「二者択一」の反対語で、主知主義か経験論か、観念論か実在論かといった対立的・図式的な処理を拒む根源の領域、いいかえれば、主観―客観、対自―即自の固定的な対立を越えた、根源の生という基盤的領域を特徴づける。メルロ・ポンティは、人間的現存在が「対自か即自かの二者択一」を越えることを主張し、フッサールのいう「指向性」そのもののなかに、意識の生が自己のうちにとどまらずに外に出てたつ「実存」existenceの構造があることを指摘する。意識は確かに単なる物(即自)ではなく、主観的・対自的な超越の作用であると同時に、存在者(客観・即自)に向かい、存在者のもとにあるものとして「両義的」である。 [山崎庸佑]