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707(慶雲4)年の2月、文武天皇の命により「遷都検討委員会」(*)が立ち上がる。 その頃の都、藤原京... 707(慶雲4)年の2月、文武天皇の命により「遷都検討委員会」(*)が立ち上がる。 その頃の都、藤原京は日本初の本格的な“京”だったが、天皇には不満だったのだ。 もっと大きく、もっと便利な都をつくりたい、それが天皇の願い。 *「諸王・臣の五位以上の者に詔(みことのり)して遷都のことを議(はか)らしめる」と『続日本紀』に記されているように、文武天皇は貴族、公卿、王らに遷都について議論をさせた。五位以上の官位の数は32あるが、このとき、何人が議論を交わしたのかは不明。 急逝された文武天皇の意志を継いだ元明天皇は、翌708(和銅元)年、さっそく詔によって「都を遷(うつ)す」と宣言された。もう後には引けない、やるしかない。「遷都検討委員会」は腹をくくった。 委員会がやるべきことは山積。まずは場所選び。今までの藤原京よりも風水が吉相で、より便利で、唐の長安城に匹敵する京をつくる。帝が望まれる、大
2010/03/26 リンク