\閉鎖予定のサイトも売れるかも?/ アクセスがないサイトもコンテンツ価値で売れる場合も… ドメインの有効期限を更新してサイト売却にトライしてみましょう
不自然に少ない、東京の児童による朝鮮人虐殺目撃証言 東京の児童による震災作文の例 改ざんされた震災作文 リアルタイムの歴史修正の見事な一例 不自然に少ない、東京の児童による朝鮮人虐殺目撃証言 以前、当ブログで、「震災作文」(関東大震災を体験した子どもたちの作文)という形で残された、朝鮮人虐殺の目撃証言を取り上げたことがある。 このとき、資料[1](『朝鮮人虐殺関連児童証言史料』)を調べていて気になったのが、横浜に比べて東京の震災作文では、朝鮮人虐殺についての記述が質・量ともに乏しいことだった。 確かに横浜は民衆による朝鮮人虐殺の最も激しかった土地だが、東京も殺した数では負けていないし、横浜では起こらなかった軍隊による組織的大量虐殺なども発生している。当時の東京市内にあった小学校と生徒の数を考えれば、もっと多くの目撃証言が震災作文という形で残っていていいはずなのだ。 東京の児童による震災作文
7月19日に公開された藤本タツキの漫画「ルックバック」は傑作だった。CSM以来の藤本ファンとしては、この作家の底知れない引き出しの多さに驚愕したし、予告されているCSM第二部への期待感がいやがうえにも高まった。とはいえ、私は自分がこの作品のほんとうの素晴らしさを理解できているとは思わない。本作は「漫画家についての漫画」であると同時に、これまでになく藤本の個人史を投影したとおぼしい作品だ。それゆえ、実際に漫画制作に関わった経験のある人ほど、その素晴らしさを深く理解できるであろう。 私は特に物語後半の「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?」という問いかけに続く無音のシークエンスがことのほか好きで、そこだけ何度も読み返している。藤野のネームを読んだ京本のうれしそうな笑顔、涙ぐむ京本にティッシュを渡す藤野、ただ京本を喜ばせたかった、という想いが画面全体から溢れ出してくる。藤本作品は良く映画的、と言
リモート読書会は、川谷茂樹『スポーツ倫理学講義』を取り上げた。 この本についてはすでに2005年に書評を書いている。 kamiyakenkyujo.hatenablog.com 例えば写真は、今年11月28日付の西日本新聞夕刊の記事であるが、柔道の1984年五輪における山下・ラシュワン戦を振り返り、怪我をしていた山下の「右足は狙わないと決めていた」とするラシュワンの言葉を載せ、「その高潔な精神は世界で評価され、国際フェアプレー賞を受賞した」とする。1面のほとんどを使って、相手の弱点を狙わないことを「フェアプレー」として称揚している。 西日本新聞夕刊2020年11月28日付(6面) 川谷は、この山下・ラシュワン戦を冒頭に題材にとり、「相手の弱点を狙わないことはスポーツマンシップに悖るのか」という問いを立てている。 川谷は、勝敗の決着こそがスポーツの内在的目的であり、それがスポーツのエトスだと
お待たせしました<(_ _)>昨年は別の仕事が忙しく、証言マンガを描くお話しはあったものの、なかなか着手出来ませんでした。これから続々と描いていきますので、よろしくお願いします。
毎日新聞にこの前「銃と政治」という前後篇の大型特集があり、実に面白かった 進まぬ規制の背景/上 銃接収、穏健派も敬遠 https://t.co/5TIoPdkexG— 毎日新聞 (@mainichi) November 7, 2019 銃規制に一切反対する全米ライフル協会。膨大な資金力で議員の当落を左右することのできる全米最強の圧力団体として知られる。 しかし、設立当初から、銃所持の権利を声高に叫ぶ政治団体だったわけではなかった――。 高本特派員のリポート 銃と政治:進まぬ規制の背景/下 https://t.co/YNkiFkLjYE— 毎日新聞国際ニュース (@Mai_Intl) November 9, 2019 面白かったのはこのへん。 根拠とする米国憲法修正2条が「個人の権利」を保証すると解釈されるようになったのは実は比較的最近のことだ… 個人の権利としての住所持を、最初に声高に主張
