江戸は徳川将軍のおひざもと、すなわち政治の中心地とはいえ、みやこ(いまでいう「首都」)はあくまで京都でしたので、この視点に立てば、江戸へは「上る」とはいわず、「下る」でした。京都を中心とした関西エリアを当時「上方(かみがた)」と呼んだのは、そのためです(ちなみに京都に上ることは「上洛(じょうらく)する」などといい、大阪(坂)へは「上坂(じょうはん)する」などといいました)。江戸に下ってきた上方の古着などは「下りもの」と呼ばれ、江戸の町娘などが好んで着ましたが、こうした商品の移動から、江戸などに下ることすらできない、しょーもない品のことを「下らない」といい、ここから取るに足らない物や事を「くだらない」いうようになりました。