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で、淡々と検証すると(1)から(7)についての質問には直接的な形では全くお答えいただけなかった。よって、回答文から類推するしかない。 >ひとつひとつお答えしませんが、基本的にブログ記事等の情報にしたがったものについては、原稿中にそのむねを書いておりますので、原稿をお読みいただければわかるかと思います。 →記事に書いてある以上の情報は持っていないと理解した。 >そのうえで、今回のご質問には直接かかわりないことですが、私が当該の連載を始めるにあたっては、普通の人が普通にネットなどを通して集めたり接した情報で、何が言え、どんなことがわかり、考えられるかに興味があって始め、それを原則にして書いてきましたし、少なくとも今のところこの連載についてはそういう形で続けるつもりです。 →「普通の人」がネットを使って集めた情報と同じ情報で記事を書いている。つまり、「普通の人」がネットで収集できる以外の取材手段
まず前提ですが、私はGripBlogの泉あいさんが企画いたしました2005年10月31日の「民主党ブロガー懇談会」の参加者として、記事中に紹介されました松永英明さんと同席いたしました。また後に触れますが、泉さんが企画しておられた「報道機関設立構想」の一部作業に関わりを持たせていただき、その後も後述するブログで、この問題を数回継続的に取り上げて参りました。その関係からこの問題に関しては、広義の意味では関係者であると考えております。その観点からのご質問であることを、あらかじめご理解のほどをお願いいたします。 (この質問文とご回答は私のブログBigBang(https://ultrabigban.cocolog-nifty.com/)においても掲載させていただきますので、あらかじめご承知ください。) ---------------------------------------------- 「
もちろん無実の証明は難しい。しかし、これまでの経緯や状況を説明することはできるはずだ。それが証明になるかは別にして、ジャーナリストとして問題が発生した場合の責任とは、まず事実を明らかにして他社に判断を委ねることであり、決して自分で言い訳をすることではない。 その通りです。 し かし泉氏は今もって事実関係を明らかにせず、松永氏へのインタビュー(身内のインタビューで何が解明するというのか)や座談会などという茶番、滝本弁護士 へのインタビューという言い訳に終始した。それらを指摘されても自ら事実を語らず、メンバーの素性や関係すら隠したまま「私が中心になってやっている」 「他の人に迷惑がかかる」と言うのみだ。 つまりBigBangは泉氏やその他関係者に対して「ジャーナリズムとしての責任」を問うている のであり、ジャーナリストを自称し報道機関の起ち上げを計画した泉氏の姿勢を問うている。これを単なるオウ
佐々木さんも、「絶対的正義」を形成してきたのは、元々マスメディアであるという認識は持っているようである。 しかし私は今でも、マスメディアが声高に書いてきた絶対的正義の向こう側に、 しかし フラットになった言論の世界が誕生し、そこにインターネットのジャーナリズムの可能性があると信じている。なにがしかのその可能性が、単なる楽観主義でないことを、私は今ただひたすら祈っている。 「フラットになった言論の世界」とは何なのか。それは、情報発信の中心を持たない、いわば分散型の言論スフィアをイメージしているのだろうか。もしそうだとすれば、これは正しくネットでは展開されているのである。このような形で、私は誰に遠慮することもなく、「著名なジャーナリスト」を批判することができる。私の社会的立場や年収は関係がない。その気になれば、16歳の高校生にもあなたへの批判が可能である。 ネットが実現したのは決して「絶対的正
4月中旬、ブログ「絵文禄ことのは」の松永英明氏にインタビューした。すでに多方面で議論の的になっているが、インタビュアーはGrip Blogの泉あいさんとアルファブロガーのR30さん、それに私である。このエントリーやここ、ここなどに詳しい。いったいどのような事件が起き、なぜこのようなインタビューが実現したのかは、これらのエントリーを読んでいただければと思う。 私がこの企画に参加したのは、認識とコミュニケーションの断絶という問題にここ最近、ひどく囚われていたからだった。「総中流」といったような共通の土俵が日本社会から徐々に失われ、人々の拠って立つ場所は細分化されつつある。余談になってしまうが、たとえば私は先日、産経新聞のコラム『断』に次のような短い原稿を書いた。 四月十一日の朝日新聞夕刊に、「『若者よ怒れ』 新宿ロフト代表の平野悠さん」という記事が掲載された。名門ライブハウスの六十一歳になる代
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