https://www.jleague.jp/release/wp-content/uploads/2019/10/925ec93f2e7757434f6bc923dd9beb70.pdfhttps://san-a.com/topic/topic-3974/http://www.bellmare.co.jp/226025僕は高校時代に報告書に書いてあるような経験をした。今でも昨日の出来事のように思い出す。高校2年、練習試合の日だった。上手くプレーが出来なかった、でもふざけていた訳ではなかった。上手くなりたくてレギュラーになりたくて毎日悩んで悩んで必死に練習をしていた時期だった。遅刻をした訳でもなく、文句を言った訳でもなく、タバコを吸った訳でもなく。ただプレーが上手く出来なかっただけだった。その日は多くの保護者が観に来ていたが、その中に珍しく父親の姿があった。望むようなプレーを見せない僕に苛
事実として認めたほうがいい過去 日本軍が起こした虐殺事件で最も有名なのは南京大虐殺です。 これはいまだに議論が盛んで、どういうわけかこの話になると普段は論理的な人も冷静さを失うほどです。 中国政府が発表する犠牲者の数が年々増えたり、多分に政治利用されているフシはありますが、火のないところに煙は立たないというか、数はともかく事実として事件はあったはず。 この、事実として受け入れるということが大事で、外からみたら日本の右派的な言説があれこれイチャモンをつけてなかったことにしようとしているように見えるので、かなり心象が良くないです。 今回は日本でも忘れられがちな「日本軍の虐殺事件」を見ていきたいです。 1. ラハ飛行場虐殺事件(1942年2月) 掃海艇破壊の報復で300名以上のオーストラリア兵とオランダ兵を虐殺 蘭印攻略を進める日本軍は1942年1月からアンボン島を空襲し、2月からオーストラリア
先般,『「志桜里』と「詩織」』と題するブログにて, 両「しおり」氏に向けて,「ウソをつくでない!」と投稿したところ, 「月光史郎」氏というブロガーから, 「Black Box を読んだ上での感想だろうか?」との疑問が寄せられた。 「嘘の理由説明なし」とのことなので,説明しておきたい。 (なお,「志桜里」氏の「嘘の理由」については, 私の過去のブログ(2017-09-10)「『イケメン弁護士を不倫相手』とする不貞の証明」 https://www.kitaguchilaw.jp/blog/?p=323 を探しだして,お読みいただきたい。) 伊藤詩織氏(以下「詩織」という。)の著作である,「Black Box ブラックボックス」 (文藝春秋)(以下「BB」という。)で描写されている,山口敬之氏の詩織に向けられた「性犯罪行為」が,詩織の「妄想」ないし「虚構」であることは明白である。その理由を整
フェミニズムが社会運動なのか学問なのかって部分で、フェミニストは随分甘えがあるように思うんだよね。 社会運動家としての一貫性を追求されると、これは学問であり個人の思想や要求ではないと逃げるし、学問としての透明性や検証の担保をもとめられると社会運動家としての被害者論に逃げ込む感じ。 おそらく今現在の多くのフェミニストは、フェミニズムがなんで学問を経由しなきゃならなかったのか、そこが本当にわかってない。 フェミニズムが、暴力の次元で既存社会と戦うと負けるからなんだよ。この場合暴力っていうのは、いわゆる肉体的だったり経済的だったり権力的だったりするようなぱっと想像できる暴力だけではなく、民主主義的な、多数決の暴力によってもフェミニズムは負けちゃうんだ。なにせ、以前の社会では「女性の権利が男性より劣るのは当たり前」だったから(女性参政権、この文脈では多数決に参加できる権利ですら日本ではまだ100年
