2017年07月30日00:00 韓国人「第二次世界大戦時の日本の空母にみる日本のすごさ」 カテゴリ韓国の反応歴史 290コメント 韓国のネット掲示板に「第二次世界大戦当時の日本の航空母艦」というスレッドが立っていたのでご紹介。 1. 韓国人(スレ主) 第二次世界大戦時の日本の航空母艦たち 世界で初めて航空母艦を設計して建造した国 この当時、韓国は牛を引いて農業をしていたレベル… 翻訳元:http://www.ilbe.com/9912353498 2. 韓国人 はい、次の病身 3. 韓国人 うん、その当時は朝鮮という国自体なかったので非共感ボタン 4. 韓国人 あそこには我々のご先祖様たちの真鍮の器が溶け込んでいる カイカイ補足:金属類回収令 - Wikipedia 金属類回収令(昭和18年8月12日勅令第667号)は日中戦争から太平洋戦争にかけて戦局の悪化と物資(武器生産に必要な金属資
大西 瀧治郎(おおにし たきじろう、1891年〈明治24年〉6月2日 - 1945年〈昭和20年〉8月16日)は、日本の海軍軍人。海兵40期。神風特別攻撃隊の創始者の一人。終戦時に自決。最終階級は海軍中将。 笹井醇一(海軍少佐)は甥(大西の妻である淑恵の姉、久栄の息子)である。 若宮 (水上機母艦) 1891年6月2日、兵庫県氷上郡芦田村(現:丹波市青垣町)の小地主、父・大西亀吉と母・ウタの次男として生まれる。 旧制柏原中学校在学中、日本海海戦勝利の時期であり、中学の先輩から聞かされた広瀬武夫中佐を熱心に崇拝した。1909年、海軍兵学校40期[注釈 1]に20番の成績で入学し、兵学校では、名物の棒倒し競技で、同期の山口多聞と毎年大暴れして、抜群の棒倒し男と目された。剣道は兵学校で最高の一級、柔道も最上位であった[1]。寄宿舎の寮長も務め、秩序を乱す者がいれば、その者を布団に簀巻きにして、2
艦これ、面白いですね!(満面の笑みで) 艦これというゲームについては色々と紹介記事も出てきてるので簡単にしか説明しませんが、第二次世界大戦あたりで活躍してた艦艇を擬人化した美少女がドンパチするゲームです。 僕はミリタリーなあれこれについてはド素人なので、艦艇についての知識なんてさっぱりないのですが、そんな僕でも十分楽しめる素晴らしいゲームだと思います。金剛ちゃんかわいい。 ガルパン然りストパン然り、この手の作品にハマると自然と気になるのがキャラの元ネタですよね。 僕はガルパンもストパンもドハマリしたわけじゃないんですけど、艦これにはどっぷりハマってしまって、丸一日仕事ほっぽらかしてWikipediaで艦艇の情報漁ったりしてました。 で。 半世紀以上も前の代物ですから、当然ながら現存している艦は無いのですが(一番頑張った雪風ちゃんは1969年に解体)、そうなると「どこで、いつ、なんで無くなっ
大和ミュージアム 1/10戦艦大和 8月8日「艦隊これくしょん」に戦艦大和着水!本日から使えるようになった大和はどうやらとんでもない大飯ぐらいであることが明らかになり、史実に基づいて資材の不足した末期は射撃訓練すらままならなかったというカツカツの旧日本海軍プレイが味わえるということでぜひとも手に入れてみたいものである。今回の大和着水を記念して、11月24日に開催される艦これオンリーの場所でもある大和ミュージアムはいったいどんな場所なのか、期間限定イベント南方海域強襲偵察E4クリアして大和ゲットはおろかまだE1もクリアできてない呉鎮守府のクソ提督が、この機会に紹介しよう! 呉の大和ミュージアムへ 広島から呉まで電車で40分前後。呉駅に降り立ち、海に向かって5分くらい歩くと見えてくるのが呉市海事歴史科学館 大和ミュージアム。 隣には海上自衛隊呉資料館「てつのくじら館」。 潜水艦の歴史が学べ、長
愛知県立芸術大学デザイン科の学生・中村真由香(@maureka_7)さんによる卒業制作「軍艦巻き」がTwitterなどで話題になっている。軍艦巻きとは一般的に海苔で巻いた酢飯の上にイクラやウニなどを乗せた寿司を指すが、中村さんの軍艦巻きは「もっと軍艦らしい軍艦巻き」だ。 「戦艦 金剛」「航空母艦 鳳翔」「駆逐艦 雪風」など11種類の軍艦を、寿司で再現した。楕円形のよくある軍艦ではなく、本物の軍艦っぽい形をしており、ご飯を敷き詰めた甲板が広がっている。海苔で作った砲撃台っぽいものも付いていて、勇ましく、無骨な感じに仕上がっている。 中村さんは「お寿司の軍艦巻きは『軍艦』という名がついていながら、勇ましくもないし、そもそも軍艦に似ていると言えるのだろうか?」と疑問に思い、制作したという。「おいしい制作のおかげで体重がすこし増えた」ものの「自分らしいアホな作品になった」と満足しており、「軍艦に興
この項目では、太平洋戦争中のアメリカ軍の機雷作戦について説明しています。 兵糧攻め一般については「攻城戦」をご覧ください。 ナチス・ドイツによる東部占領地域からの食糧収奪計画については「飢餓計画」をご覧ください。 B-29爆撃機から投下されたパラシュート付きのMk26機雷。 飢餓作戦(きがさくせん、Operation Starvation)または餓死作戦[1]は、太平洋戦争末期にアメリカ軍が行った日本周辺の機雷封鎖作戦の作戦名である。この作戦はアメリカ海軍が立案し、主にアメリカ陸軍航空軍の航空機によって実行された。日本の内海航路や朝鮮半島航路に壊滅的打撃を与え、戦後も海上自衛隊の戦術思想や日本の海運に影響を残した。 飛行中のB-29爆撃機。 Mk25もしくはMk36機雷。 1945年(昭和20年)3月下旬、沖縄諸島への連合国軍侵攻が迫り、日本の東南アジア方面との南方航路は閉鎖に追い込まれた
前回までは軍艦の顔として、頭脳としての『艦橋』が時代とフネの発達と共に変貌していったことを解説しました。 この第三回で最終回にしようと思ったのですが、艦種別の『艦橋』を見ていくと “戦艦”だけでとんでもないボリュームになってしまいました。 そこで今回は“戦艦の艦橋”を題材にして解説し、 次回“他の艦種の艦橋”をもって『艦橋』の項の最終回とします。 ○“戦艦” の『艦橋』 軍艦の中で最大の攻撃力をもつ“戦艦”の艦橋は、航海用諸装置を始め砲撃を最適の状態で行える事を目的として、各種観測装備がもっとも充実している軍艦と言っても過言ではありません。 “戦艦『朝日』(あさひ Asahi)の艦橋。当時最大の軍艦の艦橋であるが、後の戦艦に比べると非常にシンプルな構成になっている。” (出典:ダイアモンド社 海軍艦艇写真集『戦艦・巡洋戦艦』) 第二次大戦直前の戦艦の『艦橋』において、大まかな配置で共通して
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