吉田松陰は、数え方にもよるけどわずか1年あまりの短期間に、明治維新を実現する多数の人材を生んだことで知られる。その人材育成法は、私が思うにソクラテスの「産婆術」そのもののように思う。 そのコツは恐らく、牢獄の中でつかんたのではないかと思う。 松陰は11歳の時に藩主相手に講義するという天才ぶりを発揮した人物だし、全国を旅していろんな見聞を広め、読書も並大抵のものではなかったから、誰よりもたくさんの知識を持っていて、誰に対しても「教える」ことができた人。しかし。 野山獄では「教える」のではなく「教えてもらう」という姿勢を貫いた。正確には「共に学び合う」と言った方がよいか。牢獄に閉じ込められた囚人たち一人一人の長所を大切にし、それぞれを「先生」として、松陰自身も生徒として学ぶ姿勢をとった。すると牢番まで一緒に学ぶ教室になってしまったという。 松下村塾でも、野山獄でとった手法を採用した。自分一人が