史上最年少の10歳で囲碁のプロ棋士になった仲邑菫初段が、8日、大阪で行われた公式戦の対局で初めて勝ち、最年少勝利記録を1年4か月、更新しました。
史上最年少の10歳で囲碁のプロ棋士になった仲邑菫初段が、8日、大阪で行われた公式戦の対局で初めて勝ち、最年少勝利記録を1年4か月、更新しました。
囲碁の井山裕太名人(26)=六冠=が20日、前人未到の七冠独占を決めた。名人、棋聖、本因坊、王座、天元、碁聖の六冠に加え、最後に残った十段のタイトル奪取に成功。1976年に七大タイトル戦がそろった日本プロ碁界の歴史に金字塔を打ち立てた。 日本棋院(東京都千代田区)で打たれた第54期十段戦五番勝負(産経新聞社主催)の第4局で、挑戦者の井山名人は伊田篤史十段(22)に163手までで黒番中押し勝ち。3勝1敗でシリーズを制し、4期ぶり3度目の十段獲得を決めた。正式なタイトル移動は21日付となる。 井山名人は、史上初の六冠となった2013年3月から七冠に挑んできた。一昨年12月には四冠に後退するなど、足踏みが続いたが、昨年からは、出場したすべての七大タイトル戦で防衛または奪取を続け、3年越しで全冠を同時期に獲得した。 生涯を通じて通算で七冠を制覇… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きを
李世ドル(イ・セドル)九段が15日午後、ソウル光化門(クァンファムン)のフォーシーズンスホテルで開かれたアルファ碁との最後の対局に先立ち、娘のヘリムさんと控室で遊びながら緊張をほぐしていた。(写真=グーグル) 15日、1週間余りの大長征を終えた李世ドル(イ・セドル)九段は虚しい表情だった。この日ソウル光化門(クァンファムン)のフォーシーズンスホテルで開かれた最終局で彼は、280手の末に中押し負けし1対4でアルファ碁に最終勝利の席を譲った。閉会式などの行事を終えて兄のイ・サンフン九段らと酒の席を囲んでいた彼に単独で会った。酒の席は午後8時から12時まで続いた。 李九段は4時間中ずっと「第5局に負けて恥ずかしい。囲碁で飯を食っている、囲碁が仕事である人間が、人間的感情を徹底的に排除して碁を打たなければならなかったのに、それができなかった」として自ら叱責していた。「ほかの人々は私を人間的だという
コンピュータ将棋の話題をお伝えしている当ブログですが、今回は番外編として、コンピュータ囲碁を取り上げます。3月9日から5日間、コンピュータ囲碁とトッププロ棋士との五番勝負が行われ、YouTubeにてライブ中継されます。これを受け、従来のコンピュータチェスやコンピュータ将棋と同様、コンピュータ囲碁についても、来たるべき時が来た、もしくは、Xデーが近づいている、という話題が急速に盛り上がっており、コンピュータ将棋のコミュニティーでも無関心ではいられなくなっているのが、今回の記事の理由です。とはいえ当ブログの主旨はあくまでコンピュータ将棋ですので、主にコンピュータ将棋との比較を用いて、コンピュータ囲碁の最先端を紹介したいと思います。なお、リンク集としても使えるようにできるだけ各所へのリンクを含めますが、下記内容は一部、筆者の主観も含みます。 トッププロ棋士との対局 今年1月、米国グーグルから、コ
Googleが開発した囲碁ソフトのAlphaGoが、世界で初めてプロ棋士に勝ったコンピュータとして大きなニュースになっています。Nature誌に論文が掲載されたのですが、仔細に読むといくつか不可解な点がありましたので、調査・考察してみました。 AlphaGoの論文はこちらから見えます。プロ棋士に勝ったこともありますが、何よりコンピュータ囲碁開発者(及び隣の分野のコンピュータ将棋開発者)を驚かせたのは、「既存の他の囲碁プログラムと対戦させた結果、495戦494勝だった」との報告でした。この報告は衝撃的で、これを読んだ他のコンピュータ囲碁開発者たちからは「俺の今までの努力が否定された」「目標を見失ってしまった」などの悲嘆の発言が相次ぐ始末でした。 論文から、AlphaGo、対戦相手のプロ棋士、及び他のソフトのレーティングを示したグラフを引用します。 CrazyStoneとZenはこれまでは最強
