パッと思いつくのを挙げると、 ・天津飯 ・飛影 ・サザンアイズのパイ ・トイストーリーのエイリアン ・三つ目がとおるの主人公 これくらいしかいない。 三つ目ってもう流行りじゃないから? それともキモいから? もっと三つ目キャラクターいてもいいのに、寂しい
一応今も仲良くしてるものの、女親2人っていうのがしんどくて家を出た。ビアンって言えとか主張は各々あるだろうけど、ここではレズって書く。 登場人物は 自分→女でノンケ 親1→レズのメンヘラで血が繋がってる 親2→レズのモラハラで血が繋がってない 特殊すぎて身バレしそうだから多少フェイク混ぜます。 レズカップルの家庭って言うと「お母さん2人だね」っていい話し風になるんやけど、提供者の精液をスポイトでぶち込むみたいな方法で親1の腹から生まれたので、自分の感覚としては母親+同居してる女の人って感じになる 結局は産んだ方と接する機会が多いし、「母親が2人ですよ」って言われても意外とピンとこなくて、同じように甘えたりはできない。かといってもう1人からは父性みたいなのも感じないから父親代わりじゃないな、みたいな? 家族ってある程度は本能で理解するのであって、理屈じゃないんだなと保育園くらいから思っていた
告発をする人は前提的に「被害者」です。止むに止まれず告発をする。すでに精神的にダメージを負っているところに加害者やその周辺からの圧力があり、SNS等で二次加害にも遭う。だからわれわれは被害者にそれ以上を望むべきではない。あとは周囲の問題、つまりわれわれがどうするかだけが問われる。 われわれが告発に沈黙している時、その文化は被害者を黙殺した上に成り立っている。悪がなされているのに、その悪を糾弾もせず、見過ごしたまま、被害者の尊厳を踏みにじりながら「映画とは」「批評とは」と呑気に語っている。その浅ましさや醜さへの自覚がありますか?その言説に意味はありますか? 告発された映画作家と批評家として付き合い併走してきた人もいる。その人が作家を擁護すべき根拠があるならそれで構わない。でもそうでないならば「間違いだった」と表明すべきです。それだけで救われる被害者が沢山いる。あなたの沈黙が被害者をどんな孤独
「たまに取り出せる褒め」 ふとした時に懐から取り出して、にんまりと心を温める、誰かに褒められた記憶のストック。 そんな記憶は他人のものでも、どういうわけか嬉しくなってしまうものなのである。 ※この特集はご応募いただいた「褒められたエピソード」を漫画にしたものです。 たまに取り出せる褒め ももさんの場合 【作者よりコメント】 私はかねてより子どもが嬉しがる時にぴょんぴょこ跳ねる姿が可愛いなと思っていたので、 そんなぴょんぴょこの中心にいられたということが、とてもうらやましく、そして自分のことのように嬉しく感じました。 言葉にして褒められるということはもちろん嬉しいですが、このように態度で示された褒めというのも、混じりっ気のない素敵さがあるもんだなと思い知りました。 自分の人生は自分が主人公であるということを、ともすると忘れてしまいがちですが、あまりに自分が主人公であった瞬間の思い出は、とても
タレント、ヒコロヒー(33)が31日放送のテレビ朝日系「キョコロヒー」(月曜後11時45分)に出演。路上で助けた女性から衝撃の一言を言われた出来事を明かした。 番組では最近起こった〝事件〟を報告。バイきんぐの小峠英二(47)に飲みの誘いを受けたというヒコロヒー。店に向かう途中にミニスカート姿で立っていた若い女性に酔ったおじさん二人組が「パンツ!パンツ!」とヤジを飛ばす場面に遭遇。ヒコロヒーは「一滴だけある正義の血をちょっとだけだして、『よくないっすわ。見ながらニヤニヤして気持ち悪いです』」と注意したが、酔ったおじさんたちは「普通にしゃべってるだけじゃん」などと反論。さらにヒコロヒーが「女の子も怖がっているし、やめてあげてください」と語気を強めると、助けたはずの女性が振り返り「ビビってねぇから!」とまさかの一言。 おじさんからも女性からも文句が出た状況に困惑したヒコロヒーは「今この瞬間、なん
私は同性愛者の、身体の性別も心の性別も女です。私の恋愛対象は女性で、現在同じく女性の彼女(いわゆるパートナー)がいます。 カミングアウトはしたりしなかったりです。 聞かれてもお互い負担がなさそうな人には答えてます。 特に隠してもなければ、積極的にカミングアウトもしてません。 (プレッシャーに感じる人もいるだろうから実際は本当に数人にしか言ってない気がします。あといざという時に連絡とか命に関わるかもしれん極一部の会社関係者くらい) あくまで一個人の、同性愛者という側面をもった一人の一般人の愚痴として残しておくために書きます。 かなり私情もあるし、全員が全員そうだという風には捉えないでほしいという前提で読んでもらいたいです。 水星の魔女は2人で仲良く最後まで見ていました。 元からそういう要素があるから興味をもっていたわけでもなく、当時お互いに別のロボットアニメにハマっていたのでその延長で見てい