なぜ強権的な政権が「回帰」してくるのか 1980年の光州事件を描いた『タクシー運転手 約束は海を超えて』の大ヒットの余勢を駆るように、さる9月8日に封切られた韓国映画『1987、ある闘いの真実』がまたしても好調なようだ。 本作が描くのは、わずか30年ほど前の陰惨な史実だ。1987年1月、朴鍾哲(パク・ジョンチョル)というソウル大生が、学生運動幹部である先輩についての取り調べ中、水責め拷問で亡くなるという事件が起きた。警察は死因を「心臓麻痺」と偽り、証拠隠滅のため、釜山の家族に知らせる前に遺体を火葬してしまおうと企てる。 オリンピック開催を翌年に控え、全斗煥(チョン・ドファン)の軍事独裁政権は「北の脅威」を言い立てて「北風」を煽る政治を強めていた。 「コリアン・ポリティクス」編集長の徐台教(ソ・テギョ)によれば、朝鮮半島には、分断による危機を理由に正当化された抑圧と暴力、軍事文化をさす「分断
2017/6/15 17:12 大塚一樹 Twitterに投稿されたある動画が話題になっている。この動画は瞬く間にネット上に拡散され、当日の夜には当該の学校に問い合わせの電話が殺到、翌13日には当該の男性外部コーチが解雇されるという事態になった。学校教育法第11条において禁じられている行為が未だに横行するのは、単なる暴力を「体罰」と表記するからではないだろうか? 文=大塚一樹 繰り返される“体罰”問題車座になって座る選手たちの視線の先にはコーチと一人の選手。会話の内容までは聞こえないが、選手に詰め寄ったコーチが頭を何度も小突く。話しているうちにヒートアップしてきたのか、みぞおちへ強烈なパンチを数度見舞い、しまいには頬にビンタを張る―――。 動画を確認すると、一人の選手に対して目を覆いたくなるようなひどい暴力行為が加えられていることがわかる。なぜここまでしなければいけないのかと思うのだが、
〜お断り〜 下記の文章は明確なデータも示していないですし、「東京にいる人=日本人」という図式で考えており、日本人の概念をしっかりと考察していないので、軽い感じで読んでくれればと思います。 ーーーー 僕は現在23歳ですが、これまでの人生の大半を中国で過ごして来ました。年でいうと3歳から19歳、16年間に渡る中国生活でした。1歳から3歳までは日本で暮らしていましたが、何の記憶もないので、実際の日本での生活歴は4年ぐらいです。血統的には日本と中国のハーフですが、自分は日本人であると自覚しているし、日本人学校に長く通っていたので、文化的にも日本人です。ですが、4年前に日本に帰って来てから、常に違和感がつきまといます。 「日本人が怖い」 日本に来た外国人の多くは日本人は親切で、とても素晴らしい民族だと言います。僕も夏休みなどでたまに日本に帰国していたときは、日本という国を楽園であると考えていました。
『天地明察』や『マルドゥック・スクランブル』で知られる作家、冲方丁(うぶかた・とう)さんがこのほど、自身の留置場生活について書いた手記『冲方丁のこち留 こちら渋谷警察署留置場』(以下『こち留』、集英社インターナショナル)を出版した。 冲方さんは昨年8月、東京都内のマンションで、妻を殴ってケガをさせたとして、傷害容疑で逮捕された。人気作家による「DV事件」として、当時大きくメディアで報じられたが、冲方さんは一貫して「身に覚えがない」と主張。9日間の勾留を経て釈放され、同年10月に不起訴処分となった。 『こち留』では、勾留中のことをユーモアと皮肉を交えながら、こと細かく描いている。さながら人気作家による「留置場マニュアル」ともいえる本の中で、冲方さんは、留置場の実態や警察の取り調べを「笑うべきもの」とつづっている。留置場でどんなことを考えたのか、冲方さんに聞いた。 ●「長年の慣習にしたが
2016 - 02 - 19 児童相談所に我が子が一時保護された時の話をしよう。 子育て 社会・考え方 読書 list Tweet Share on Tumblr 「児童相談所」と聞くと、どんなことを思い浮かべるだろうか。 ・荒れている家庭、子供 ・親と子供を引き離す権力がある ・幼い子供が亡くなる悲しい事件 あまり良いイメージを浮かべる人は多くないと思うし、子供を持つ親であればなるべく関わらないでおきたい存在だろう。 そうは思っても、ひょんなところから児童相談所は出てくる。場合によっては子供を一時保護されることもある。そんな時にパニックにならないように、私が実際に体験したことを書いてみようと思う。これから子供を育てる人にも、「児童相談所なんてうちには無関係!」と思い込んでいる人にも、是非読んでほしい。 はじめに書いておくと、我が家は児童虐待を疑われたものの、実際は突発的な病気だった。聞い
