ホテルは団体旅行客として修学旅行くらいでしか泊まったことがないので一人でどうすればいいのかわからない バストイレ付きで、夜ごはんと朝ごはんは1階にある喫茶店なんだかレストランなんだかわかんないとこで食べるみたいなやつがいい そもそもフロント?に行けば泊まれるのかすらわからない 最初の挨拶はこんにちはでいい?下着は持っていかないとダメだよね?朝ごはんは勝手に行っていいの?
おめでとさん ここ数年はろくな誕生日送ってないわ でも母親がエホバだった友達は誕生日祝う習慣すらなかったって言ってたわ 俺も誕生日祝う習慣のない宗教ってことにしておけば まあ、傷も浅いってもんよ
本日、寿司を食べに行った🍣 税込み4000円とお高い寿司であった。今回は、大トロとウニが特に美味かった🍣 これが最後の寿司になるのだろうかと思い、よく味わって寿司を食べた🍣 本当に美味かった。これが今後食えなくなるのだろうかと考えると恐ろしくなった。 さて、タイトルにある通り、俺は健康診断で「慢性胃炎」と判明した。 仕事のストレスによるものではないかと思われるが、ピロリ菌に感染している可能性もあるとのこと。 明日、胃腸科へ診察しにいくが、その結果がどうなるのかとても不安だ。 慢性胃炎を調べると生ものはあまり良くないということが書いてあるので、そうなると今後しばらく寿司が 食べられなくなると思い、本日寿司を食べに行く決意をした。 もう一度書くが、寿司は美味かった。本当に美味かった。どうして寿司はこんなに美味いんだろうと思った。 こんな美味い食べ物がしばらく食べられなくなるかもしれないの
宅配のピザが一般的になりだしたのは俺が小学生のころで、最初に食べたのがどんなだったか覚えていないが、親にねだって注文したそれはとても美味かった。そんでまあお決まりのようにカタログをなめるように読むわけだ。次は絶対これ!とか兄弟で言い合ったりしてな。その「次」ってのは結局1年以上あとになるんだが、親の選んだピザは俺たちの泣き落としも虚しくオーソドックスなピザである。だがやはり美味い。のってたのはペパロニとピーマンとあとなんだっけな。 そのころの俺たちにとってピザ=ペパロニだった。ピザはペパロニが無いと始まらないと思っていた。それなのに、大人になった俺たちは、ペパロニののっていないピザを普通にピザとして食べているのだ。もの足りないと思いもせずに。いつのまにかそうなった。いつ俺たちはペパロニを卒業したのだろうか。
仕事でも取り立ててパッとせず、家族を作ることもなく、「天命を知る」とか言われる年齢に近くなった。 比較的早めに亡くなった母と同じような年齢で自分も生を全うするのかなというぼんやりとした予感を持ちながら、ぼちぼち楽しくやっている。 ところが予想外の出会いがあって、だからといって別に自分の暮らしが変わるわけでもない。 ただ、その人は自分から見るとずいぶん若いので、自分が死んだ後の世界を気にするようになってしまった。 私が死んだ後でも、多分その人は生きていく。 世界は。差別は。地球環境は。経済は。ウィルスは。仕事は。それまで気にかけることもなかったのに。 私やその人の師匠がこの世を去った後でも、その人は今までのように暮らしていけるだろうか。 私が居なくなった時にもその人が悲しみませんように。 私が居なくなった後も誰かがその人を見守ってくれますように。 世界がのんきに暮らせる場所でありますように。
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