2ちゃん語と言われる物が大量にある。 しかし、よく考えると書き言葉というのは話し言葉と違って保守性が 強いと言われる。さて、なぜ2ちゃん上では数多くの流行語が現れては 消えるのか、言語学板はどう考える?
2ちゃん語と言われる物が大量にある。 しかし、よく考えると書き言葉というのは話し言葉と違って保守性が 強いと言われる。さて、なぜ2ちゃん上では数多くの流行語が現れては 消えるのか、言語学板はどう考える?
ドラゴンクエストがアメリカに移植されたとき、さまざまな修正が行われました。それをつぶさに調べていくと、ドラクエというゲームに隠れた「日本的なもの」の姿が浮かび上がってきます。今日は、我々を包囲する見えない文化について考えます。 だが、コンピュータやインターネットの発達が、全体として人間にどんな影響を与えるかという命題に的確に答えられる人はいないだろう。ファミコンについても、それをずっと続けて育った子供がどうなるか、まだはっきりとわかっていない。 主人公がいろいろな冒険をしたり、戦闘するRPG(ロール・プレイング・ゲーム)はたしかにおもしろい。出はじめたときは私も徹夜でやったものだが、一ついえることは、ゲームの構成そのもののなかに、また場面、場面のやり取りのなかに間違いなく文化的な要素が入っている。そして、それが必ずしも日本社会の伝統的倫理観ではないことである。子供は与えられたものを当たり前
世にも美しい日本語入門 (ちくまプリマー新書) 作者: 安野光雅,藤原正彦出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2006/01/01メディア: 新書購入: 1人 クリック: 8回この商品を含むブログ (27件) を見る ベストセラー『国家の品格』の著者藤原正彦が、画家安野光雅との対談を収めた一冊。 それなりにおもしろい。おもしろいのだが、どうも首をかしげる記述が多すぎる。日本語贔屓が過ぎて、贔屓の引き倒しになってしまっている気がする。 たとえば、日本語の語彙の豊かさを語った箇所はこう。 シェークスピアは、四万語を駆使したと言われています。すごいと思うけれど、しかし日本語というのは中学生用の国語辞典を見たって五万語くらい出ています。広辞苑は二十三万語です。 五百年前の一個人と現代の辞典を比べることにどれほどの意味があるのだろう。比較するならせめて同時代の英語と日本語でなければならないだろう。
知っている人は知っている話ではあるが、私もこの前初めて確かめたので、あらためて書こうと思う。 「や」という発音は「い」から「あ」に滑らかに変化することによって発声される。そう聞くと、どこかに「い」と「あ」の境界がありそうな気もするが、そんなものはない。 まず、「や」という発音を録音する。次に、「い」と「あ」の境界はここかなという場所を探す。そして、その境界の前の「い」であるべき部分の音を聞いてみる。期待に反して、「や」に聞こえる。次に、境界のあとの「あ」であるべき部分の音を聞いてみる。やはり「や」に聞こえる。どう頑張っても、境界は見つからず、境界の前後両方もしくは片方が「や」に聞こえてしまうのである。
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