ナタリー お笑い ニュース 「M-1グランプリ2024」決勝審査員9名発表 アンタッチャブル柴田、かまいたち山内、オードリー若林が初 「M-1グランプリ2024」決勝審査員9名発表 アンタッチャブル柴田、かまいたち山内、オードリー若林が初 2024年12月15日 13:50 4727 258 お笑いナタリー編集部
「ぐるぐるナインティナイン」(日本テレビ系)が放送30周年を迎え、番組MCを務めるナインティナインの囲み取材が先日、「ゴチになります!」の会場である東京・ホテルニューオータニで実施された。20代で始まり、「テレビというのものを教えてもらった」と岡村。矢部も、若い自分が大御所ゲストを迎えるのに不安を覚えることもあったが「でも必死のほうが勝っていた。もがいてた」と振り返った。 「ぐるナイ」は、1991年にスタートした番組「吉本天然素材」を前身に1994年4月に放送開始されたナインティナインの冠番組。日曜夕方、関東ローカルの放送からゴールデンタイム全国ネットに進出した。 以前は体を張る企画に挑戦していたが、「グルメチキンレース・ゴチになります!」でお茶の間の人気を集めることに。手応えを感じつつも、昨年放送された特番「24時間ナイナイアップデート!!」(同局)で挑戦したバンジージャンプに反響がなか
楢原 おめでとうございます……うーむ。 出井 ひとまずありがとうございます(笑)。 ――でも我々的には「やっと会えたね」という感じです。 楢原 辻仁成がミポリンに会った時みたいな気持ちですね。 出井 どんな感じ(笑)。 ――決勝前からインタビューオファーしておりました。本当は一昨年にしたかったくらい。 出井 えー、本当ですか。うれしい。 ――……今「文春オンライン」のオファーを受けていただけて、こちらこそうれしいです。 楢原 なに握ってるんですか?? 出井 僕らからコメントはないです! 何も知らない! 楢原 松本さんにはM-1でしか会ったことないから!! ――M-1決勝放送終了前に山田邦子さんが「(ヤーレンズは)今までどこにいたのよ?」とおっしゃっていましたが、どこにいたんですか? 楢原 ずっといたんですけどね。 ©深野未季/文藝春秋 出井 いたんですよね。 楢原 ここにいるよ状態で。 出
ウエストランドの優勝で幕を閉じた漫才日本一決定戦「M―1グランプリ2022」で、初めて審査員を務めたタレント・山田邦子の採点が、大いに話題となった。山田は決勝戦終了直後、よろず~ニュースの単独取材に応じ、審査やコメントの真意、大会全体への思いなどを赤裸々に語った。 【写真】M―1の第18代王者に輝き、喜びを爆発させたウエストランド 今年の審査員は、常連のオール巨人と上沼恵美子が〝引退〟を表明していたことで、例年以上の関心事となっていた。オファーを受けたのは「夏の終わり、秋の頭ぐらいだったかな」と明かし、緊張や重圧については「全然なかった」とサラッと答えた。 同じ女性芸人のレジェンドとして、上沼の後継者とも見られた。だが山田は「私は別に『上沼枠』だとも思えないし、まあ、顔のしゃくれ具合からすると『紳助枠』だったのかな?とも思いますけど」とニヤリ。「上沼さんは大先輩ですし、その後を私が務められ
タレント・伊集院光(53)が13日、東京・有楽町よみうりホールで行われた「三遊亭円楽・伊集院光 二人会」に出演。落語の師匠の三遊亭円楽(71)とともに高座を務めた。伊集院は17歳で円楽(当時・楽太郎)に入門し「三遊亭楽大(らくだい)」として活動していたが、ラジオ番組でのブレイクをきっかけに90年に落語から離れていた。約30年ぶりに落語を披露し「ドキドキワクワクは久しぶり」と語った。 2人はオープニングトークで登場。円楽は会場を見回し「こんなにだまされた人がいる。悪夢の時間になるかも…」と笑わせた。昼の部で伊集院は自身のギャグをたっぷり入れた「厩(うまや)火事」を口演し爆笑をさらうと、トリでは円楽が桂米朝作の人情噺(はなし)「一文笛」をたっぷり演じ、涙を誘った。 昨年、伊集院がパーソナリティーを務めるTBSラジオ「伊集院光とらじおと」に円楽がゲスト出演した際に、提案し実現。発売と同時に完売す
