何故か私人間のトラブルに憲法上の権利を持ち出すアホが沢山いるけど、そもそも憲法が想定しているのは国家対個人の関係であって、個人対個人はメインでは無いんですよね(例外について下記で詳述する。)。 憲法は国家の権力を抑制するための物なんですよ。 だから表現の自由を持ち出すとすれば、国や地方自治体が個人の表現を制約したという場面が基本。 あいつが自分の表現に文句を言った!これは憲法上認められている表現の自由の制約だ!というのは基本的に誤り。 表現に対しては反論をすることが出来る。 これが対抗言論の法理。 文句を言ってきたならそれに対して更に文句を言う。 それを繰り返せば最終的に真理に至るはずというのが思想の自由市場論。 国がその表現を辞めろ、辞めなければ逮捕すると言えば個人は対抗出来ない。 それを防ぐのが憲法だ。 例外的に私人間で憲法が問題になるのは、巨大企業と個人のような覆しようがない力を持っ
物心ついたときには父も母も行方不明だった少年がボクシングを覚えて困難を乗り越えていく。漫画家・ちばてつやさんは代表作『あしたのジョー』に人間の弱さと強さ、そして人生の敗者はいないというメッセージを込めていました。井上二郎アナウンサーが聞きました。 (アナウンス室 聞き手 井上二郎 取材 網秀一郎 塚原泰介) ジョーはどうしてこんなに頑張れるのだろう 『あしたのジョー』(原作/高森朝雄 漫画/ちばてつや)は、ドヤ街に流れ着いた不良少年・矢吹丈がボクサーとして成長する姿を描いた作品です。昭和40年代に連載され、ジョーのライバル・力石徹が亡くなった時には、現実の世界で葬儀が開かれるほど大きな人気を集めました。これまで何度もテレビアニメや映画になってきました。 (井上) 実は、私、『あしたのジョー2』という映画が、生まれて初めて見た映画なんですよ。これだけ時代が変わって、人々の気質が変わっても、な
kotobuki_84です。 なぜ“ゾーニング要求は表現規制ではない”とかいうロジックが “赤ちゃんのロジック、ちょっと知性あったら恥ずかしくて振うの躊躇われる” のか。一晩寝て気が変わったのと、なんか人増えてたので無駄に終わる確率下がったっぽいので、簡単に書きます。当のTonberi氏には既に非表示された可能性高いですけど。 なお僕は物事を言語化する能力が低いので、読み難いと思います。説明を嫌がった理由も、半分くらいはそこにあります。馬鹿野郎の乱文をお楽しみ下さい。また推敲足りない自覚もあるので、後々に追記や訂正を入れると思います。よろしくお願いします。 事の発端https://b.hatena.ne.jp/entry/s/b.hatena.ne.jp/entry/4675846168829857474/comment/kotobuki_84 ゾーニング要求は表現規制なのか原則としては表
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