どのような映像作品であれ、それは単なるカットの積み重ねではなく、実際に僕たちが見ることのない部分も含めた、統一された世界を前提として作られています。そのこと、つまり「実際に見ることのない部分」を想起させ、また、それぞれのカットが「統一された世界」の出来事である、ということを表すのが効果音あるいは音響効果の役割であると言えるでしょう。普段意識することは少ないですが、効果音は常に作品の中に存在し、作品世界の「現実」を支えています。 全く逆の使い方も考えられるでしょう。例えば音声の一貫性を放棄し、断片化された音と映像を対立させることで視聴者に違和感を覚えさせる「ソニマージュ」の手法では、僕たちが無意識に判断する「音声と映像の一致」が批判の対象となります。 このように、音声の使い方はそれ自体がひとつのドラマとなる可能性を持っています。今回はそのことに対して自覚的であると思われる作品『神霊狩/GHO
