肉声を聞くことはできない。あの独特の優しい笑い声も、パソコンに向かう姿勢も、そばに座っていたときの温もりも、すべて思い出の中にしか存在しない。それでも、祖母が残してくれた言葉ファイル、そして一緒に過ごした時間記憶は、今でも俺を支えてくれる。人生において何か新しいことに挑戦するとき、あるいは壁にぶつかったとき、「そういえば、おばあちゃんはこんなとき何て言ってたっけ?」と心の中で問いかける。すると不思議なことに、祖母の声がスッと降りてきて、「それを調べてみるのは面白そうだね」と背中を押してくれる気がする。

 歌には「どんなことでも教えてくれる不思議なおばあちゃん」が登場するけれど、俺にとっての祖母はまさに“完璧なおばあちゃん”だった。彼女のように何でも知っていて、優しくて、そしていつだって俺の好奇心を歓迎してくれる存在がいたからこそ、今の俺がいる。そして祖母のような生き方を少しでも真似できるなら、それは最大の感謝の表し方かもしれないと思う。

 祖母がいなくなっても、その“コンピューターおばあちゃん”の精神は俺の中で生き続けている。何かを調べたり、新しいものに触れたりするとき祖母の姿が脳裏に浮かぶのだ。俺はこれからも、祖母が示してくれた「好奇心と優しさ」を糧に、歩んでいきたい。それが“俺の祖母コンピューターおばあちゃんだった”と胸を張って言える、何よりも大きな証なのだから

俺をいじめていた奴らに仕返しをした

 中学校時代、俺はクラスの中でも地味なほうだった。人付き合いが苦手で、いつも教室の隅に座っているような生徒だった。授業中も目立たないし、給食ときに誰かと話すこともほとんどなかった。そんな俺に目をつけた数人の連中が、段々と俺をからかいはじめたのが最初だった。はじめは「お前、なんか暗いよな」くらいの軽い言葉だったはずだ。しかしそれが積み重なるうちに、笑いを混ぜながらの小突きや悪口さらには物がなくなるといった嫌がらせへとエスカレートしていった。担任は頼りなく、いじめ事実に気づいていたとしても、「仲良くしなさい」としか言わなかった。親には心配をかけたくなかったし、自分解決できると思って黙りこんでいた結果、俺の心はどんどん萎縮していった。

 当時のクラスには、いじめを主導する奴が数人いた。リーダー格の男は腕力だけでなく口も達者で、彼の取り巻きがいつも笑いながら俺を嘲る。俺にちょっかいを出すたびに、クラスの周りは見て見ぬふりで、まるでそれが当然のように受け入れられていた。俺が思い切って「やめてくれ」と言おうものなら、翌日には靴が隠されたり、教科書落書きをされたりと、逆に仕返しのようないじめが増える。まるでネズミを追いつめて楽しむ猫のように、彼らは俺が困惑している姿を面白がっていた。自然と俺は誰にも心を開けなくなっていったし、自分自身存在価値すら疑うようになっていった。

 やがて卒業が近づくにつれ、俺は一刻も早くこの閉塞感から逃れたくて必死だった。卒業式が終われば、あの嫌な連中とも離れられる—そんな期待だけを胸に、なんとか中学校をやり過ごした。実際、卒業式後は別々の高校に進学する者が多かったから、顔を合わせる機会も激減するだろうと思っていた。事実高校時代比較平穏だったし、いじめられた過去を知る人もいなかった。そのおかげで、俺は少しずつだが自分を取り戻していった。大学に入り、バイトサークルで新しい友人もでき、自分性格コミュニケーションスキルに少しずつ自信を持ち始めることができた。

 しかし、いじめられた経験と、そのとき感じた屈辱感や絶望感は、俺の中でずっとくすぶり続けていた。相手に殴られたり、物を盗まれたりしたことだけじゃない。人前で見下されたり、笑いものにされたり、そうした積み重ねが俺の心の奥に深い傷を残していた。自分では「もう過去のことだ、気にしないでおこう」と思い込もうとしていても、まるで傷口が塞がりきらないように、ふとした瞬間に思い出しては苛立ちや悲しみが込み上げてきた。どれだけ新しい環境適応しても、中学時代の痛みが完全に消えることはなかった。

 大学卒業後、俺は一般企業就職した。最初社会人としての生活に慣れることで精一杯で、毎日が忙しく過ぎていった。朝から夜遅くまで働き、休みの日は部屋でぐったりと休息を取る。そんな日々を過ごすうちに、いつの間にか社会人としての自分にも少しずつ余裕が生まれてきた。仕事軌道に乗りはじめ、後輩を指導したり、業務責任を任されたりするようになった。そうやって自己肯定感高まるにつれ、ふと昔のいじめのことを思い出しては「なぜあのとき抵抗できなかったのか」と自分を責める気持ちも強くなっていった。

 あるとき会社の同僚との飲み会で、同級生たちの近況を耳にする機会があった。偶然にも、俺を散々いじめていた連中の一人が、最近地元に戻ってきているらしいという噂を聞いた。内心どきりとしたが、同時に「あいつは今どうしているんだろう?」という好奇心が湧いた。どうしても情報を確かめたくなった俺は、SNSを使ってその元同級生アカウントを探してみた。すると、その元同級生は思った以上に積極的に近況を発信しており、自分仕事プライベートについても投稿していた。結婚して子どもがいるようで、表面上はごく普通の家庭を築いているように見えた。

