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歴史に関するbig0bunのブックマーク (8)

  • 沖縄メッセージ 昭和天皇は「平和主義者」だったか | | 茶谷誠一 | 毎日新聞「政治プレミア」

    昭和天皇が、米国による沖縄の軍事占領を希望すると米側に伝えていた「沖縄メッセージ」(※1)は今も我々を当惑させます。志学館大学教授の茶谷誠一さんに聞きました。【聞き手・須藤孝】 ◇ ◇ ◇ ――昭和天皇は戦前は大元帥でした。 ◆私は1989年に昭和天皇が亡くなった時は高校生でした。当時の私が持っていた昭和天皇のイメージはやさしいおじいちゃん、平和的なイメージでした。戦前の実態を知ったときには驚きました。 平和的な象徴天皇のイメージは現在も同じで、より強まっています。しかし、象徴天皇制の原点は、マッカーサーが日の占領統治を成功させるために、天皇制を利用したことにあります。 東京裁判でも天皇の戦争責任は問われず、東条英機のような一部の軍人に背負わせることによって清算しようとしました。国民のなかに、天皇と自分たちは東条ら一部の人にだまされていた、昭和天皇は平和主義者だったというイメージが作られ

    沖縄メッセージ 昭和天皇は「平和主義者」だったか | | 茶谷誠一 | 毎日新聞「政治プレミア」
  • 名作「土佐源氏」実は創作だった? 性遍歴赤裸々に描く原作も存在 | 毎日新聞

    槌造の家は茶や谷の川にかかる竜王橋のたもとに今も建つ=高知県檮原町で2024年7月21日、井上英介撮影 井上英介の喫水線 土佐湾を望む高知県須崎市から上り坂が続く。目指すは同県檮原(ゆすはら)町。四国山地で愛媛県と接する。車は非力な軽のポンコツで、エンジンが焼けそうだ。 目的地の「茶や谷」(同町四万川(しまがわ)区)は高知県でも有数の標高が高い集落だ。坂龍馬は1862年に土佐を脱藩する際、茶や谷から韮(にら)ケ峠を越え伊予へ抜けた。その約80年後の1941年、33歳の壮年が脱藩ルートを逆にたどり、峠から茶や谷へ下りてきた。柳田国男らと並ぶ民俗学の巨星、宮常一(つねいち)だ。日じゅうを旅し、地域の古老たちに話を聞いて膨大な記録を残した。彼は茶や谷で一人の老人から生い立ちを聞き取り、戦後に公表した。宮の代表作「土佐源氏」である(岩波文庫「忘れられた日人」所収)。 老人は盲目で橋の

    名作「土佐源氏」実は創作だった? 性遍歴赤裸々に描く原作も存在 | 毎日新聞
  • 植民地支配の「罪」をエリザベス女王は結局、最後まで一度も詫びることはなかった

    1961年には旧植民地ガーナを訪れ、かつて栄えたアシャンティ国の王族に会った KEYSTONE-FRANCEーGAMMAーKEYSTONE/GETTY IMAGES <黒人奴隷を酷使して植民地で儲けたことで大英帝国の礎を築いたという過去を、逝去したエリザベス女王は謝罪しなかった> まずい、わが国は出遅れたぞ。16世紀の半ば、エリザベスという名のイングランド女王は周辺諸国を見回して、そう気付いた。見よ、大陸の諸王国は世界の果てまで領土を広げているではないか。 先鞭をつけたのはポルトガルとスペインだった。まずはポルトガルが15世紀半ばに西アフリカまで船を出し、現地の金を輸入し始めた。それからサントメという小さな島を占領し、大規模農場で「売買可能な商品」としての黒人奴隷を働かせるという画期的な手法を考案し、サトウキビの大量生産を始めた。 大西洋を南下してサトウキビを栽培・加工し、そこで働かせる奴

    植民地支配の「罪」をエリザベス女王は結局、最後まで一度も詫びることはなかった
  • 若林 宣 on Twitter: "東京が受けた空襲について「東京者は贅沢していたから罰が当たった」と長岡の人に言われた長岡出身東京在住の祖母が、長岡空襲の報に接して「ざまぁみろ」と思ったというような、そういう身もふたもない話はなかなか伝承されないので、あらためて語… https://t.co/avp1pZTHeX"

    東京が受けた空襲について「東京者は贅沢していたから罰が当たった」と長岡の人に言われた長岡出身東京在住の祖母が、長岡空襲の報に接して「ざまぁみろ」と思ったというような、そういう身もふたもない話はなかなか伝承されないので、あらためて語… https://t.co/avp1pZTHeX

    若林 宣 on Twitter: "東京が受けた空襲について「東京者は贅沢していたから罰が当たった」と長岡の人に言われた長岡出身東京在住の祖母が、長岡空襲の報に接して「ざまぁみろ」と思ったというような、そういう身もふたもない話はなかなか伝承されないので、あらためて語… https://t.co/avp1pZTHeX"
  • 日本史研究者と街を歩くとどれだけへぇへぇ言わされるのだろう?

