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anonymousとliteracyに関するhatayasanのブックマーク (3)

  • 名前を伏せたつもりでも - novtan別館

    言い尽くされたことに違いないが。ブログを何かのはけ口として使うと言うのは一つの用途としてはありだけれども、言ったことが他人にばれないかというとばれる。確実にばれる。王様の耳はロバの耳であることを穴掘ってその中に向けて言って埋めても広まってしまう。 じゃあ家の中で言えばいいのに、と思うかも知れないけれど、外で言うという行動によってしか解消されない、つまり相手は何でもよいから吐き出すことがストレスから解消される唯一の手段だったわけだ。 その叫びは、確かに個人に対する中傷だったりするかも知れないけれど、相手が特定されなければ社会的には害が無い。どうやったら相手が特定されるかと言うと、相手の個人情報を出してしまうか、または自分が誰かを知らしめたうえで、相手との人間関係を公表することだ。個人名は出していないけれども、結果として出したことと同じことになる。 いわゆる実名による啓蒙系の記事も「前、話をし

    名前を伏せたつもりでも - novtan別館
    hatayasan
    hatayasan 2007/03/26
    「実世界のことを心の健康のために吐き出すように書くには実名ではなく匿名が相応しい」
  • ネット社会は双方向発信が当たり前 毎日新聞1/1付け2ちゃんねる叩き記事で取り上げられた「がんだるふ」氏がmixiの日記で毎日新聞の取材を全公開中→追記あり - 天漢日乗

    ネット社会は双方向発信が当たり前 毎日新聞1/1付け2ちゃんねる叩き記事で取り上げられた「がんだるふ」氏がmixiの日記で毎日新聞の取材を全公開中→追記あり マスコミ人というのは 自分が衆目に晒される事態 になると、慌てる物らしい。普段 会社の名前で仕事をしてるだけ だからで、 会社が守ってくれている自分が「当の自分」 と勘違いしているからだ。よくある マスコミ人のblog炎上 の元凶の一つが ネット社会は平場の殴り合い だという事実にいつまでも気がつかない場合であることは往々にしてある。そういや、高校生に論破された北海道テレビ記者も、かつていたっけね。ネットの上では、新聞記者だろうがテレビ局員だろうが電通社員だろうが、全く関係ない。会社を辞めても、昔の肩書きで飯がえるという勘違いのまま、 過去の遺産をいつぶしている元新聞記者 などを見ると、痛々しいものがある。ま、いいんですが、

    ネット社会は双方向発信が当たり前 毎日新聞1/1付け2ちゃんねる叩き記事で取り上げられた「がんだるふ」氏がmixiの日記で毎日新聞の取材を全公開中→追記あり - 天漢日乗
    hatayasan
    hatayasan 2007/01/25
    こういう記事を読んでいると「自分の頭で考える」ことは実はとても難しいことなのではないかと感じる。
  • ブログは個人の記録、SNSは人とのつながり

    ブログやSNSのような生活者自身による情報発信において、重要な問題となってくるのはプライバシーである。アンケート調査では、個人のプロフィール情報の取り扱いについての質問も設ける一方で、自身のブログの存在やSNSに参加していることを知られたくない他人がいるかどうか、いる場合、それはどのような人かということについても尋ねた。その結果は下グラフのとおりである。 ブログやSNSをやっていることを知られたくない人が「いない」と答えた人は、ブログ利用者(※2)ではわずか全体の3割、SNS利用者(※2)でも同4割だった。これはやや意外な結果だ。そもそもブログはウェブサイトであるから、基的にはすべての人に開かれたものである。またSNSも招待制の会員サービスとはいえ、特定の人の参加の可否を一個人の判断で決められるわけではない。いずれにしても、いつだれがアクセスして来るかが分からないのが必然であるにもかかわ

    ブログは個人の記録、SNSは人とのつながり
    hatayasan
    hatayasan 2006/07/28
    「いつだれがアクセスして来るかが分からないのが必然であるにもかかわらず、それでもそこにある種の秘匿性を期待できるのは、ネット社会特有の匿名性によるところが大きい。」
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