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2013年6月28日のブックマーク (10件)

  • ちょっと待って、「女性器切除」の話題! - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    匿名ダイアリーで、「女性器切除」の話題がブックマークを集めている。 「女性器切除」 http://anond.hatelabo.jp/20090923003429 この記事によれば、勝間和代が「クーリエジャポン」で「女性器切除」の話題を紹介しているようだ。そちらがどのような記述になっているのか、まだ確認できていないが、少なくともこの匿名ダイアリーの記事は問題があるように思うので、フォローを書いておく。 ネットで検索しても、「女性器切除」を廃絶する運動の記事が多い。虐げられた女性に対する同情と、そうする男性に対する怒りから、今すぐ「女性器切除を廃絶すべき」だという思いに駆られるかもしれない。第三世界では、いまだ古い掟にムスリム女性が縛られ、犠牲になっているという議論が始まるかもしれない。 だけど、ちょっと待って。これは、フェミニズムの中で、大きな議論を巻き起こした問題なのだ。この問題をいち早

    ちょっと待って、「女性器切除」の話題! - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
  • 西ケニアにおける「女子割礼」について - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 2009-09-26

    アフリカの女子割礼について話題になっているようです。私は、ケニア西南部とタンザニア西北部の国境をまたいだ地域に住んでいるクリアという民族について、西ケニア側で現地調査をしており、1990年代後半に、クリア社会の男子割礼と女子割礼の調査をしたことがあります。 その成果の一部は、科研費の成果報告書ならびに博士論文という形で発表していますが、一般に読まれる形での発表ではありませんでした。アフリカの女子割礼への関心がすこしでも上がっているときに、現地調査したことのある人類学者として、現地の声を紹介する義務があるだろうと思い、緊急エントリーをアップします。 民族誌的事実を紹介する前に、まず、アフリカの女子割礼を廃絶するために人道的介入をすべきだという人権派と、現地の声や当事者にとっての意味を知ることが大切だという、文化相対主義的な立場をとる人類学者との間のディスコミュニケーションについて、私の意見を

    西ケニアにおける「女子割礼」について - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 2009-09-26
  • 中途半端な相対主義批判 - 地下生活者の手遊び

    文化相対主義に対する批判 ドーキンスの「神は妄想である」を批判した際*1、その文化相対主義批判に対しては応答する必要があると明言したんだけど、まだやっていませんでしたにゃ。 文化相対主義とはどういうもので、それに対してどういう批判があるかについては、 wikipedia:文化相対主義 文化相対主義をめぐる質疑応答 などをご参照のこと。ドーキンスの文化相対主義批判も、ウィキペディアにある 文化相対主義には普遍的人道などの観点から見て不備があり、固有文化の価値を楯に取った抑圧(幼児割礼やイスラム圏における人権侵害など)が防げないとの批判がある。 あたりをふまえたものでしたにゃ。 文化相対主義ってのは、西欧文化を基準として、西欧にちかい文化・社会を「進化したもの」とみなす「進化論的」な自民族中心主義に対する反動としてでてきたものですにゃ。もちろん、この文化進化論というのは自然科学における進化論と

    中途半端な相対主義批判 - 地下生活者の手遊び
    amamako
    amamako 2013/06/28
    でも個人の自由が絶対的に尊重されるべきって立場は、インテリが思ってるより人気がないとも思ったりする今日この頃。
  • チベットについての対話

    出席者リスト ゲレク(Gelek) 中国チベット学研究センター副幹事長。四川省チベット地区の出身で、チベット族最初の博士号の取得者 ノブ・ワンダン(Nuobu Wangdan) 中国社会科学院民族文学研究所研究員、チベット族 ダワ・ツァーイン(Dawa Tsering) チベット社会科学院現代チベット研究所副研究員、チベット族 オト・ウェンチェン(Otto Wengquan) 外交学院国際交流センター主任、チベット族学者 馬麗華 中国チベット学出版社編集長 朱立平 中国科学院青蔵高原研究所研究員 ジェーン・マカートニー(Jane Macartney) イギリス『タイムズ』紙北京支局長 イゼット・シャルーラ(Ezzet Shahrour) カタール・アル・ジャジーラ・テレビ北京支局長 ゲオルグ・ブルム(Gerog Blume) ドイツ『ディー・ツァイト』誌北京駐在シニアジャーナリスト 島津洋

    amamako
    amamako 2013/06/28
    チベット問題についての中国共産党側の言い分。こんなこというと袋叩きにあうのかもしれないけど、なかなか面白い。もちろん大半は同意できないけど、少なくともこういう「言い分」はあるということは知っておきたい
  • 米国を席巻する「新しい無神論者」の非寛容と、ほんの少しの希望

    ここ数年、米国の宗教界でもっともめざましく支持を拡大している勢力は、無神論者の集団だ。進化科学者のリチャード・ドーキンスが書いた『神は妄想である』はじめ、クリストファー・ヒッチェンス『God Is Not Great (神は偉大ではない)』、サム・ハリス『The End of Faith (信仰の終焉)』といった書籍が続々とベストセラーになるとともに、無神論を掲げるグループが全国で結成され、若い人を中心に多くの支持者を集めている。 論で「無神論」と訳されている言葉は atheism だが、この語の来の定義は「神が存在しないと信じる」ことではなく「神が存在するという信仰を持たない」ことであることを考えれば、「無神論」ではなく「無宗教」と訳した方がより正確かもしれない。そこをあえて「無神論」と表記するのは、ただ信仰がなく宗教に無関心といったニュアンスのある「無宗教」という言葉では、新しい無