 その投稿を見た瞬間、俺は胸の奥に眠っていた怒りが再び目を覚ましたのを感じた。あいつが自分家族との写真幸せそうに笑っている様子を見ると、「あいつがあんな穏やかな表情をしているなんて」という気持ちがどうしても拭えなかった。頭では「昔のことだし、もういい」と理解しているつもりでも、心がまるでそれを許さない。あのとき俺が味わった恐怖と屈辱は、今でも癒やされてはいない。ならば、ここで何もせずに生きていくのか、それとも俺が受けた傷の重さを少しでも感じさせてやるべきか。悩んだ末、俺は「やるなら今しかない」と決意した。俺がどれほど苦しんだか、やつらに思い知らせたいという思いが抑えきれなくなっていたのだ。

 まずは情報収集から始めた。SNS上には、ほかの元同級生が繋がっているアカウントもあった。そこには、かつて俺をいじめていた連中の近況があちこちで書き込まれており、転職したとか、離婚したとか、さまざまな情報が手に入った。中には、経済的に苦しんでいるのか、愚痴ばかり書き込んでいる者もいた。昔の輝きが嘘のように見える連中の姿は、正直言って俺の心を微妙に揺さぶった。やつらもやつらなりに苦しんだり悩んだりしているのだろうと想像すると、「俺だけが不幸だったわけじゃないのかもしれない」と、一瞬だけ同情に似た感情が芽生えそうになった。しかし、思い出すのは結局、あの頃の仕打ちだ。たとえ彼らが悩みを抱えていようとも、俺が受けた傷は決して消えない。だからこそ、俺は「あいつらに自分の痛みを思い知らせたい」という気持ちを優先することにした。

 復讐といっても、俺は直接的な暴力で仕返しをしようとは考えていなかった。あのとき自分のように誰かを傷つけるのは、本来の俺の性分ではないし、そんな手段をとったところでスッキリするとは思えなかった。俺が目指すのは、あくまで「彼らに味わわせたい」の一心だった。だからSNS職場、噂話など、彼らの周辺にある情報網を巧みに使って、彼らの信用や評判をほんの少しずつ揺さぶるように動いた。具体的には、彼らの投稿に対して匿名皮肉めいたコメントを投げかけてみたり、共通の知人に「あいつ、中学の頃は相当ひどいことをやっていたらしいよ」とさりげなく伝えてみたり。直接言及せずとも、周りの人間が少しずつ「あいつって、実はヤバい過去があるんじゃないか」と思うように仕向けたのだ。

 最初は大した反応はなかった。しかし、時折SNSを覗くたびに、妙に彼らが弁解めいた投稿をするようになったり、以前よりもフォロワーが減っていたりするのが分かった。さらに、共通の知人のアカウントでは、「あの人って、中学時代ひどかったらしいよ」というコメントがぽつぽつと見られるようになった。俺はそれを読んで、密かに満足感を覚えた。「まだまだ足りないな」と思う反面、彼らの平穏日常に小さな亀裂が走るのを感じるたび、昔の自分が少しずつ救われていくような感覚を得た。そして、いじめを主導していたリーダー格だった男にも同じような手を使った。やはり奴も気づきはじめたのか、SNS投稿回数が減り、アカウントを鍵付きに変えるなど、防衛的になっていった。まるで自分の弱味を隠すかのように身を潜めている姿が、俺には心地よかった。

 しかし、そんな小さな仕返しをしているうちに、俺自身不思議な変化を感じるようになった。たしかに、彼らが困ったり焦ったりしている様子をうかがうと、最初は勝ち誇ったような気持ちになった。だが時間が経つにつれ、その快感は薄れ、代わりに「何やってるんだ俺は」というむなしさが心の中で広がっていく。まるで空虚な穴を埋めるために、相手を傷つける材料を探しているようにしか思えなくなったのだ。中学校時代いじめられていたころの自分とは違うはずなのに、やっていることの本質は「人を陥れる」行為しかないのではないか、と悩むようになった。

 そんな葛藤の中、ついにリーダー格だった男と対面する機会が訪れた。地元で行われた同窓会に、運命のように彼も顔を出していたのだ。久しぶりに見る彼の顔は、あの頃の生意気さが薄れ、やや疲れたような表情をしていた。それでも、当時の記憶がよみがえると、俺の中には強い怒りが再燃した。しかし、不思議と昔のように固まってしまうことはなかった。むしろ、「ここで何を言ってやろうか」と冷静に考えられる自分がいた。

 同窓会の席で、彼は俺の存在に気づいたようだが、一瞬目をそらした。そしておずおずと近づいてくると、「久しぶり…元気だったか?」と声をかけてきた。その態度は昔のように高圧的ではなかった。周囲には昔のいじめを知る人間もいる。俺は、ごく普通に返事をした。「まあ、それなりに。お前はどうだ?」彼は困ったように笑い、結婚子どもの話を少しだけした。その話を聞いて、俺はずっと胸にわだかまっていた不満や怒りをどうやってぶつければいいのか分からなくなってきた。一方で「あいつを困らせたい」という衝動は強く残っている。そんな揺れる心のまま、俺は彼に向かって「中学とき、いろいろやってくれたよな」と言った。

 すると彼は、明らかに動揺した。周りに人がいることを気にしてなのか、それとも本当に悪かったと思っているのか、声を落として「すまなかった。あの頃は、みんなで騒いでるうちにどんどんエスカレートしてたんだ。俺もガキだった。今になって考えると、本当にひどいことをしたと思ってる」と言った。その言葉がどこまで本心なのかは分からない。ただ、これまで一度も聞いたことのなかった謝罪言葉だった。そう聞いて、俺は何を思ったのか、怒りよりもむしろ虚しさが募った。ずっと恨みを抱え、復讐を考え、少なからず実行までしたのに、それを相手ぽろりと謝るだけで俺の中で何かが崩れ落ちるような感覚に襲われたのだ。

