偉人や文学者でもない普通の人間に紡ぎ出すことの出来る、普通の言葉。その中でもっとも価値がある言葉は、一度言葉を失ったあとに「それでも」言おうとした結果として出てくる言葉ではないか、と僕は思っています。 「筆舌に尽しがたい」「言語に絶する」「とても言葉では言い表せない」といった言葉がレトリックとしてではなく、本気で使われるとき、多くの宗教がそうであるように、僕たちは沈黙によって対象への敬意を表そうとします。しかし、「それでも」言葉にしようとするとき、対象と自分との絶対的な隔たりを知りながら「それでも」近づこうとするとき、そこに初めて自分の言葉が生まれてくるのではないでしょうか。 悲惨な境遇にいる人を見つけ、それを眺め、同情する。自分とよく似た、けれども少し前を歩く他人を見つけ、同じにはなれないことに苛立つ。物語の機能とはまず、このような同一化の欲望をかきたてることにあります。それに対して読者