    米国を席巻する「新しい無神論者」の非寛容と、ほんの少しの希望
    amamako
    amamako 2013/06/28
    無神論者が無神論の立場から、「イスラム教との戦争」を支持する、まぁ思考実験としては面白い話なんだけどねぇ。
  • 科学と宗教は共存できるか - NATROMのブログ

    id:good2ndさんという方が、宗教と科学が共存しうるかについて疑問を呈しておられた(■神の存在について(児童小銃)経由)。 ■穏健な宗教(good2ndの日記)。 ちょっと前の話題ですが、ニセ科学がらみで「穏健な宗教と科学は共存できる」というような言い方がされてました。でその、「科学と共存できる穏健な宗教」ってどんなんだろう、というのがどうもよくわからない。「穏健」というのが、単に狂信的でないとか暴力的でないとか反社会的でない、というのであれば、まあ日にある大抵の宗教は穏健ということになるんでしょうが、「科学と共存」というのがどうも。科学者の人とか信者の人とかは結構はっきりした考えがあったりするんでしょうかね。よくわからないので、科学も宗教もろくに知らないなりに考えてみました。 私自身は無宗教であるけれども、宗教と科学を両立させうることは別に不思議には思わない。ある特定の宗教を信仰

    科学と宗教は共存できるか - NATROMのブログ
    amamako
    amamako 2013/06/28
    この論法に対して頑固な無神論の立場から中国共産党が反論すれば更に面白いんだが
  • 神の存在について - rna fragments

    さらに 2 番目のほうはもっとよくわからない。というかまず、なんだかごまかしのように見える。水は言葉を理解したりしない、ということは「ほぼ断言していい」のに、神や霊魂は実在しない、ということは「ほぼ断言」できないんでしょうか。してもよさそうなもんだけどなぁ。この間にそんな大きな違いがあるんでしょうかね?うーむ。 穏健な宗教 (good2ndの日記) 霊魂にしても神にしても定義として超自然的な存在は、自然科学で存在を実証したり否定したりはできないのだと思います。とりあえず神について。 神と言っても色々ですが、意志を持ち全知全能であるそれを仮定すると、一定の条件下で観測するとその存在を示す観測結果が必ず得られる、ということは期待できません。相手は意志を持っていて自由に観測結果を操作できるのですから。*1 そんなの定義そのものが反則という気がしないでもないですが、そういうものを想像できてしまうの

    神の存在について - rna fragments
    amamako
    amamako 2013/06/28
    要するに不可知論だよねこれ
  • 神と科学は共存できるか? - NATROMのブログ

    宗教家と無神論者を4タイプに区別したこういうジョークがある。 ■信仰心と無神論の計算の違い(らばQ)。(原文:■Today's Math Lesson (The Primate Diaries)) ●原理主義宗教家 2+2=5だと信じている。その理由はそのように書かれているから。 税金の控除額の計算のときによくトラブルになります。 ●穏健な宗教家 現実的には2+2=4という基に沿って生活している。しかし規則的に教会などに行き、以前に2+2=5の時代があったとか、いつかまたその日が来ると言われ続けている。そして実際精神的な世界では5であるはずと信じている。 ●穏健な無神論者 2+2=4であることを知っている。 しかしながら2+2=5と信じている人が感情を害するかもしれないので、大きく主張することは無礼だと考えている。 ●戦闘的な無神論者 おいおい、よく見てくれよ。ほら、ここに小石が2個ある

    神と科学は共存できるか? - NATROMのブログ
  • 「幸福の王国」ブータンで苦しむ若者たち

    ブータン首都ティンプー(Thimphu)で、第4代国王の戴冠記念日を祝う文化行事に伝統衣装を着て向かう女子生徒(2013年6月2日撮影)。(c)AFP/ROBERTO SCHMIDT 【6月26日 AFP】そこは「最後の理想郷」として知られている──美しい自然と仏教文化あふれるヒマラヤ奥地の国、国民の幸福が経済成長より重視される所。 だがそのバラ色の評判に、ブータン王国の都市に暮らす若者たちは迷うことなく異議を唱える。 「人びとが幸福でないことは見てとれる」と、ソーシャルワーカーのジグメ・ワンチュクさん(24)は語る。薬物依存から立ち直ったワンチュクさんは、首都ティンプー(Thimphu)にある薬物依存の若者たちの相談所で働いている。 「私たちはとても多くの課題に直面しており、多くの人が苦しんでいる」 ■薬物乱用、アルコール依存、犯罪率上昇 飲酒、特に米の自家醸造酒は長らくブータン文化の一

    「幸福の王国」ブータンで苦しむ若者たち
    amamako
    amamako 2013/06/28
    「閉ざされた箱庭の中で幸せ」なんていう初期設定は古くは『失楽園』そして最近では『進撃の巨人』と、古今東西どんな物語でも死亡フラグでしかないわけで。
  • 「ブータン国民の97%が幸せ」に、待ったを言いたい。 « クーリエ・ジャポンの現場から(編集部ブログ)

    デスクの増谷です。 ルポ「ブータンは当に『幸せな国』なのか」(P.106-111)は、お読みいただけましたでしょうか。せっかく現地取材をしてきましたので、もう少しだけこぼれ話にお付き合いいただきたいと思います(前回のブログはこちら)。 記事中では、「あなたは幸せですか」という質問に対して97%のブータン国民が「はい」と答えたとされる2005年の国勢調査について、「いくつか問題点も指摘されている」と書きました。そして、2010年にはその割合が41%へ「激減」とも書きました。具体的にどういうことか、誌では紙幅の都合で詳しい内容を書けませんでしたので、少し補足したいと思います。 ブータンについて語るとき、この「97%」という驚異的な数字だけが一人歩きし、その「幸せ」伝説を作り上げるのに一役買ったことは間違いありません。実際、多くのマスコミで、この数字が喧伝されてきました。 ですが、こ