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大阪と文化に関するobsvのブックマーク (6)

  • 【地元自慢マンガ・凸ノ編】大阪の極私的激アツスポット「国立民族学博物館」をあえてオススメしたい #ソレドコ - ソレドコ

    全国津々浦々、地元民だけが知っている「その地域ならでは」の魅力を知りたい……!! そんなわけで、マンガ家さんによる「地元のここが自慢!」連載をスタート! 漫画家さんがリレー形式で、自分の地元の推しを紹介します。 記念すべき第1回目は、大阪出身の凸ノ高秀さん。観光スポット盛りだくさんな大阪で、正直あまりメジャーではない……けれど最高の推しスポットを紹介します! 【地元自慢マンガ】 第1回:大阪・凸ノ編(この記事です) 第2回:群馬・井田ヒロト編 第3回:神奈川・鎧田編 大阪で個人的にめちゃくちゃアツい場所、それは「国立民族学博物館」 凸ノさんの推しは「国立民族学博物館」でした。常設展示では世界を9つに分けて世界一周できる地域展示、音楽と言語を通して世界の民族文化を通覧できる通文化展示があります。じっくり見るには1日かかる(!)くらいの広さ&濃密さなので、時間には余裕を持って訪れるのをおすすめ

    【地元自慢マンガ・凸ノ編】大阪の極私的激アツスポット「国立民族学博物館」をあえてオススメしたい #ソレドコ - ソレドコ
  • 橋下大阪市長、止まらぬ批判 「勉強不足では」文楽関係者も困惑顔+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    大阪市の橋下徹市長の文楽批判が止まらない。27日には「人形劇なのに(人形遣いの)顔が見えるのは腑に落ちない」、前日には人気作「曾根崎心中」を批判するなど、わずか観劇2回で、文楽の様式や作品内容にまで発言がエスカレート。文楽には、人形遣い個人の魅力を楽しむため江戸時代から顔をみせるようになった歴史がある。観客動員の努力不足などを指摘する橋下市長の発言に一定の理解を示す文楽関係者らも「勉強不足では」と不信感を募らせている。(亀岡典子) 橋下市長が国立文楽劇場(大阪市)で文楽を鑑賞したのは26日夜。その後、竹源大夫さん(80)ら人間国宝の楽屋を表敬訪問した後の記者会見で、「『曾根崎心中』の脚は昭和30年に作られたそうだが、ラストシーンがあっさりしすぎ。ファン獲得のために演出を考え直すべきだ」と批判。記者の「文楽のほとんどが江戸時代に作られた。それでも見直しが必要ですか」との質問に、橋下市長は

    obsv
    obsv 2012/07/28
    文化行政の見直しには反対しないのだが、取捨選択は橋下市長の好き嫌いではなく、もっと多くの立場の人の議論を経てからにして欲しい。
  • 中之島図書館を廃止へ 橋下市長と松井知事 - 47NEWS(よんななニュース)

    苦しんできた就職氷河期世代を支えたい ひきこもり、親の高齢化、心身不調の40-50代…官民連携で支援充実

    中之島図書館を廃止へ 橋下市長と松井知事 - 47NEWS(よんななニュース)
    obsv
    obsv 2012/06/20
    単なる建築物として価値があるだけでなく、図書館として建てられて今も図書館である建築物として価値があるのでは?文化の象徴として大阪の中心に置くには図書館は他の何よりも相応しいと思うのだが。
  • 日本最大級の遊郭の建物が今も150軒以上残る「飛田新地」に行ってきました - GIGAZINE

    大阪市西成区の「飛田新地(とびたしんち)」には日最大級の遊郭が残っており、「鯛よし百番と飛田新地」によると「難波新地乙部遊郭が1910年に全焼したのを受けて、1916年に飛田遊郭が生まれました。1912年に完成した旧通天閣を中心とした新世界は、第1次大戦後の好景気で大いににぎわいます。新世界からほど近い飛田遊郭も昭和初期には200軒を越える妓楼が軒を連ねます。戦災でほとんどの店は消失しましたが、再び赤線としてよみがえり、1958年の売春防止法以後は料亭に転じたことで、現在もなお、伝統的雰囲気を色濃く残す街並みとその営みが保たれていますとのことで、非常に貴重な建物が多く残っており、実際にこの地域の最も古い建物であり、料亭でもある「鯛よし百番」は国の登録有形文化財にも認定されるほど。 なので、どのような建物が残っている町なのかを実際に見に行ってきました。 「飛田新地」と呼ばれるエリアは大阪

    日本最大級の遊郭の建物が今も150軒以上残る「飛田新地」に行ってきました - GIGAZINE
    obsv
    obsv 2012/05/22
    ここは『公然の秘密』らしいが、写真を掲載して大丈夫か?そして「見て見ぬふり」をされてきたために、往年の日本の佇まいを保ち続けてきたとは皮肉だな。果て、この地域を認めるべきなのか、そうでないのか…?
  • 大和総研 / コラム(2005年5月23日):お笑いの呪い…大阪復活のカギとは

    「資源の呪い」という経済用語がある。天然資源に恵まれた国は、逆に経済発展が遅れる傾向にあることを表している。モルカルチャー化された植民地経済が典型だが、輸出で儲かる資源産業が肥大化して他産業の成長の芽を摘んでしまうため、国全体でのバランスの取れた成長が困難になってしまうのである。 ヨーロッパ人入植後のアメリカで、欧州向け輸出商品のたばこや綿花のモノカルチャーが広がった南部よりも、特産品のなかった北部で商工業が発展したのもこのメカニズムで説明できる(この経済力の差が南北戦争の勝敗を決した)。 ところで、大阪の地盤沈下が叫ばれて久しい。セントレア開港、万博開催など元気な名古屋とは対照的に、大阪発のポジティブなニュースは少ない。深刻なのは、過去30年の間に大阪のイメージが変質し、都市の経済力の根源である「人を引き付ける力」が弱くなったことである(※1)。今、大阪といえば、騒々しい、コテコテ、ケバ

    大和総研 / コラム(2005年5月23日):お笑いの呪い…大阪復活のカギとは
  • 大阪は北大阪と南大阪では、雰囲気や文化が全然違うと聞きましたが。 - 違います。北は摂津の国で、中央が河内。南は泉州。明治以前は国が分... - Yahoo!知恵袋

    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1248506367 違います。 北は摂津の国で、中央が河内。南は泉州。明治以前は国が分かれていたので、文化も違います。 地下鉄の町駅周辺は、船場と呼ばれる商業の中心地域でした。船場は多くの商人が集まり、近江・京都出身者も多くいた地域です。《船場ことば》を話し、上方文化を牽引した地域でもありました。 摂津(淀川以北)や北河内(交野・枚方・寝屋川・守口など)は、古くは公家の荘園が。江戸時代には親藩や譜代大名、旗、幕府直轄地が混在する地域でした。京都へ抜ける道であったので、言葉も摂津言葉や河内弁に京都の町衆言葉が混ざっています。(北河内では河内弁・京言葉・奈良言葉が混ざります。現代では九州出身者が多いのも特徴です) 河内は古くから奈良へ抜ける道として栄えました。古くから職人集

    大阪は北大阪と南大阪では、雰囲気や文化が全然違うと聞きましたが。 - 違います。北は摂津の国で、中央が河内。南は泉州。明治以前は国が分... - Yahoo!知恵袋
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