2010年01月01日02:15 カテゴリテレビジャーナリズム NHKは神社仏閣より偉いらしい 謹賀新年 年明けそうそうまたもNHKの話題であるが、「紅白」に続く国民的行事が「ゆく年くる年」である。紅白の喧騒の音声レベルを5秒間ゆっくりフェイド・アウトし、さらにフィラー(大体は鐘楼の俯瞰)の5秒間をみせながら、音声をフェイド・インし、音が最高レベルに上がったところで、「ゴーン」と鐘の音が入る。国民は「紅白」の余韻と炭酸ガスの煙の演出と同時に、画面が「ゆく年くる年」の静寂との格差を楽しみ、最初の鐘の音で一年の終わりという時間軸を認識する。この「紅白」から続く一連の儀式が、毎年繰り返されることで、何かしらの安心感を持つ。この仕組みが、実は大変な作業であり、文化を創っている。しかし、それはNHKによって作られた「擬似文化」であり、もっといえば「擬制」の貫徹である。そのようにして、戦前の軍国主義も
2010年の「911」 2010年9月28日 国際情勢カルチャーメディア コメント: トラックバック (0) フィード国際情勢カルチャーメディア (これまでの 小田切博の「キャラクターのランドスケープ」はこちら) 当たり前だが、今年も9月11日がやってきて、そして去った。 2001年の9月11日に起こった「同時多発テロ」事件以降、この日付は一種の象徴めいて語られるようになっている。しかし、実際のところ今年も9月11日当日にはアメリカで多くの追悼式典がおこなわれた以外に何か特別なことがあったわけではない。むしろ、この日に焦点をあわせるかのように伝えられたいくつかのニュースが2001年以降の世界の変化を反映していたように思う。 映画やテレビ、コミックスなどのアメリカの大衆文化に対する「911」の影響を論じた論文を集めた論集『Reframing 9/11: Film, Popular Cultu
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka 議論ができない困った人の特徴(1)私は以前の議論の倫理でも発言しましたが、議論は生産的であり建設的であるべきだし、それに参加する人に時間の浪費と思わせてもいけないし、尊重しながら議論の内容に焦点を絞って対話をすべきという議論の倫理に対する体系を示しました。 2010-09-28 01:41:29 瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka 議論ができない困った人の特徴(2)議論ができない人も多様であり、様々なタイプの人がいらっしゃるわけですが、私が出会ったことがある、議論ができない困った人を中心に分類しておこうと思います。このような人の特徴を踏まえておけば、時間の有効活用に役立つと思うからです。 2010-09-28 02:00:28
覚せい剤をパートナーに投与して異常をきたしながら、救急車を呼ぶこともなく死に至らしめたタレントの事件については、うんざりするほど報道されているので、知らない人はいないだろう。この事件の悪質性――証拠隠滅や他人への責任転嫁、不合理な言い逃れなど著しい反倫理性を考慮すれば、ほとんど殺人にも等しい非難に値すると見る人も多いだろう。2年6カ月というあまりにも軽い量刑には、遺族ならずとも意外に感じるに違いない。実際、私自身もそれに近い印象を持った。 しかし裁判員は、専門医師の間でも、被害者を救命できる可能性の判断が大きく分かれた点を重視して、遺棄致死罪を認定しなかった。これは、裁判員たちが感情に流されず、あくまで証拠に基づいて理性的に判断したことを示している。この範例は、裁判員制度が定着してゆく歴史において、記念すべきものとして記憶されることだろう。その歴史的意義は決して小さなものではない。 厳しい
北大の旧友からの電話で、花井一典氏の急逝を知らされた。24日に北大文学部でお別れの会があった。北大へは、ほぼ20年ぶりである。 花井氏(以下敬称略)は、知る人ぞ知る中世・古代哲学者である。わたくしとは大学同期で、言葉に尽くせないほど彼にはお世話になったのだが、ここ15年ほどはほぼ絶交状態が続いていた。どうしてこんなことになってしまったのだろうか? 花井は、天才的な語学力とたぐいまれな学識にもかかわらず、本人自身には全くそんな自覚は思いもよらないものだった。それは、彼が言語と思想の本当の深みについてあまりにも通暁していたために、自分の学識を、それに比してごく控え目なものと認識していたからである。 彼は本格的な学者によくある偏屈さのために、世渡りが器用と言えるものではなかった。そのためか、彼は就職の面でも他の同僚よりずっと不運であったと思う。花井の恩師であった斉藤忍随先生が急逝されたことも(1
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4869360.html 町の人がドラえもんを受け入れているのは何故? ドラえもんはいつも のび太くんと一緒に町を歩いています。 でも普通、町の人がドラえもんを見たら 「・・・・え?・・・ロ、ロボットがは、は、は、はなしてる!!!!!」 と驚くと思うんですが、 なんで無条件で町の人たちは ドラえもんを受け入れているの? ※回答が閉め切られていて、またgooIDを持っていないのでこっちに描きました。 「それでは逆にお聞きしますが、 わたしたちの世界で街中でなぜ女性が普通に太ももを出すような服を着ていてそれを受け入れているのは何故? 奈良県内で、街中を鹿のような野生動物が闊歩していて平気なのは何故? 神戸や山間部に近い都心部では、日常的にイノシシが出ますが、それに対して平気なのは何故? 猿が出る地域で平気で猿を受け入れているのは何故? ま
シンポジウム 《シオニズムの解剖――現代ユダヤ世界におけるディアスポラとイスラエルの相克》 ◆日時:2010年10月9日(土)、10日(日) ◆会場:東京麻布台セミナーハウス(大会議室) 東京都港区麻布台1-11-5 TEL: 03-3582-2922 地下鉄日比谷線・神谷町下車E1出口(桜田通りを東京タワー方面へ徒歩3分) ◆主催:大阪大学グローバルCOE「コンフリクトの人文学国際研究教育拠点」 共催:東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」(UTCP) 後援:京都ユダヤ思想学会 ◆参加無料・事前登録不要 --------------------------------------------- ◆概要 イスラエル/パレスチナ紛争は、現代世界が抱えるもっとも困難なコンフリクトの一つである。本シンポジウムでは、紛争の一方の当事者であるユダヤ人社会内部に見られる多様性
「SNAC」「SNAC」は、作家のマネジメント業務を中心に、展覧会の開催、プロダクトの制作、関連書籍の出版など幅広い活動を行ってきた「無人島プロダクション」と、「グルーヴィーな身体」をキーワードにあらゆるジャンルの最先端パフォーマンスを“X”クロスさせてきた「吾妻橋ダンスクロッシング」が共同でプロデュースを行います。 現代美術/パフォーマンス、プロダクション/イベントと、主とするフィールドの異なる両者がそれぞれ特徴を活かすとともに、お互いの活動が重なり合うことで新たな価値を生み出す場として運営してまいります。 コンセプトSerendipityNewAccidentsClub※セレンディピティ(英語:serendipity)は、何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く