1924年に脱稿、1925年に刊行された本作はフィッツジェラルドの最高傑作とされ、アメリカ文学史に残る傑作とされている[1]。当時フィッツジェラルドは、作品の主要舞台となるロングアイランド、グレートネックにて不羈奔放な生活を営みつつ本作を書き上げた[1]。すでに『楽園のこちら側』(1920年)や『美しく呪われた人』(1922年)などで、第1次大戦後のアプレゲール文学の旗手として青年読者層を中心として高い評価を得ていたフィッツジェラルドであったが、戦後ニューヨークの中で成り上がる田舎青年の軌跡を、一抹の皮肉と心からの賞賛をもって凝縮された散文で書き上げた本作も高い評価で受け入れられた[1][2]。フィッツジェラルド自身は後に本作について、「ほぼ1年分の仕事ではあったが、自身は10年分の進歩を得た」と語っている[1]。 タイトル名の『グレート・ギャツビー』は当初、ローマの文筆家ペトロニウスの書