経済的独立すなわち自由は、世の中の仕組みを正しく理解し、最適な人生の戦略をデザインすることで、もっとも確実に達成できる。 世の中(世界)はどんな仕組みで動いているのだろう。そのなかで私たちは、どのように自分や家族の人生を設計(デザイン)していけばいいのだろうか。経済、社会から国際問題、自己啓発まで、さまざまな視点から「いまをいかに生きるか」を考えていきます。質問も随時受け付けます。 橘 玲の最新刊『幸福の「資本」論 あたなの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』好評発売中! 「幸福な人生」を送るために幸福を定義すると基盤となるのは3つの資本。その組み合わせで8つの人生パターンが考えられる。あなたが目指すべきはどの人生パターンか? ダイヤモンド社から発売中!(1,650円 税込) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【DIAMOND PREMIU
配偶者の暴力(DV)を受けている被害者を守るDV防止法が成立し、15年目に入りました。法は改正を重ね、救済の道は広がってきました。女性だけでなく、男性が被害を訴える事例も増えているようです。DVの現状と課題について、2回にわたって取りあげます。 「稼ぎが悪い」「バカがうつる」 東京都内に住む自営業の男性(45)が、2年余り受け続けた妻からの暴力を明かしたのは3年前の夏だった。妻から逃れて自宅を飛び出すと、警察官が立っていた。 「どうしました?」 男性は重い口を開いた。 前夜、酔って帰宅した妻の携帯電話にメールが着信した。差出人は知らない男の名前で、直前まで会っていたことがうかがえる内容だった。気配で目を覚ました妻が「携帯を返せ」と飛びかかってきた。服を引き裂かれながら近くの公園へ逃げ、一夜を明かして帰ると妻は再び逆上。その騒ぎを聞いた近所の人が110番通報をしたのだった。 1歳上の妻とは2
■勝部元気氏による問題提起5月30日に始まる勝部元気氏(@KTB_genki)のドッジボール批判が、大反響をよんでいる。議論の全体像は、氏のブログ(ドッジボール、学校での強制参加を禁止にするべきでは?)を読むのがよいだろう。 勝部氏のドッジボール批判は、私なりの表現で端的にまとめるならば、「ドッジボールという種目は直接的な身体への攻撃性をともなっている。だから、体育でのドッジボールを選択制にして、心身への外傷を避ける道を用意すべきだ」というものである。 私の見解を先に言うと、勝部氏の問題提起はきわめて重要であるものの、選択制については慎重に考えたいというものである。以下、氏のドッジボール批判を受けて、私なりにデータをくわえながら、ドッジボールのあり方について検討していきたい。 ■ドッジボール批判の意義勝部氏のドッジボール批判のなかで、私がもっとも重要な意義をもっていると思うことは、スポーツ
「ドッジボールの教育現場での強制・半強制を禁止にするべきではないか」というつぶやきをTwitterで行ったところ、大変たくさんの方々から賛否両論を頂戴できました。 ドッジボールという弱い者イジメを禁止にするべきでは? http://togetter.com/li/828700 改めて、ここではわたくし考えを簡潔にまとめさせて頂きたいと思います。 まず、ドッジボールは、運動エネルギーを相手の身体にぶつけることが許容されており、その意味では、ボクシング・柔道・剣道などの格闘技に近い要素がある競技です。それにより、以下3つの特徴を有していると考えられます。 (1)運動能力の弱い側に生じる恐怖心や心的外傷の特異性 「運動エネルギーを相手の体にぶつける競技」では、運動能力や体格の差による影響がモロに出てしまいます。それゆえ運動が苦手な人は恐怖心に苛まされやすいなど、子供の心に大きな傷を与える可能性が
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く