大塚保之 @MeifuShinkage @Ujy6JdNyBaewhN7 当時の人たちも、まさか千数百年も後の世に、この器が形を保っているとは思わなかったでしょう。すごいことですね。
ライブドアニュース @livedoornews 国内・海外のニュースや芸能情報、ネットで話題の小ネタまで、幅広いジャンルのニュースをいち早くお伝えします。 ■公式アプリonl.la/JHuxZ3v news.livedoor.com ライブドアニュース @livedoornews 【発表】国宝級の傑作と評価、国内最大「蛇行剣」や類例ない「盾形銅鏡」奈良・富雄丸山古墳で出土 news.livedoor.com/article/detail… 銅鏡は通常円形で盾形のものは類例がない。蛇行剣は長さ237センチで、古墳から出土した鉄剣では国内最大。当時の生産技術の高さを示す極めて重要な発見となった。 pic.twitter.com/1odvINpRqW 2023-01-25 17:31:28
鎌倉初期を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が手がけた源氏物語の注釈書「定家筆源氏物語奥入(おくいり)」の一部が見つかった。注釈書は国宝に指定されているが、少なくとも10ページ以上が欠損しており、今回見つかったのはそのうちの1ページ。池田和臣・中央大名誉教授が東京都内の古美術商から掛け軸に貼られた状態で購入し、定家筆源氏物語奥入の一部と確認した。 定家筆源氏物語奥入は、定家が家中の女性たちに源氏物語全54帖(じょう)を写させ、その際に各巻末に記した注釈部分だけを後に切り出して1冊にまとめたもの。今回発見されたページは縦16・7センチ、横14・9センチで、池田名誉教授が2年前、古美術商から「定家筆かもしれない」と聞いて掛け軸ごと購入した。調査すると、現存する奥入原本の近接ページにも、このページと同じ形の虫食い痕があったことや、書体も定家独特のものであることなどが分かり、定家筆と確
枕草子でつづられた風景をお家で楽しめたら、ちょっと素敵なんじゃない?みなさまこんにちは。ミュージアム部の内村です。以前公開しましたこちらの記事はご覧になっていただけましたでしょうか。 今回ミュージアム部がご紹介するのは平安時代に見られる美意識のひとつ「をかし」を感じる「枕草子 いとをかしな風景をめでる四季のカーテンクロスの会」です。「をかし」とは何か? おうちで楽しむってどういう風に? そのあたりを説明させていただきます。 枕草子についておさらいまず、みなさま『枕草子まくらのそうし』と聞いて思い出すのは何ですか? 「春はあけぼの~」ではじまる一説はとても有名ですよね。一度は学校で学び、覚えたという人も多いはず。 春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。 夏は夜。月のころはさらなり。やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二
先人の心が生んだ言の葉に、現代の職人が形を与える!千年の時を超えて「和歌イメージブローチ」が出来るまで。 和歌が日常的に詠われていた時代に思いをはせて、詠み手と和歌をもっと身近に感じてほしい! みなさま、こんにちは! 歴史大好き・ミュージアム部プランナーのささのはです。 突然ですが、みなさまに問題です! 政権が確立された時期が史料に残っている奈良時代から先、日本史上でどの時代が一番長く続いたかご存じでしょうか? 正解は……平安時代!よく長らく続いた政権として語られる江戸時代の約260年に比べて、平安時代はなんと約390年間(桓武天皇の平安京への遷都~鎌倉幕府成立まで)!!約130年長く続きました。 世尊寺伊房著『源氏物語絵巻』(1911) 国会図書館ウェブサイトより平安時代と言えば、華やかな十二単、平仮名・片仮名の誕生、女流作家たちによって描かれた文学の世界、中期以降に確立した国風文化、末
