エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント73件
- 注目コメント
- 新着コメント
ssuguru
1980年時点で下水道の全国普及率が30%程度だから、とても核シェルターに回す余力なんてなかったんじゃないかな。 http://www.pref.yamanashi.jp/gesuido/images/h27fukyuuritunobi.jpg
myogab
日本に余裕が生まれた頃には危機感は薄まってた感じかね。あの頃核シェル整備優先してたら、その後のバブル景気も無かったろうな/当時の政治家は外交に背水の覚悟があった。今は外交敗北の言い訳に軍事を持ち出すが
serio
冷戦期に経済的に豊かだった欧米では、シェルターがいっぱいある。 / 核シェルターで大麻草数千本を栽培、1.4億円相当 イギリスhttp://www.cnn.co.jp/world/35097122.html
ka-ka_xyz
今の朝鮮半島核危機(最悪ケースでも都市部に戦術核がせいぜい数発)とはちょい違って、全面核戦争が起きたら石器時代に巻き戻しとか核の冬で人類滅亡ルートなので「生き残った後」への一種の諦観はあったと思う。
filinion
被爆体験に加えて食糧自給率の低さもあり、日本人は核戦争「後」について、欧米より悲観的だったからだと思う。爆発の衝撃をシェルターで生き延びたところで、その後の食料とか考えると長期的生存は絶望だ…という。
blueboy
核シェルターを作っても、電気も水道も破壊されていれば、室内では1カ月も生きられないよ。核シェルターの設置基準は、たった2週間の生存だけ。 http://j.mp/2q1nuGr / 欧米では核を「大きな爆弾」としか思っていない。
ka-ka_xyz
今の朝鮮半島核危機(最悪ケースでも都市部に戦術核がせいぜい数発)とはちょい違って、全面核戦争が起きたら石器時代に巻き戻しとか核の冬で人類滅亡ルートなので「生き残った後」への一種の諦観はあったと思う。
ko2inte8cu
核シェルターにせいぜい7日ぐらいこもって、その後どうするよ。飲み水なし、食い物なし。全地球規模で猛烈な内部被曝で余命なし。だいたい、人類を数十回全滅させられる量を撃ち合うんだぜ。「渚にて」やな
bohemian916
フィンランド留学してたとき、各家庭に核シェルターあるし、地下鉄も核戦争を想定されてるのを知って、日本の平和ボケを実感したわ。隣国エストニアも電子政府を整備して国家崩壊時に備えてる。
quick_past
経済復興->高度成長期で労働力使い潰しの起爆剤になった時代だし国民を守る意識なんてあるわけないじゃん。あくまで個人で自宅地下に作ってね。って風潮だったし、そもそもそんなの作れるって発想がなかった。
shiranui
最近の感じと同じって良く分からんな。核実験による死の灰が偏西風で運ばれて雨に含まれていると言われてた当時が今より敏感だったような。で、新聞で見た核シェルターってめちゃくちゃ高価だった記憶が。三桁万円?
buhikun
ソウルには指定されたテピソ(退避所)があり定期的な防空演習があった(今は知らん)が、テピソの大半が地下鉄駅で、モスクワやピョンヤンどころかいいとこ東西線か日比谷線くらいの深度なんだからお察しである。
e_pyonpyon21
核シェルターと一概に申しましても当座の熱線や放射能被害を避けるもの、全面核戦争後の核の冬を生き抜くためのもの、地上が完全に「安全」になるまで人類を隔離しておくものと各種取り揃えてご用意致しております。
cider_kondo
小学生の頃に徳島新聞に連載されてた海外取材記事読んだけど、当時の標準的な見方である「日本は貧乏国。海外は覚悟があって金をつかって整備している(がそれでも全国民には行き届かぬ)」だったと記憶している
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
いまの話題をアプリでチェック!
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
2017/04/22 リンク