これはいま、おれの中にひとつわりと明確な答えがあって、それは "スーパーセンタートライアルに向かう途中の田んぼ道"です おれの住んでる田舎は、市の人口5万人とかなんで、かなりザコいんだけど、24時間営業のスーパーセンタートライアルを抱えている そんで俺はそっからチャリで5分程度のとこに住んでいる そうすっと、夜10時からでも、思い立ったらチャリに乗って、でけえスーパーで買い物ができるわけですよ まずこれはひとつの文化資本と言って良い スーパー って博物館だからさあ! そんで、そこまで行く途中の道、これもまたいいわけ 中規模の川が近くにあるから、いまの季節、サワガニが地面を這い回っているんですよ まず、玄関からチャリまで歩く過程で、スマホのライトに照らされて、聞き取れるくらいデカい足音を立ててカニが逃げる、おれはウオっと思ってちょっとのけぞる、こういう体験が、よくわかんねえけど、ひとつの原体
#1 #2 「ヨーロッパでは失敗した」とは? ヨーロッパを例にして移民の反対論を展開する論者もいる。それはヨーロッパでは、移民・難民の受入れによって社会が混乱しているというものだ。 メディアでは、ヨーロッパの状況について「移民・難民」とひとくくりにされることが多いが、移民と難民はまったく性質が異なる。 移民は政府がその国に必要な働き手等として正規に入国を認めた人たちであり、彼らの入国を問題視する国はない。一方、難民や非正規の移民の対応にはヨーロッパは苦慮している。 その理由の一点目は、予測不可能な大量難民の発生である。アフリカ、中東諸国での紛争の発生によって、大量の難民が流入する危機がある。国内の政治の不安定化に加え最近では気候変動による難民の増加も起こっている。 つまり、ヨーロッパ各国が計画的に受入れを望む移民以外の流入、しかも各国の受入れ許容量を超える数の大量流入にヨーロッパは苦労し、
Af @Sz73B 6月のフランス大暴動に関するフランス人の話で、実際に暴れた当事者には移民2世など10代の若者が多かったが、暴動に対する警察の増員で貧困街にも警察が増えた結果、麻薬ビジネスができなくなったマフィアが暴動の中止を若者に呼びかけたとあって、あまりに最悪の理由で逆に面白い。 Af @Sz73B 少し前は移民2世で定職に就けない若者をテロ組織が吸収してたのが、最近は世界的な麻薬ビジネスの隆盛で麻薬組織の末端に吸収する例が増えてるようで、フランスでもそうした若者が急増してるとのことで、治安が悪すぎる。
白目みさえ🥚臨床心理士・公認心理師/漫画家 @misae_yjm 子どもの時 格式高そうなお宅でとってもお高いお茶を出してもらった時に ボソッと 「お吸い物の味がする」 って言ったら そばに居た祖母(魔女)には 「何言ってんだ馬鹿舌だね」 って言われたんだけど そのお家の人は 「それは旨味だよ。 小さいのにわかるのすごいね」 って言ってくれたのね 白目みさえ🥚臨床心理士・公認心理師/漫画家 @misae_yjm 今思えば私がお茶を好きになったのってそれがきっかけだったと思う その時期にお吸い物の味がするお茶としないお茶を飲み比べてみたりして 子どもだから「私はお茶の味がわかる選ばれし人間なんだ」って思ってて(笑) そういう小さな自信が未来につながって行くんだなぁと改めて思う
もちろん『水星の魔女』は意匠としての百合を利用しただけであってクィアにコミットしようとしたわけではない。また百合も主題というよりは本来の主題の副産物として導き出されたものではなかろうか。本来の主題が何かといえば、訴求力の強いテレビシリーズとしては初の女性主人公のガンダム、というところである。ただそこで、それでは主人公の傍らに配するパートナーをどうしようか、という問題が浮上した。そこでパートナーを男性にしてしまう、という選択肢ももちろんありえたのだが、女性にしてしまった。その結果が百合というフォーマットの採用である。そのように考えるならば、女性を主人公、エースパイロットにするという点では性別役割批判として革新的だが、サポート、バックアップ担当のパートナーもまた女性にしてしまったという点では、むしろ不十分だった。こういう意地悪な見立てもできる。海外クィア勢からの率直な支持に比較したとき、国内ク
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