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文学に関するsikusikuのブックマーク (4)

  • もっとまじめに「走れメロス」

    国語か道徳の教科書で一度はお目にかかるこの作品。 みなさんは太宰治の短編「走れメロス」にどのような印象をいだいているだろうか。 角川文庫から出ている『走れメロス』の背表紙ではこう評されている。 「身命を懸けた友情の美しさを描いて名高い」 少なくともきちんと大人になって再読するまで僕はこの作品にこういう感想をもっていたし、おそらく多くの人がそうだと思う。 すなわち精悍な主人公が友情のために命を投げ出す美談として。 しかし疑問に思ったことはないだろうか。 『人間失格』を書くようなあのナルシズムと自己嫌悪の間で揺れる大変いやらしい性質の作家太宰が、「身命を懸けた友情の美しさ」なんか描いて喜ぶもんだろうかと。 さて、最近になってこの短編「走れメロス」を再読して、僕は1つの確信を得た。 というのは、この作品は明らかに「バカ話」と意図して書かれている、ということなのだ。 そこで今回はこの作品がいかにバ

  • 村上春樹、「エルサレム賞」授賞式の講演要旨 中国新聞

    【エルサレム16日共同】作家の村上春樹さんが15日行った「エルサレム賞」授賞式の記念講演の要旨は次の通り。 一、イスラエルの(パレスチナ自治区)ガザ攻撃では多くの非武装市民を含む1000人以上が命を落とした。受賞に来ることで、圧倒的な軍事力を使う政策を支持する印象を与えかねないと思ったが、欠席して何も言わないより話すことを選んだ。 一、わたしが小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵のことだ。どちらが正しいか歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか。 一、高い壁とは戦車だったりロケット弾、白リン弾だったりする。卵は非武装の民間人で、押しつぶされ、撃たれる。 一、さらに深い意味がある。わたしたち一人一人は卵であり、壊れやすい殻に入った独自の精神を持ち、壁に直面している。壁の名前は、制度である。制度はわたし

  • 殿様に御苦労と言っていい、懸念される漱石、自分と違う他者に会え - 吹風日記

    今日も今日とて、「日語の乱れが懸念されて」います。目上に向かっての「御苦労様」、「一番最後」などの重複表現。これらはそんなに糾弾されるべき言い方なのでしょうか? 今日は、知ることは他者との出会いである、ということについて考えます。 おとぎ話の世界には、あらゆる事が起こった。恋があり、野心があり、裏切りがあり、決定的な出会いと決定的な別離があった。しかし渋谷美竹町の家と平河町の中学校との間を、毎日市電で往復していた私の現実の世界には、全く何事も起こらなかった。私は誰にも出会わなかったから、情熱的な恋に身を任せるはずもなかったし、従ってまた別れの辛さを味わうはずもなかった。中国大陸にはいくさがはじまっていたが、それは私の身辺には及ばず、革命は遠い神話にすぎなかった。私はただ中学校しか知らず、その中学校と私自身にうんざりしていた。 加藤周一『羊の歌』より 上記の引用文は、作家・評論家である加藤

    殿様に御苦労と言っていい、懸念される漱石、自分と違う他者に会え - 吹風日記
  • データベース ノーベル文学賞 : : 京都外国語大学付属図書館

    ノーベル賞は1901年に初めての賞が授与されて、2001年で100周年を迎えています。中でも文学賞は、戦争などで受賞者がなかった年、さらには複数で選ばれた年もありますが、受賞辞退者を含めて受賞決定者は2003年で丁度100人を数えました。 この文学賞では、受賞者に関わる国や地域に住む人たちの社会や文化を反映した作品を評価されることが多く、世界の人々の理解と平和希求に大きく貢献してきたものであります。 こうしたことから、図書館のこの所蔵データベースを通じて、多くの方々に「国と言葉の境界を越えて人々を結びつける世界文学」と言われるノーベル文学賞の受賞者作品を読んでいただければ幸いと存じます。 スウェーデンが誇るアルフレッド・ノーベル氏の偉業と栄えあるノーベル賞の伝統に敬意を表しながら。

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