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『『宮城県の全貌』(1933)より[1]: 元知事による治水策の回顧』
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『『宮城県の全貌』(1933)より[1]: 元知事による治水策の回顧』
今、東日本大震災の被災地では、復旧に向けた懸命の努力が続いている。 こんなとき、過去に経験した災害... 今、東日本大震災の被災地では、復旧に向けた懸命の努力が続いている。 こんなとき、過去に経験した災害に関する情報・記録・回顧録なども何かの参考になるのではないかと考え、以下、数回に分けて抄録することとした。災害情報の詳細については宮城県図書館のみやぎ資料室などに行けばいくらでも調べられるはずであるが、今回は火急のこととて、手元にある資料だけを見てまとめる。いずれ、周辺資料も含めてまとめ直したい。 これから紹介する資料は『宮城県人一百号記念 宮城県の全貌』(宮城県人社、1933年)に収められたエッセーの幾つかである。この『宮城県人』は郷土の顕彰と振興を目指した雑誌で、大正14年(1925)の創刊で、昭和8年(1933)に100号の刊行を達成している。 この間に起きた宮城県の自然災害として知られるのは、明治末から大正期にかけて断続的に発生した県内各地の大規模水害、そして昭和8年3月に発生した地震