 結局、俺は深く追及することはしなかった。ただ、「お前たちのせいで、俺はずっと苦しかったんだ」とだけ言い残して、その場をあとにした。その後の二次会にも行かず、まっすぐ家に帰った道すがら、俺の頭の中はごちゃ混ぜだった。いじめを受けていた過去を思い出すと、あの苦しみは紛れもなく本物だし、今もまだ完全には癒えてはいない。しかし、彼らを陥れることで得られた瞬間的な快感は、むしろ自身の心をも蝕んでいたように思う。そして、謝罪らしきものを聞いたいま、俺はようやく「これでいいのかもしれない」と感じはじめていた。俺の人生は、あいつらに復讐するためだけにあるわけじゃない。いじめの傷は深く、簡単には消えない。でも、それを抱えながらも前に進むしかないのだ。

 家に帰って、自室の布団の上に倒れ込んだとき不思議と涙が出てきた。悔しさなのか、安堵なのか、整理のつかない感情がないまぜになって、声を押し殺して泣いた。中学校時代から引きずっていた怒り、恐怖、屈辱、そしてちっぽけな勝利感。いろいろな感情が渦巻く中、俺は「もう終わりにしよう」と思った。完全に許すことはできなくても、あの頃の自分を取り戻すためには、これ以上自分を憎しみに縛りつけてはいけないと感じたからだ。あの連中に小細工するのもやめることにした。SNSで彼らのアカウントをこっそり覗くことも控えよう。自分の心が軽くなるのなら、そのほうがいい。

 こうして俺の復讐劇は幕を下ろした。仕返しは成功したと言えなくもないが、その代償として俺の心はささくれ立ち、結局は徒労感に苛まれた。正直、いじめを受けた過去を完全に清算する手段なんて存在しないのかもしれない。それでも、俺はこれからも生きていかなきゃならない。中学校時代いじめは、俺にとっては消せない傷だ。だが、だからこそ、俺はその傷を抱えつつ、自分人生をより良くしていきたいと思う。復讐によって得られるものは決して多くはない。それよりも、前に進むための糧にするほうが、遥かに大切なのだと今は思う。

 もちろん、彼らが本当に反省しているのかは分からない。謝罪言葉がただの社交辞令だったかもしれないし、もしかすると、これから先もあいつらは同じようなことを繰り返すのかもしれない。けれど、それはもう俺には関係のないことだ。俺にとって大事なのは自分自身がどう生きるかだ。そのためには、過去に受けた仕打ちをどう消化し、これから先の人生に活かすのかが重要になってくる。復讐はひとまず終わったが、この先もふとしたときにあのとき感情が湧き上がってくることはあるだろう。そのたびに、俺は中学時代自分いじめていた奴らを思い出しては葛藤するだろう。しかし、それでも前を向く。いじめ被害者だった自分否定せず、受け入れたうえで、自分幸せになる道を探し続ける。それこそが、過去から自由になるために最善の方法なのかもしれない。

 今、この文章を読んでいる人に伝えたいのは、復讐の成否ではなく、心の在り方だ。俺が選んだ方法や結果が正解だとは思わない。けれど、いじめられていた過去を抱えながら社会人になり、自分なりのけじめをつけた末に学んだのは、「過去に縛られて自分を見失わないこと」の大切さだ。生きていくうえで傷つくことは避けられない。いじめは決して許されるものではないし、その傷は長く人を苦しめる。だが、それでも、自分を置き去りにしないでほしい。どんな形であれ、傷と向き合い、折り合いをつけていくことで、ほんの少しずつでも心に変化が訪れるはずだ。俺の仕返しが「成功」なのか「失敗」なのかは分からない。ただ、一つ言えるのは、俺はあのとき前を見つめるために、一歩踏み出す勇気を持てたということ。そして、いまはそれを「間違いではなかった」と思えるようになっているということだ。

anond:20250116154428

また、今村容疑者は金塊や現金を貸金庫から盗んだ際、カゴようなものに入れ、上から布をかぶせたうえで、貸金庫から持ち出していたということです。

その後、自分デスクなどで保管し、帰宅する際に外に持ち出していました。

さらに、今村容疑者は、金塊や現金を盗む際には、「営業時間外で客が来ない午後3時以降を主に狙っていた」と供述しているということです。

今村容疑者被害の発覚を遅らせるため、盗む前の金庫の中の状態スマホ撮影していますが、捜査関係者への取材で、写真の枚数が同じ金庫のものも含め、少なくとも800枚ほどにのぼることも新たにわかりました。