平安宮内裏にあった後宮建物の登華殿(写真手前)と弘徽殿(奥)の遺構。平安文学の舞台だったことで知られる(京都市上京区)=市埋蔵文化財研究所提供 平安宮内裏にあった後宮建物の登華殿(写真手前)と弘徽殿(奥)の遺構。平安文学の舞台だったことで知られる(京都市上京区)=市埋蔵文化財研究所提供 平安文学を代表する「源氏物語」「枕草子」の舞台になった内裏の後宮建物跡が、京都市埋蔵文化財研究所が上京区で行った発掘調査で見つかっていたことが8日、京都新聞社の取材で分かった。建物跡や溝跡は中宮らが暮らした登華殿(とうかでん)と弘徽殿(こきでん)に関わるとみられ、平安時代の内裏殿舎遺構が見つかるのは初めて。 登華殿は平安中期、一条天皇の中宮定子が暮らした。関白の父・藤原道隆らとの語らいが、枕草子にはつづられている。また、弘徽殿は源氏物語において光源氏が朧月夜に出会う場になっている。両殿とも内裏北西部にあった
奈良時代の都の中心だった奈良市の平城宮跡で、聖武天皇の娘、孝謙天皇の宮殿とみられる大規模な建物の跡が見つかりました。専門家は「天皇の宮殿の実態をうかがう貴重な史料だ」と話しています。 建物の跡が見つかったのは、奈良時代の都の中心だった平城宮跡の「東院」と呼ばれる地区です。 平安時代の歴史書「続日本紀」の記述などから、天皇や皇太子の宮殿があったとされている場所で、奈良文化財研究所が発掘調査したところ、東西27メートル、南北12メートルの範囲に50本の柱が整然と並んだ建物跡が見つかりました。 建物は高床式の床張りの構造で、屋根にはひわだなどがふかれていたとみられ、発掘調査で見つかった瓦から、奈良時代の西暦749年から770年の間に建てられたものとみられるということです。 規模は平城宮跡内のほかの場所で、これまでに確認されている天皇の住まいに匹敵する大きさです。 奈良時代の歴史に詳しい複数の専門
奈良県橿原市の弥生時代の遺跡から、川と川をつなぐ形で人工的に掘った溝の跡が見つかりました。弥生時代の川の治水の跡が見つかるのは全国で初めてだということで、専門家は「集落を守るために弥生時代の人が行った工夫がうかがえる貴重な史料だ」と話しています。 奈良県立橿原考古学研究所が橿原市にある弥生時代の遺跡、およそ6000平方メートルを発掘調査したところ、およそ1900年前の弥生時代後期のものとみられる川の跡などが新たに見つかりました。 また、蛇行した川に接続する形で幅およそ1.5メートル、深さが40センチほどの水路のような人工の溝がおよそ50メートルにわたって掘られていたことが分かりました。 現場が低地であることや、人工の溝には農業用として使われた場合の特有の特徴もみられないことから、一定の水深を超えた川の水をう回させたり、あふれ出た水が近くの集落に流れ込むのを防いだりするために使われたとみられ
吉海 直人(日本語日本文学科 教授) みなさん、『枕草子』には伝統的な日本の四季折々の自然美や風物が鏤(ちりば)められていると思っていませんか。実はそれこそが誤解というか大きな間違いなのです。だってそうでしょう、春の風物としては「梅・鶯・桜・霞」などをあげるのが一般的ではないですか。『枕草子』にはそれが不在なのです。逆に清少納言が提起している「あけぼの」など、春を代表する景物ではありませんし、まして美意識にもあてはまりません。 それにもかかわらず、みなさんはそれを平安朝貴族の美意識として受けとっている恐れがあります。それが高校で学んだ成果だとしたら、それこそ学校教育の弊害ということになりかねません。 そこで考えていただきたいのは、仮に「あけぼの」が春の景物として当時認められていたとしたら、清少納言はごく当たり前のことを提示していることになります。それでは宮廷で評価・称讃されるはずはありませ
2019年6月27日発表のテュービンゲン大学プレスリリースによると、2018年秋、イラク北東部クルディスタン地域にある、ティグリス川東岸のモスル・ダム(1980年建設)の貯水池の水が引いたところ、青銅器時代の宮殿が発見された。考古学的に非常に重要な発見として海外でもCNN、BBC他各ニュースで報じられている。 動画:テュービンゲン大学/ Eサイエンスセンター制作 クルド人実業家の資金援助を受けてドイツ・テュービンゲン大学とクルディスタン考古学機構(Kurdistan Archaeology Organization (KAO))の合同チームが調査を行い、同宮殿(ケムネ宮殿”Kemune Palace”)が紀元前15世紀から14世紀にかけてメソポタミア北部とシリアの大部分を支配していたミタンニ(ミッタニ)帝国の時代にさかのぼることができることが判明した。 クルド人考古学者ハサン・アフメド・カ
