※つづきのエントリーも書きました。こちらも参考になさってみてください。 「タクティクスオウガ 運命の輪」 北米版のススメ - はてな読み 。o○★○o。。o○★○o。。o○★○o。。o○★○o。。o○★○o。。o○★○o。。o○★○o。。o○★○o。 北米版をプレイしとります。1周目の第2章Cルートでヴァレリア解放戦線のメンバーが仲間になったあたりです。 (空気を読まないカチュア姉さんの図) ということで、日本版との違いなど書いてみようか、と。 まず、日本版で不満なところをサラサラっと振り返っておきます。 (日本版の不満なところ) 【1】レベルアップボーナス これが上がりすぎるため、最初からいる汎用キャラ>後発の顔キャラとなってしまいます。そのため、「職縛りしたうえでの基礎ステ上げ」といった対策が生まれました。ただし、それはあくまでユーザーの「工夫」。旧作の石投げトレーニングも「工夫」でし
普通は興味のないサイトについては「話題に出さない」というのが一番まっとうだと思うので、Facebookが嫌いなら無視をすればよいのですが、どうも場合によっては、Facebook is the internet.となってしまう可能性がなくはないので、一応書いておこうと思う。 前のエントリーにも書いたが、僕が好きなパソコン通信(含むインターネット)は、実名や学歴とか言う社会通念上のハンドル名、ブランド名に依存するのではなく、仮想的なハンドルの元(できる限り個が同一の)で、日常では言えないような、本音を語り合いながら付き合える世界が好きなので、実名や学歴に基づいて発展してきたFacebookが常識になってしまうのは困る。 最近の流れ上、facebookがセカンドライフになぞらえて語られることも増えたが、セカンドライフは明らかに技術が見合わなかったことに対して、Facebookはまっとうなので、同
先日のエントリ、規則を守れ厨の増加が意味するものは、ネットのフロンティア時代の終わりかもしれないへの反応を見ていると、Facebookに不満があるなら、第二のFacebookを自分で作ればいい(それができないのに使っておいて文句を言うな)というのが目についた。私は、プログラミングできないので、このウェブ社会においてクリエーターにはなりえない人間だけど、Facebookを作れないならFacebookに変わってほしいと発言もするなとは、ずいぶん抑圧的な考え方だと思う。ある主張に対してお前は同等のものを作れるのかとか、作ればいいじゃないかとかを反論に持ち出すのは(特に、Facebookのようなそうそう簡単には作れないものに対して)ちょっと違う気がしている。 プログラミングができる人で、技術的にFacebookが作れる人はある程度いるだろうが、現在のような世界中で利用されるSNSにまで育てることが
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