ここでは将棋世界2015年6月号に収録したインタビュー「棚瀬寧に聞く ~電王戦ファイナルと将棋クエスト~」のノーカット版を掲載致します。 本誌には載せることができなかった面白い話もたくさん飛び出します。 それではどうぞ! ========================================== 棚瀬寧に聞く ~電王戦ファイナルと将棋クエスト~ 世界コンピュータ将棋選手権で最多4回の優勝を誇るIS将棋(商品名は「東大将棋」)の開発者であり、コンピュータ将棋黎明期からの第一人者として知られる棚瀬寧さん。彼の目に今回の電王戦はどう映っただろうか? 今後のコンピュータ将棋について、また現在棚瀬さんが運営しているスマホ将棋アプリ「将棋クエスト」についても併せて語っていただいた。 将棋は最初からすぐに楽しめるゲーム ―今日は宜しくお願いします。まず、棚瀬さんご自身の将棋との関わりについて教
22歳で初タイトルとなる女流本因坊を奪取したときでさえ、「これはもう過去のことだ」と思っていたという吉田美香(よしだ・みか)八段。人を男女で分けて考えるという発想を持っていない吉田八段には「碁界にはもっと強い男性棋士がいくらでもいる。私が目指すべきはそこなのだ」という意識があった。結婚、出産を経験し、現在二児の母でもある吉田八段は、かつて女流として、さらには家族を持つ母としての葛藤と戦い続けていた。 * * * ■女流としての葛藤 お話ししたように、私は人を男女で分けて考える習慣がありません。ですから男性社会であった当時の碁界に反発する気持ちがあり、「私は一人の人間として碁が強くなりたいだけなのに、どうしてみんな“女流”という目で見るのだろう」という葛藤がありました。 女流はどうしても「結婚・出産・育児」の問題がありますから、やむをえない面はあるのですが、だからといって「女性だから棋士とし
「勝てるとは思ってもいなかったので。大変うれしいです」 対局を振り返る感想戦を終え、向井千瑛(ちあき)前女流本因坊が退室した後、ようやく笑みを浮かべた。7日の囲碁の第33期女流本因坊戦五番勝負を制し、16歳1カ月の史上最年少で女流本因坊のタイトルを奪取した。 囲碁を始めたのは6歳。兄が囲碁を打つ姿を見て、「楽しそう」と思ったのがきっかけ。めきめきと力をつけて11歳6カ月でプロ入りした。 祖父はタイトル獲得23期の藤沢秀行名誉棋聖。10歳のときに亡くなったため、教えを請う時間は長くなかったが、師匠として尊敬する。「私にとってはすごい存在。タイトルを取る前も今も全く変わりません」 今春中学を卒業した後は進学せず、棋譜並べや詰め碁など多い日で10時間、勉強する。
15歳の少女は言った。 「囲碁が無くなったら死ぬしかないです」 ティーンエイジャーには縁遠いはずの「死ぬ」という言葉を、柔らかい笑顔のまま口にする。まるで放課後の予定をクラスメイトに告げるように。何の外連味も衒いもなく。 「私から囲碁を取ったら何も残らないです。辞めたいと思ったことはないですし、挫折したと思ったことも正直に言うとないんです。囲碁は人生そのものだと思っています」 未成年という意味では、まだ少女かもしれない。しかし、人格から言えば彼女はもう大人だ。そして、生きている世界を語れば、勝負師ということになる。 「もうすぐ16歳になる15歳」を世間のスタンダードで考えてみると「高校に通い始めたばっかりだから、まだ進路のことを深く考える必要もないよね。とりあえず部活がんばろ、あとは友達といっぱい遊ぼ」といった年頃のはずだ。差し当たってのリアルな不安は迫っておらず、茫漠とした希望を
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