5fret(ごふれっと) @5fret 約150年前の、神田川の写真。オーストリアで見つかったんだって。奥に見える木造家屋が川沿いに密集しているのが現在の秋葉原。 pic.twitter.com/2lxOYAcFVL
とがし ゆみこ @yumicomachi とよよん商会発行『小倉百人一首三角定規詩訳 トライアングル▽とらんすれえと▲百人一首』は好評のうちに販売を終了いたしました。読者の皆さま、たらればさん、とよよんさん、本当にありがとうございました! とがし ゆみこ @yumicomachi 小倉百人一首三角定規詩訳『トライアングル▽とらんすれえと▲百人一首』 訳詩:冨樫由美子 @yumicomachi 絵 :甲斐千鶴 @forest_f3 編集:豊増美晴 @to_yo_yo_n のお求めはこのアカウントの固定ツイート(base とよよん商会)からどうぞ。 500円+送料です。 pic.twitter.com/jfctkR8r1K
美しく身分の高いヒロイン、“落窪の姫”が継母にいじめられながらも、貴公子に見染められて幸せを掴む『落窪物語』。『落窪物語』をテーマにした読書会をイマドキの女子3名で行ってみました。登場人物やエピソードへのツッコミとともにお楽しみください。 2018/12/12 P+D MAGAZINE読者の女子の皆さん、最近“女子会”はしましたか? 女子会の主な目的といえば、仕事の愚痴や恋愛トークなど、男性の前では話しにくい話題について、気の置けない女友達とざっくばらんに話すこと。遠慮しなくても良い本音トークで、日頃のストレスを解消する人も多いでしょう。 その一方で、頻繁に同じメンバーで集まっていては、ついつい話題もマンネリ気味……というお悩みもあるかもしれません。そこで、P+D MAGAZINE編集部は女子会の新たなネタとして、ある古典文学をテーマとした読書会の開催を提案します。 その古典作品とは、平安
124億光年かなたにあり、地球がある天の川銀河と比べ、約1千倍の頻度で星を生む「モンスター銀河」を高精度の望遠鏡でとらえることに、国立天文台などのチームが成功した。30日付の英科学誌ネイチャーで発表する。 チームの但木謙一・日本学術振興会特別研究員(銀河天文学)らは、南米チリにあるアルマ望遠鏡で、「ろくぶんぎ座」の方角にある銀河から放たれた電波を観測。星の材料になるガスが分布する領域や、星から噴き出すガスの動きの激しさを調べた。 ガスが集まると、重力でつぶれて星が生まれる。この銀河では、ガスが極めて濃く集まる一方、重力に抗するガスの動きは弱いため、星の形成が非常に活発な状態になっていた。星を盛んに生み出すガスの固まりが、銀河の中心部から外れた場所にも二つあったという。 複数の銀河が衝突し、狭い範囲にガスが押し込められてできた可能性があるという。但木さんは「今後、より多くのモンスター銀河を観
古代文明① インカ文明(西暦1438〜1532年)先コロンブス期(ヨーロッパ人の少なからぬ影響が現れる以前の時代)においてインカ帝国は、南アメリカ最大の帝国でした。 この古代文明は現在のエクアドル、ペルー、チリのあたりで繁栄し、現在のペルーにあるクスコに行政、軍事、政治的中心をおき、しっかりとした社会を構築したことで、帝国として急速に繁栄していきます。 当時のインカ人は太陽神インティを熱心に信仰しており、インカ人の王は太陽の子を意味する「サパ・インカ」と呼ばれていました。 初代インカ皇帝パチャクテク(インカ帝国の前進となるクスコ王国9代目の皇帝)は、小さな村から大きな都市へと発展、再編させ、インカ帝国が成立します。 さらに、パチャクテクは祖先崇拝の伝統を拡大させ、ここにインカ文明が始まったのです。 また、皇帝が死ぬと権力は全て息子に、財産は息子以外の親族に配分し、彼らが皇帝のミイラを保存し
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