今、女性芸人の世界が揺れている。女性芸人といえば、当たり前のように「ブス」「デブ」「非モテ」をいじられ、そこで強烈なインパクトを残すことが成功への足がかりとされてきた。 しかし、持って生まれた容姿や未婚か既婚かどうかの社会属性などを「笑う」ことに対して、今世間は「NO」という意思表示をし始めている。「個人としての感覚」と「テレビが求めるもの」、そして「社会の流れ」。三つの評価軸の中に揉まれながら、女性芸人たちは新たな「面白さ」を探し始めている。 ◆ 「本当に今から会うのか」インタビュー会場である大分のホテルについてからも、不思議な気持ちは消えなかった。中島知子。2000年代のテレビバラエティで見ない日はなかった超売れっ子芸人。女性芸人たちの足跡を辿る当特集【女芸人の今】で、どうしても取材したかった一人である。 今は九州・大分を拠点にタレントとして活動しているという。会場に姿を表した中島は笑
サンミュージックに誘ってくれた“師匠”のひと言 波瀾万丈の1年だった。 年始には“ブレイク芸人の登竜門”と言われる「ぐるナイ 新春おもしろ荘」で優勝。5月には所属していた芸能事務所のお笑い部門閉鎖という憂き目に遭い、その後サンミュージックに移籍。そして年末にM-1グランプリで3位になって一躍全国区に。 そんな2019年を、ぺこぱのふたりはどのような気持ちで過ごしていたのだろうか? 松陰寺 大きかったのは2018年のM-1予選で、シュウペイがボケて着物姿の僕がツッコむというスタイルで準々決勝まで進んだんですよ。正直ネタも粗いし、全然仕上がってなかったにもかかわらず、切り口だけで結構いいところまで行けてしまった。 松陰寺太勇(しょういんじ・たいゆう)1983年11月9日生まれ、山口県出身。@yutamatsui1109 シュウペイ そこで手応えを感じて、敗退した直後にはもう切り替わってたという
多くの人はこちらのWikipediaの記事を参照していると思われる。 日本お笑い史 - Wikipedia この記事も踏まえた上で、実際に主だった芸人を「活動開始時期」や「人気が出た過程」で並べ、あらためて世代分けを考えてみたい。 芸名活動開始人気が出た年代備考横山エンタツ・花菱アチャコ1930年1930年代しゃべくり漫才の元祖。コンビとしては1934年に解散するが、それから60年代までラジオや映画などで活躍。アチャコは吉本の看板芸人となる。夢路いとし・喜味こいし1937年1950年代1949年ごろからラジオ番組『上方演芸会』に出演して名をあげる。いとしが亡くなる2003年まで漫才を続けて「上方漫才の宝」と称される。中田ダイマル・ラケット1941年1950年代1957年開始のテレビ番組『ダイラケのびっくり捕物帖』はテレビの「上方コメディ」番組の元祖。ザ・ドリフターズ1956年1960年代1
奇跡的に当選したため、M-1グランプリ2019決勝戦を観覧してきました。 三連単予想は「からし蓮根 かまいたち ぺこぱ」でしたが、個人的に一番応援していたのはかまいたちです。そのためどうしても彼らに寄った感想になってしまいますがそこはご了承ください。また主観のみで形成されている文章ですので、あくまで個人の感覚だということを忘れないで頂けると幸いです。(想像以上の反響に驚いています。より詳細に伝えるため、少しずつ加筆修正しています。) 前説が始まる前には審査員席のモニターに去年の決勝進出者のネタが映し出されていました。ネタはスーマラ、ジャルジャルの国名分けっこ、ギャロップ、霜降りの豪華客船。お客さんが笑える空気に持っていくためだと思いますが、1回戦のネタハイライトみたいなものも流れてました。ガリレコ、ひがちゃんず、イージードゥダンサーズ、ジャニーズのつ~ゆ~などが10~15秒くらいのダイジェ
『M-1グランプリ2018』を見ました。第一回大会からずっと見続けて来て、初めてリアルタイムで見ることが出来ませんでした。というのも、シソンヌのライブ『モノクロ』を見に行っていたからです。だから、よく聞く情報を遮断するという行為自体が初めてでしたが、無事に何も情報を得ないまま帰宅して、録画を再生することが出来ました。危なかったのは、会場で、絶対にネタバレをペラペラ喋る奴がいるなと思っていたので、開演の前後ギリギリまでラジオ聞いていたんだけど、同行した奥さんが言うには、僕の隣でやっぱり「ミキが敗者復活で言ったらしいよ」とネタバレを話している人がいたらしいのですが、それを始めとして避することが出来ました。冨樫漫画を読んでいて良かったです。 大会としては、芸風がバラけていて、いわゆる多牌ってやつで、誰が優勝してもおかしくない空気がビンビンで、それこそ、初期の大会のようでした。加えて審査員も、いろ
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