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近代的に関するj708のブックマーク (2)

  • 江戸のニート 2 - 猿虎日記

    ところで、「ニート」は、働きもせず、また学校にもいかないもの、とされているが、そもそも江戸時代には、近代的な「学校」自体がなかったわけで、「学びからの逃走」もなにもない。とはいえ、江戸時代にも、武士のための「藩校」、また平民のための「寺子屋」などはあった。しかし、寺子屋は、明治以降の学校とはまったく違ったものだった。小熊英二の『日という国』(理論者よりみちパンセ)には、寺子屋が現代の学校といかに違ったものであるかが書かれている。 寺子屋は、いまの小学校みたいに、一斉授業方式でもなければ、教育課程がきちんときまっていたわけでもない。(……)寺子屋は、随時入学、随時退学の場合がおおかった。年齢も七歳ぐらいで入ってくる者もいれば、十七歳くらいで入ってくる者もいた。(……)地方の寺子屋などでは、農業がわりあいひまなとき、「この子も寺子屋に行かせるか」と親が考えたら、それが一月であろうと十一月であ

    江戸のニート 2 - 猿虎日記
  • 研究メモ:本田由紀の言説について

    「不毛な議論」 http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060519#p1 問題意識はわからなくはない。しかし、自分が好ましいと思う「規範」(=「専門性」)への期待と、その観点からの現実批判へと急ぐ前に、そもそもなぜ、大企業の人事担当者が「官能」が大事であるといったり、企業が新入社員に対して「技術や知識、独創性や論理性などより、職場での協調性と向上心を持って成長していくこと」といった曖昧な期待を抱くのか、その理由をじっくり考えるのが先なのではないか。社会科学者である田先生にとって、労務屋さんは論争相手である前に、分析対象であるはずだ。 田先生の提言は、極論すれば、就職活動を、高校入試や大学入試と同じようなものにしましょう、というものに近いと思う。高校入試や大学入試においては、まだまだきちっとした選考基準があり、客観的な選別が行われてる。就職活動においても、高

    研究メモ:本田由紀の言説について
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