もう映画化不可避だね。

BGMミッションインポッシブルが流れ出す。

指令:セキュリティの厳重な銀行の貸金庫から200キロの金塊を盗み出せ

anond:20250115181431

どの背景画像を使うかって人によって好みがあって

このお勧めされてる地理院地図建物輪郭で描かれてるから写真よりずっと形を取りやすいのが最大の長所で、その点うちもお勧めするんだけど

短所更新時期が定かでないこと。最近整備された道路が反映されていたりする側で5年以上前解体されたイトーヨーカドーがそのままみたいなことがたまにある。

Bingなどと比べてこれ同じ建物じゃないなと思ったらそこだけ描くのを飛ばすのが安全

anond:20250116133036

女性の裸が誰でもいつでも見られる環境になれば、写真撮る奴や女体で遊ぶ奴もいなくなるのがなぜ分からない。

anond:20250116132702

写真撮る奴や女体で遊ぶ奴がいるからであって

女が恥ずかしいからとかどこからそのフワッフワの思想出てくるんだ

何億回言われたら理解できるんだろ

anond:20250116103208

それは困るので、俺は自分の体の写真性器写真登録している。亀頭が大きい俺のちんぽは人気であるゲイ向けアプリ、こういうところは即物的で大変に使いやすい。

ここワロタ

30歳ゲイ(?)が彼女童貞を捨てることができた話

こんな奴もいるんだよという性の話をさせてくれ。10年前の自分に読ませたいと思って書いたら長くなってしまった。

特にゲイかどうか悩んでいる若い男性に読んでほしい。

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俺は30歳男で独身

俺の恋愛対象女性である大学同級生ガチ恋して付き合ったり、出張先でお世話になった女性一目惚れしたりしている。そして幸せなことに今もかわいい彼女がいる。遠距離だが幸せにやりとりしているし、信頼して色々なことを相談しているし、会うたびに楽しくデートもしている。大好き。今の彼女結婚したい。なんなら子供もできたらいいな。

しかし、とても厄介な事実がある。俺の性的対象はたぶん、男なのだ

正直自分ではあまり認めたくないのだが、街中ですれ違う短髪筋肉質な男性にはついつい目を向けてしまうし、普通に銭湯に行っていいガタイの男がいたら見つめてしまう。男子高校出身だったということが関係しているのかもしれないが、なぜかそんなことになってしまった。嗚呼

中学生の時は普通の男女ものAVを見て抜いていた。が、主に見ているのは男優の体とちんぽだということに気づいたのは高校くらいの時だった。最初は躊躇していたが、次第にゲイビデオを見て抜くことも増えていった。18を超えた頃に興味と性欲から発展場に行ってみたが、男の体とちんぽに欲情する自分再確認してしまい、以来ときどき通っている(怖いのでバニラまでしかしたことはないが。バニラ意味が分からないやつはググれ)。そういう場で出会ったゲイの友人とは匿名のまま仲良くなり、定期的に会って抜きあったりもしている。ゲイ向けマッチングアプリも使っている。でもそこに恋愛感情は一切ない。付き合おうと思ったことはない。

そして無論、このセクシャリティリアルの知り合い(彼女含む)にカミングアウトしたことはない。発展場で会った匿名の男から「お前それはゲイだよ、認めて男と付き合ってしまったほうが楽だよ」と言われても、「俺はノンケ寄りのバイから…」と言葉を濁していた。

実際面白いことに、身近な友人や仕事仲間など日常生活で知り合う男性には全く欲情しないのである。実生活で俺にゲイだとカムアウトしてくる友人は数人いたが、彼らにもカミングアウトはしたくないし、彼らを好きになることもなかった。おそらく、自分ホモであることを認めるのが怖く、家族や実生活の知り合いにバレるのも怖く、理性のリミッターが強くかかっているのだと思う。良い身体だな〜タイプだな〜と思うリアル友人♂はいるが、その彼とどうこうなりたいとは思わない。

から俺は、ノンケでもゲイでもバイでもない成り損ないの状態だった。この歪んだ性的指向に俺はずっと悩み続けていた。

———

さて、賢明な読者諸君であればお気づきだと思うが、俺には、とても困る場面がある。

そう、大好きな彼女とのセックスである

俺は、いつのから女性に興奮しなくなってしまった。

彼女は18歳の時から数えて今まで5人ほどいたが、俺から手を出したことはなかった。

間内では女に困っていないヤリチンキャラを作っていたものから、付き合った彼女にしてみたら意外でもあったろう。あるいは童貞だと思われたかもしれないが、確かに挿入したことない童貞だったのは間違いない。ちんぽはしっかりしゃぶってきたのにな!

無論、年頃の男女のこと、一緒に寝て向こうから迫られることも多々あった。俺もやったるぞ!!という気持ちで頑張ろうとするのだが、しかし興奮しない。否、興奮しないだけならまだ良い。勃たないのだ。

人並みに女性身体愛撫し、指を入れてみる。でもあんまり興奮しない。俺のちんぽは基本的に無反応なのだ彼女に触ってもらったり舐めてもらったりしても反応はない。汚い男にしゃぶられてきた自分経験を思い出すと、その罪悪感もあり、余計勃たなくなる。

勃たないちんこに用は無い。俺は自分インポであると装い、抱きしめながら寝るしかなかった。

(ちなみに風俗ピンサロも行ったことはあるが、勃たない。女体に対する嫌悪感が増すばかりだった。)

俺が手を出さなかったことも理由だっただろう、過去彼女はかくして俺の元を去っていった。俺はすまんなと思いつつどうしようもできなかった。

好きな彼女に興奮せず、一方で世の中から隠れて男と抜きあう俺がいる。こんな状況にモヤりつつ、悩むので大事な時に余計勃たないという悪循環に陥り、どうすることもできないまま時間が経っていた。そして30歳になったのである

———

さて。今の彼女と付き合って1年ほどになる。セックス以外は全て順調な交際である

この年末彼女と数泊の温泉旅行に行った。初めてのお泊まりである

最初の夜に、彼女を抱きしめながら寝たが、勃たないことがやはり怖く、興奮もしなかったので手を出さなかった。すると次の夜、シクシクと泣かれた。言葉に出してはくれなかったが、温泉にまで来て一緒に寝ておいて、ちんぽも挿れてくれないとやはり悲しくなるのだろう。俺もそのくらいの想像力はある。

