秋山兄弟生誕地 好古騎馬像 秋山好古(陸軍大将従二位勲一等功二級) 好古は、大正9年12月28日陸軍の最高幹部の一つである教育総監兼軍事参議となり、大正12年3月31日付で予備役、元帥に推薦されるがこれを辞退した。(元帥になろうと思ってもなれない、これを辞退したのは好古が最初で最後である) 明治天皇は、元帥を辞退した好古に特旨を以って従二位を与えた。 そして故郷松山の強い要望を受けて北豫中学校長として単身で赴任した。 好古騎馬像である。 好古は、銅像建立の如きは最も好まなかったもので生前から常に極力拒絶してきた。 将軍を北豫中学校長に迎え入れた井上要氏は将軍の死後、生前の高徳を慕い同志とはかり自ら建立委員長となり銅像製作を東京の彫刻家、横江嘉純に依頼設計共々一任した。 像は最初立像の予定であったが、「騎兵の秋山か」「秋山の騎兵か」と言われた将軍の銅像を馬から下ろす事は、好古の真面目と真骨頂