ハット・リバー公国(Principality of Hutt River)は、レオナード・ケースリー(英語版)が独立国と主張していた、オーストラリア大陸西部の広大な小麦畑を中心とした地域である。 ハット・リバー公国の地図。 1969年10月、西オーストラリア州政府が小麦の販売量割当を決定した際、ケースリーの農場に割り当てられた販売量が十分なものではなかったため、他の5つの農場と連携し政策に反対し、西オーストラリア州総督のダグラス・ケンドルーに法案撤回の請願書を提出した[2]。しかし、請願書は無視され、さらに州政府が地方の農地を取り返す権利を認める法案の審議が進められたため、ケースリーは「経済・土地が奪われる危機に瀕した際には分離独立することが出来る」という国際法の規定に基づき独立の準備を進めた[2]。 ケースリーは「販売量割当の修正または2万オーストラリア・ドルの補償金が支払われない場合、