さすがに好きな彼女に泣かれたら俺も悲しい。頑張ってみるかと奮い立ち、服を脱いでみる。

でもやっぱりちんこが勃たない。緊張して・・・と言いつつ、心から情けなくなり、不貞寝した。愛する彼女はどこまでも優しく、俺の頭を撫でてくれていた。

翌朝目覚めた俺は、自分下半身が朝勃ちしているのを感じた。ただの生理現象で勃っていただけだが、今だと思った。半分寝ている彼女を急いで愛撫し、愛撫中に萎えかけたちんぽを急いで突っ込んでみる。ちなみにこれは自慢だが、俺は亀頭が大きめなので(多数のちんぽを見て比較してきたのでよく分かる)、ぶっちゃけ割と挿入しにくい。半分柔らかくなっていたちんこの先っぽを、どうにかこうにか押し込めた。中は暖かかった。

動いていると身体快感もあり、しっかり勃起してきた。俺はとても安心した。そして大きいと言われて興奮した。俺のは他の男より大きいんだぞと言いかけたが、なんで知っているか聞かれると困るので言わなかった。

女性に対して腰を振る自分を、AV男優に重ね合わせて興奮し、そしてMAX勃起になった。奥まで挿入して突いている時、ふと変わる彼女の表情が最高に可愛く、吐息がとてもエロかった。その時初めて、女性性的興奮を覚えた。愛する彼女とのセックスは本当に最高なんだな。セクシャリティどうこうじゃないわ。最高に可愛いわ。本当に。最高すぎた。結婚したい。ずっと挿入していたい(童貞感)

次の夜は、なんと、普通に勃った。俺は彼女に興奮していた。涙が出るほど嬉しかった。なんのことはない、女性に興奮しない、ちんぽが勃たないというのは、自分で思い込んでただけだったのだ。かくして俺は童貞を捨てることができた。

———

その経験をしてめっちゃ安心したのだろう。そこでなんか性欲のリミッターが外れた。彼女との旅行から帰ってきた俺は、いてもたってもいられず、なぜかまず9monstersを開いていた。増田にいる人はよくご存知だろう、ゲイ向けマッチングアプリである

俺はホモではない()ので絶対に顔は出さないと決めている。というか万が一でも流出したら彼女にバレてしまう。それは困るので、俺は自分の体の写真性器写真登録している。亀頭が大きい俺のちんぽは人気であるゲイ向けアプリ、こういうところは即物的で大変に使いやすい。

秘密厳守」と書いているアカウントを見つけた。深夜に声をかけたその男からすぐに返信があり、やり取りを始めて30分後、俺は彼の家で全裸になり、ちんぽをしゃぶられ快感に喘いでいた。俺のちんこは嘘みたいにビンビンだった。

彼も自分のことをバイだと言っていた。なぜバイだと思うのか聞くと、彼はあっけらかんと言った。「男の方が好きだけど、やっぱ結婚したいし」。そうか〜そうだよな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。そんなもんか。意外に俺と同じようなやつ多いじゃん。女ともできるのか聞くと、まあ勃つからね、と言われた。そうだよな。俺もそうなれたよ。ありがとう

でもしゃぶられている際に気づいたことがある。こいつのフェラ、うますぎる。なんでこんなにうまいんだよ。聞くと、彼は「最近は男としかやってないから上手くなった。女の子とのセックス忘れたわ〜」と言っていた。なんだこいつ、ホモじゃないか。なお俺はホモではない。

ということで、俺は結構深刻に悩んでたけど、同じ境遇の人は割と少なくないっぽい。ノンケでもゲイでもバイでもない成り損ないの状態とか思ってたけど、まあ彼女とも普通にセックスできるようになったし、全然悩むことなかったよ。むしろ普通ノンケと違って、俺は、みんなが知らない世界(=男のちんこ)が見えていると思うと少し誇らしい。秘密結社に所属しているみたいなドキドキ感もあるしね。

ものすごく気持ちが楽になって、俺は相手ちんこをしゃぶり続けたのだった。(完)

プロジェクトブルーブックより、宮古島米軍撮影したUAP写真 

1962年10月10日撮影日かな?

https://catalog.archives.gov/id/324354623

普通流れ星の動きじゃない!」って思って撮影したんだろうなあー。こういうのが機密解除されて見放題なのめっちゃ面白い

2025-01-15

ネットイナゴAED

仮に「AEDをやるフリして、オッパイ触ってる痴漢男がいた💢」みたいな、そういう写真付きでバズる出来事が起きたとしましょうよ。togetterまとめが注目エントリーに上がったとしましょう。

大勢批判すると思うんですよ。

フェミからすれば言うまでも無く、女の敵だ、人殺しも同然だ、ほぼほぼ強姦殺人だ、という様な罵倒が出る。去勢しろ強姦殺人と同等の罰を与えろ、顔と名前は覚えたぞ、となる。

フェミ批判の側からしても、「こういう男がいるせいで、回り回ってAEDで女に訴えられるみたいなデマが発生するのだ。諸悪の根源だ」という理屈が成り立つので、被害者女性の側に立つ。フェミ批判してるからと言ってミソジニー野郎と一緒じゃないぞというポーズを取る絶好の機会なので、しっかり攻撃姿勢を取るインセンティブがある。

相当キマってるアンチフェミマンが女叩きに回ったり、冤罪を疑ったり、「ちょっと様子を見ます」くらい言うかな、という程度。

最近ちょっとマシになって来た感もあるけど、過去事例を考えても、まあ9割方の大勢としてはそうなる。

いや、でも、しかし、実際はどうか分からんよね? ガチ冤罪かも知れないですよね? 何故なら、盗撮写真に嘘のキャプションを付けてバズ狙う様なカス普通に世の中に大勢いるから。それくらい皆知ってる筈なのに、何故かそこで留保できないの。

