昨夜(7/21)は細田守監督「時をかける少女」(2006)をけっこう真剣に見た。 いい映画だとは思ったけど、「アニメにする必要があるのか?」「SFにする必要があるのか?」とはちょっとだけ思った。ま、おっさんの感想なのでお若い方は怒らないでね。 そして殊能将之の指摘通り、『時をかける少女』についてはそんな理由が特に思い当たらない。もちろん変わった映像とか、ヒロインのあのコミカルな動きはアニメ特有だろうけど、それは別に実写だって不可能ということはないし、アニメという手法を用いることの理由も思い付かない。なのに、そういう必然性が無いことを不審に思うことすら無かった。 ハテ、なんでだろ? 多分それは、アニメが「現実」を描く技術をとことん進化させたからだと思う。「現実」を描く手段として実写とアニメが等価値になるくらいに。 現実的な光景をとてつもない密度で描き、現実のように笑って悩んで恋するキャラクタ