    今回は日中世史が専門の研究者、谷口雄太さんと上町の近くに住むデイリーポータルZライターのべつやくれいさんと歩く。気の日史研究者と街を歩くとどれだけへぇへぇ言わされるのだろうか? ※元となった動画はこの記事の最後に。記事で大事なところを紹介するのでネタバレしたくない方は先に見てください。 左から審判の林雄司さん、日中世史の研究者谷口雄太さん、上町の近くに住むべつやくれいさん。谷口さんは大学講師としてもご活躍中の気の方 吉良家のお膝元上町駅を歩く 東急世田谷線上町駅からスタート。日史の先生と歩く!とはいえ地元知識のべつやくさんもだまってはいない。 べつやくさんから出た知識は「東急世田谷線の忘れ物センターは始点の三軒茶屋と終点の下高井戸にくわえてここ上町の3つ」というもの。渋すぎる地元知識でへぇゲット。 へぇ~と審判が言うとへぇ獲得 谷口さんに「中世っていつのことですか?」と聞くと「

    日本史研究者と街を歩くとどれだけへぇへぇ言わされるのだろう?
  • 慰安婦論争の映画「上映中止を」 出演者の藤岡信勝氏ら:朝日新聞デジタル

    慰安婦問題の論争を扱ったドキュメンタリー映画「主戦場」の出演者3人が30日、東京都内で記者会見した。「監督が私たちを欺いて映画に出演させた。違法行為にあたる」と主張し、上映中止を求める声明を発表した。監督は「私がだましたという主張は間違いだ」と反論している。 映画は、日系米国人のミキ・デザキ監督が慰安婦問題を題材に、日米韓の30人以上にインタビュー。強制連行の有無や慰安婦の人数などの論点で主張と反論を紹介している。4月に東京・渋谷で公開されると反響を呼び、全国40カ所以上での公開が決まっている。 記者会見したのは「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝副会長ら3人。ジャーナリストの櫻井よしこ氏や杉田水脈・衆院議員、米国弁護士のケント・ギルバート氏らとともに、映画で「歴史修正主義者」などと紹介されている。 大学院生だったデザキ氏が「学術研究」目的でインタビューを申し込んだことは、双方が認めて

    慰安婦論争の映画「上映中止を」 出演者の藤岡信勝氏ら:朝日新聞デジタル
  • 「足利尊氏像」から「伝尊氏像/騎馬武者像」に”格下げ”され教科書でも微妙な扱いのあの絵…、やっぱり尊氏かも?

    騎馬武者像 「この像は従来足利尊氏像と伝称されてきた。けれども上方の花押が足利義詮のものであるため、父の図上に子が花押を据えることに疑問が出され、尊氏に仕えた高師直とする説も出されている。 総髪で、折れた矢を負い、抜き身の太刀を肩にのせるところなど、激しい戦のあとの武将の姿をあらわしており、生彩のある描写によって躍動感が表現されている。」 http://www.emuseum.jp/detail/101003 とか、最近そういうふうに定説が変わって、納得したし、ドヤりネタにもしたのに!! どこかで論文読めるのかもしれませんね。 続きを読む

    「足利尊氏像」から「伝尊氏像/騎馬武者像」に”格下げ”され教科書でも微妙な扱いのあの絵…、やっぱり尊氏かも?
  • 【同祖論】日本民族と兄弟という説のある民族 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    信じるか信じないかは貴方次第… 日人と他民族の同祖論というのはどういうわけか人気があるテーマです。 だいたいトンデモ論で片付けられることが多いですが、もっともらしい理屈や理論が備わっているので、信じている人も意外といるようです。だいたい、日人ほど「日人論」とか「日人のルーツ」のようなものにこだわる人たちも珍しいと思います。単に自分たちのルーツを知りたい、というだけでなく、ある種のナルシシズムや優越感があって、個人的にはどうかと思うのですが。 様々にある「同祖論」も、当時の政治的経済的な要求があって作られている感があり、当時の人たちの対外感が垣間見えて興味深いものになっています。 1. 日琉同祖論 日琉同祖論は、その名の通り日民族と琉球民族は同じ出自の民族である、とする説。 この説はもともと、16世紀前半の京都の僧侶・月舟寿桂が「鶴翁字銘井序」という書物に「源為朝は伊豆大島で死んだ

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