今、AED話題で、「人命を優先してAEDをやるべきだ」という発言をしている人、大勢ますよね。何の瑕疵も無い完璧正論です。そういう人らが、奴は痴漢だという嘘に騙されて、「人命を優先してAEDをやる人」を攻撃するイナゴに変身するの。ダブスタとか性差別とかじゃないからこそ怖いんよね。人命救助は正義であり、性犯罪は悪という単一の真っ当な価値観に基づいて、むしろ一貫している。党派性に染まったバカ自分エゴ社会正義に仮託して暴れるバカならまだしも、そんなんじゃない「まともな人間」さえも呑み込まれイナゴ化する。

そういう罠を仕掛ける事が、今は、ものすごく簡単にできてしまう。

これはレアケースや微小なリスク(それこそ、女にAEDしたら訴訟される!という様な)を過大に言ってるわけでは無い。インターネットで無数に起きて来た日常茶飯事がちょっとコンボしたら普通に起こり得る、身近な脅威の話をしている。

そして裁判とかじゃないので、名誉回復の機会も無い。反論擁護が出てもイナゴは止まらないし、なんならそういうのをアンチフェミクズ扱いして終わり。ネットニュースなりが取材をして冤罪だという記事が出ても木っ端ならシカトして終わり。それこそ草津並に一生擦られて、それでやっと「乳を揉んでる手付きに見えるのは事実AEDテクニック稚拙な男の方にこそ問題がある」「AED講習会義務にしていない行政が原因だ」みたいな他責ベースの取り繕いが始まる。

そういう加害行為をやってる当事者が、何を隠そう、俺たちネットイナゴなわけですよ。

「女にAEDしたら訴訟される!」みたいなのが、デマであり、あるいは人命救助に比較して無視するべき微小なリスクであるのは、その通りのド正論なの。一方で「女にAEDをしてもデメリットが大きいから避けたい」みたいなのも、同時に正論なの。

何故ならその『女にAEDする事に伴うデメリット』は、デマでも妄想でもなく、ネットセンセーショナル騒動にノー留保で乗っかる俺らの軽薄な振る舞いそのものであり、現在進行形現実に起きてるリアルから

AEDで助けてやったのに恩を訴訟で返して来る架空のクソ女に対してじゃなくて、現実にいる俺らネットイナゴへの不信感こそが本質なわけですよ。

何が言いたいか

AEDについて、いやAEDに限らず、様々な社会問題についてどうこう言い争うより先に、俺らが俺ら自身のこういう体質を改めるのが先じゃないですかね。

仮に女叩きクズにボロクソに悪口言ったりしても、そいつらがAEDやる様に改心する様な事は一切期待できないよ。でも、俺たちが自分自分イナゴムーブ制御する事はできるでしょ。

その方が遥かに実現性が高いし、世の中に資する度合いも高いし、女性AEDをして貰いやす空気にもなる。間接的な人命救助だと言っていいよ。

イナゴ、今すぐやろう。

anond:20250115155453

例に挙がってる道路の間違いに関しては、航空写真と照合して事実だろうと言える時は反映するから問題いかなぁ

ただ、実際見かける匿名メモは「○○ **店」みたいな書き込みが多くて、これは真偽判定しにくい(街路写真有か実際行った場所じゃないと判断できない)からスルーされがちなのはそう

ペット器物損壊してる写真恐怖症になり生きづらい

きっかけは覚えている。謎解きで有名なあの人が公開した「猫によりズタボロになったゲーミングチェアである

私は「怖い」「酷い」と思ったが、周りの反応は概ね「かわいい」「楽しい」であった。

それ以降、ペット(特に猫)がいたずらをした写真に対して異常なまでに絶望と、恐怖を感じてしまうようになった。

コメをぶち撒かれたのをアップするな。

ティッシュを全て出されたのをアップするな。

爪を研がれてボッサボサのソファーを見せるな。

とうとう「気に入っているみたい」とアップされた、ぬいぐるみに犬の鋭い歯が食い込んでいる写真に「殺される手前の感情」を感じるまでになった。

自分が異常で避けるべきだと分かってはいるんだけど、ボリュームありすぎて無理だ。散歩楽しそう!とかうちのこかわいい!と同列に器物損壊もあるんでしょう?でないとこんなに都度都度写真が上がらんもの

インターネット民を長く続けていたのにこんなことで苦しさを感じるようになるとは思わなかった、助けてくれ〜。

anond:20250115103717

AIヌード写真自体シェアされなくてもアプリ拡散されれば詰むじゃんと思ってた

よかったーー

1枚の写真動画世界が動くのいい加減止めない?

 カ メ ス ト ロ ー   尖 閣 衝 突

第一写真ガイジンにめちゃくちゃ人気なのなんでなん?

苗字を変えると同じ墓に入れない

皆は気づいていたのだろうか。

私はバカなので全く気づかなかった。

籍を入れるとき苗字に執着がなかったため特に考えもなく変えた。

変えたところで関係が大きく変わるわけでもなく、自分が変わるわけでもなく、持ちつ持たれつ一緒に過ごしている。本当にありがとう

相手実家へ遊びに行くと、特に取り繕う事もなく一緒にご飯を作って食べて、テレビを見て談笑して泊まって帰る。私を受け入れてくださる本当に優しい良い方々だ。

籍を入れて初めて盆に帰ったとき、みんなでお墓参りに行った。

いやー暑いっすね、お寺でかいですね、とたわいもない事を話す。ここが我が家のお墓だよと案内され、手を合わせるときにやっっっっっっっと気づいた。

!?!?

私ってここの墓に入るんだ!!!!?

おじいちゃんや両親、兄弟と同じ墓に入れないんだ!?!?!?!?!?

あああああああああそっか!!!!??!!?

お初にお目にかかりますよろしくお願いしま!!!!?!?

