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失われた聖地・広島について - 関内関外日記
おれの父は、自らの生まれ故郷である広島についてよくこう言ったものである。 「原爆が落とされて100年... おれの父は、自らの生まれ故郷である広島についてよくこう言ったものである。 「原爆が落とされて100年は草木も生えないと言われたものだが、木も草も生えていたぞ」 そして、言外に自分も広島で生まれたのだと。 父は双子として生まれた。双子の弟は生まれつきの障害者であった。知的、そして身体的に。父の方は健常者であった。東京の大学に進むために、高校時代から大阪でひとり下宿暮らしを始めた。一浪して、大学は早稲田大学の政経学部に進んだ。東京である。浪人時代には上京していたと思う。 すると、父が生地として、故郷として語る広島は、彼にとって幼年期から中学生までの間のことである。だが、父にとって故郷といえば広島にほかならなかった。ただし、おれは父から広島の街について詳しい話を聞いたことがない。広島には太田川という川が流れている。そのくらいである。 ただ、広島の名を背負ったものについて、物心つくかつかないかとい
2019/11/12 リンク