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仕事と背骨問題に関するsolailoのブックマーク (2)

  • 表現の練習 vs. 人格批判 - 表道具

    価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない http://d.hatena.ne.jp/next49/20090222/p2 を読んでから感じてきた、この違和感をどうにか形にできるような気がしてきた。表題とは離れてしまったが、トラックバックを既に打ってあるのでこのままで。(id:next49氏の関心からは離れていると思われるので、まともなリプライは期待しない) 「理解」というキーワードでこの問題に迫っていこう。まず、「表現」と「表現の練習」は、ここでは明確に区別されている。 「研究には正解とか不正解とかない。誰も答えを知らないから研究になっているんだ。だから、自分の主張をとりあえず述べて、相手の反論が正しいと思えてから自分は間違っていたと考えれば良いんだよ。」 http://d.hatena.ne.jp/next49/20090222/p2 端的に、これは「発表」の場においては間

    表現の練習 vs. 人格批判 - 表道具
    solailo
    solailo 2009/02/28
    『表現には「理解できないアイデア」から「理解できる表現」にフォーミングしていく過程が必然的についてくる。その一手段が「発表の練習」であるといえる。』
  • 価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習

    卒業していく君へ。 卒業おめでとう。当は面と向かって言ったほうが良いのだけど先生という立場だと私の発言が思った以上に重くなってしまうので直接君にはいえない。でも、君への言葉を一度形にしておかないと私の頭に一生こびりつきそうなのでここに書かせてもらうよ。 今年、君は卒論に苦しんだね。君が卒論に苦しんだ理由は自分でも分かっていると思うけど、常に外部に正解を求めたことにあるんだ。私が「どうして、それが正しいと思うの?その理由を教えて。」と聞くと、いつも君は表情を凍らせて黙ってしまったね。何度も何度も「研究には正解とか不正解とかない。誰も答えを知らないから研究になっているんだ。だから、自分の主張をとりあえず述べて、相手の反論が正しいと思えてから自分は間違っていたと考えれば良いんだよ。」と伝えたのだけど、最期最後まで君は自分の主張の正しさを自分の言葉で言えず、常に私の保証を求めたね。はっきり言って

    価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習
    solailo
    solailo 2009/02/24
    『一方、精神的な背骨が無い人は、いかなる間違いも許容できない。なぜならば、判断基準は外にあるためどの間違いが自分に致命的でどの間違いが自分に致命的でないかが判断できないから。』
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