みたいな、だいぶ失礼な事を思っていた。

今まで自分にあるとも思わなかった信仰心帰属意識みたいな存在認知してしまった。気づいた瞬間からとてつもない寂しさを覚えていた。

本当に直前まで1ミクロンも気づかなかった。

なにがそんなに寂しいのかと、少し振り返った。


小さい頃から夏休みやお正月といった長期休暇に父方の祖父母の家に遊びに行って、最後には墓参りにというのがお決まりだった。

アイスを食べてお墓に行ってお水をかけて、お祈りして、と刷り込まれてきた馴染みのお墓。

母方の祖父母は家が近いので毎年お盆なんかには親戚で集まって草むしりして、終わったらみんなでご飯を食べて、と身近なお墓。暮れの大掃除には仏壇の道具も全部下ろして拭いていく。おばあちゃんがご先祖様の写真文章を只々教えてくれる。これをいまも続けている。

こんだけ積み重ねればそこに帰るものだと思うし、私に馴染みすぎて気づかないわけだった。


一緒になれないのが悲しくて少し泣いていた事もあったが、こんな失礼なこと誰にも言える訳もない。

言えないし、聞いた事も調べた事もなかった。

みんなはどうなんだ?とも、なんだか怖くて調べられない。

苗字を変えた人は似たような事を思ったのだろうか?

私が異常に執着して悲しくなっているだけなのか?


まあ法律で決まってるわけじゃないから入ろうと思えばできるし他にもあるんだろうけど、習わし的にはそうって話。

これ以外は全然ハッピーだけど、事前に知ってたらショックは少ないかもな〜って思って書きました。

今は「よろしくしてもらうぞ!」って気持ち墓参りに行ってます!!

生成AI反対派の絵師界隈ってなんであんな半端なの

ずっと「絵柄が盗まれる!」ばっかり言ってるよね

最近問題になってるディープフェイクの政治利用とか実在人物写真を素材にしてエロ画像生成するとかそういうのと絡めて声上げればもうちょっと話題になるんじゃないの オタク界隈外からも支持してもらえそうなのに全然そういう話出てこないよね(日本語しか読めないしTLに流れてくる範囲でしゃべってるから知らないところで動いてたらごめんやけど)

クレカの国際ブランド同人誌通販サイトから次々撤退してるのは生成AI児ポまがいの画像扱ってるからって話もあるのにその辺スルーしてカード会社叩いてばっかりだし 薄い本が買えない&買ってもらえなくて困る方が生成AI問題より大きいの?

まあ結局オタクもそれ以外もみんな好きなのは「神絵師の○○先生」じゃなくて「○○先生の描く最高な絵」だったんだろな 絵は神だけど本人の思想ツイートがアレだから絵だけ上げててほしい絵師かいるもんな 作品に罪はない理論で○○先生の神絵だけほしくなるのはしょうがないよな

いらすとやが出始めた頃に無料でそれなりのクオリティイラストが使い放題になったらチラシとかポスターちょっとしたカット描いてた絵師仕事なくなるんじゃね?って言われてたけど今になってそれがちょっとしたカット絵描きだけじゃなく全ての絵師対象になった感じじゃんね

今は指6本ある人体なんかを生成しちゃっててもあと数年もすれば「○○先生風の絵」が普通に実現するでしょ ユーザー側が「○○先生の絵」と「○○先生風の絵」を区別してなければそうなるでしょ

2025-01-14

チンパンジースマホを与えた末路

想像してほしい。毛むくじゃらの手が、最新のスマートフォンを器用に操っている光景を。好奇心旺盛な瞳が、鮮やかなディスプレイに釘付けになっている姿を。当初、それは微笑ましい光景だったかもしれない。動物園飼育員たちは、類人猿知的好奇心を満たし、退屈しのぎになるだろうと考えたのだ。しかし、数ヶ月後、彼らが目にしたのは、予想だにしない、そして恐ろしい「末路」だった。

最初の数週間、チンパンジーたちはスマホに夢中になった。指で画面をタップしたり、スワイプしたり、時には他の仲間と顔を寄せ合って何かを見たりしていた。動画サイトで他の動物映像を見たり、簡単ゲーム遊んだりする様子は、まるで人間の子ものようだった。飼育員たちは、彼らが新しい刺激を楽しんでいることに安堵した。

しかし、熱狂は徐々に変質していった。スマホは、チンパンジーたちの社会に、かつてなかったほどの混乱をもたらし始めたのだ。

まず、スマホを用いた望ましくない行動が目につくようになった。これまで穏やかだった群れの中で、注目を独占しようとする個体が現れ、激しい喧嘩が絶えなくなった。他の個体が倒れていて本来飼育員たちを呼ぶべき状況でも、その状況をスマホ動画写真に収めようとする。強い個体が弱い個体力ずくねじ伏せて土下座させ、その様子を撮影する光景日常茶飯事となり、群れの秩序は大きく乱れた。

次に、スマホ依存とも言える行動が見られるようになった。スマホの画面に夢中になってフラフラと歩き回り、身体障害物にぶつけて怪我をする個体が後を絶たなかった。食事時間になってもスマホから目を離さず、仲間とのコミュニケーションを疎かにする個体が増えたのだ。これまで、毛づくろいをしたり、遊びを通して絆を深めてきたチンパンジーたちの間には、奇妙な静寂が訪れた。まるで、スマホが彼らのコミュニケーション能力を奪い去ってしまたかのようだった。

さらに深刻な問題も発生した。チンパンジーたちは、スマホの扱いに慣れるにつれて、その「破壊力」に気づき始めたのだ。硬い物体であるスマホは、叩きつけることで簡単に壊すことができる。そして、その破片は鋭利凶器になりうることを彼らは学んだ。実際に、スマホの破片による怪我や、スマホを巡る争いによる負傷が多発するようになった。いじめターゲットとなった個体集団スマホを投げつけ、死なせてしまう痛ましい事件も起こった。

スマホの影響なのか変な行動を取る個体も増えた。チンパンジーたちは、災害リスクが高いために閉鎖されていた園内のサル山を見つけ出して侵入して、そこを寝床にしてしまった。だが、動物園で見つけたDEIと書かれたプラカードに夢中になっている間に、サル山で火事が起きて、彼らの寝床の大半が燃え尽きてしまった。

このような状況になったせいで、動物園飼育員たちが今まで動物園を魅力的にするために働いていた時間は、チンパンジーたちの望ましくない行動の後処理をするために割かれるようになっていった。

飼育員たちは事態の深刻さにようやく気づき、一部のものスマホ没収を主張した。しかし、チンパンジースマホを手放すことを拒むことは容易に想像できる。回収作業は困難を極めるだろう。

飼育員たちはジョブスがiPhoneをこの世に生み出したことを心の底から恨んだ。いま、彼らは今後の対策に頭を悩ませている。

anond:20250113233818

妻はまだ健在ですが、バイタルは徐々に弱くなっていくのがやっぱりつらいです。

みなさんの反応は読ませていただいています。参考にしていますし、優しい言葉に励まされてます

本当にありがとうございます

今日は何も書けないと思っていたんですが、妻に話しかけているうちに、少し文章自然と出てきていました。

ネガティブなことの一部はここに書くようにしたつもりでしたが、妻にも話してしまっていたかも…記憶曖昧です。

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今日は、妻に色んな思い出話をしたり、ゲームBGMを流しながら話しかけたよ。

言葉全然出てこなかったけど、アドバイスを見て頑張って絞り出すように少しずつ話をしたよ。

今も。

12月ニンテンドーミュージアム抽選当選したけれど、予定を立てるか悩んだ末にやめた。でも、結果的にはそれが正解だったね。

申込んだとき車椅子で行くつもりだったけれど、12月にはベッドから一歩も動けない状態だったから。

ディズニーランドへの車椅子での行き方も調べるだけ調べて、結局行けなかったね。

寝台列車出雲に行きたいと言って、2人部屋の予約を毎日チェックしていたよね。酔い止めと鬼太郎袋があれば何とか闘病中でもいけるはずと。

闘病中だけど、外出したときの開放感?から湧いてくる元気をあてにして、いろいろ遠出の計画をいろいろ立てていたよね。

何度かは旅行に行けたけど、それでももっとたくさん行きたかったね。ほとんど部屋で過ごしたけど、少し景色食事を楽しめたから。

2人とも写真嫌いだから、これまで撮った写真を見返しても2人が写っているものは本当に数えるほどしかなくて、思い出があまり形に残っていないのが寂しいな。

もう少し撮っておかないといけなかったなって思うよ。

疲れると思い出すのが難しくて、今苦労しているよ。

闘病中は「ごめんね」って負い目を感じていたよね。大変だったらけど苦しくは無かったからね。何回も言ってると思うけど、一緒に過ごせたのは本当に楽しかたからね。

今は鎮静薬を入れていて意識レベルが低くて、反応はないけど、呼吸をしていたり、ごくまれに瞬きをしているのを見て「生きているんだ」と実感しているよ。

別れが近いのは悲しいけど、穏やかに眠れているのが嬉しいし安心するんだ。

反応がないのは寂しい、とても寂しいけど。

鎮静薬を追加する前は、貼り薬と麻薬だけだったけど、麻薬の追加投与は30分以上経たないと効かなくてさ。

静脈がとれなくて皮下注射からかもしれないけど、耐えてもらうしかないっていうのは本当に見ていてつらかったよ。








↑を書いてからずいぶんじかんがたって、もう本当にのこり時間がなさそうになってきたけど、本当にこのまま穏やかに過ごして欲しい

横浜流星吉沢亮目黒蓮写真だけ見せられてどれが誰かを当てる自信は俺には無い

電話番号替えるとかしてもBANされる時は普段接続してるIPアドレスとか見られそうだから特別電話番号を変えるメリットも無いかな?

Googleアカウント基本的複数作成することができます。具体的には、**制限はない**と言われていますが、以下の点に注意する必要があります

1. **メールアドレスの重複**

アカウントは異なるメールアドレスでなければならないため、同じメールアドレスを使い回すことはできません。新しいアカウントを作る際には、異なるGmailアドレスや外部のメールアドレス使用する必要があります

2. **利用規約制限**

Google不正目的アカウントを大量に作成した場合(例えばスパム行為サービス不正利用など)には、制限アカウント停止のリスクがあります。そのため、正当な理由アカウント作成し、利用することが求められます

3. **セキュリティ管理**

複数Googleアカウント管理するのは、パスワードセキュリティ管理が難しくなる可能性がありますGoogle2段階認証を推奨しており、アカウント安全性を保つために注意が必要です。

総じて言えば、特に制限は設けられていないものの、Google利用規約違反しないように適切に管理することが重要です。

……………………………………

不正…の範囲わからんけど。

家族写真アップしただけでBANされたニュースとか見ると

メールアドレスGoogleドライブの運用は分けたい🤔

家族写真メールアドレス死んだらシャレにならん

anond:20250113184029

世の中には電車が来るってだけで駅まで行って写真撮る人もいるんやで

anond:20250112124139

写真を撮って1日1枚SNSに上げてる

しろ散歩目的じゃなくて写真撮るのが目的だけど

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