2013年10月25日のブックマーク (7件)

  • 理想と正義

    前回、「理想の自分」という話をした。しかし、何か勘違いされそうな気がするので、「理想の自分」の話を詳しく書くことにする。 「理想の自分」には2種類がある。一つは、前回に書いた、「欠点のない素晴しい自分」という幻想だ。もう一つが、目標としての自分の理想像だ。 結論から言うと、まず前者を持ち、それを捨て、後者に持ち換えるべきだ。「素晴らしい自分」で止まってしまっていては良くないが、それすら持てない人はもっと良くない。 「素晴らしい自分」と書いたが、当は逆で「自分は素晴らしい」と書くべきところだ。自分は素晴らしい存在で、世界に唯一無二の存在であり、(自分にとっては)他の誰よりも価値がある。そして、誰も自分の存在の素晴らしさを否定することができない。こういう考え方である。 こうした考え方は、人間が生きていく上で無くてはならないものである。普通の人は、子供の頃にこうした考え方を心の奥底に刻み付けら

    suna_zu
    suna_zu 2013/10/25
    善/悪に触れずに置けば、価値観から正義は語れる。価値観を得る方法が、原初の自己肯定ひとつしかないのではさびしい。
  • 辞めたくなる会社 | mediologic

    mediologic my thoughts on media/communication/marketing and everyday life. Search Primary menu 以前にいた会社の、自分がいた組織の離職者率が増えているのを聞いていると、それまで「働きたい会社」だったのが「辞めたくなる会社」になってきているということなのだろう、ということに悲しくなる。 ベンチャー的な気質をもった会社だと、「この会社、このプロダクトを使って何かをしてやろう」というチャレンジャーが集まり、その“志”がエンジンとなって前進していくものだが、あるタイミングからその会社がメジャーになってしまうと「入りたい会社」となってしまい、学歴だけよかったり、対して仕事ができないのに過去の会社での経歴を“華麗に言う”人間が増えてしまう。つまり実力者が入ってこない。またそういう傾向になると、「マネージャー」

    suna_zu
    suna_zu 2013/10/25
    マネージャの仕事たるマネージメントにより、ベンチャー組織が生き延びて、キャッシュカウを確保するようになったときに、甘い人だけでなく、魅力的な人が残って、魅力的なベンチャー組織でいられる。
  • White Collars Turn Blue (Published 1996)

    suna_zu
    suna_zu 2013/10/25
    the Massachusetts Institute of Technologyの経済学の教授ポールクルーグマンの記事。勉強しても儲からない。コンサートに行って遊べ。
  • 神 (神道) - Wikipedia

    この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、議論中です。 そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノートを参照してください。 (2021年9月) この記事には複数の問題があります。 改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2014年3月) 出典は脚注などを用いて記述と関連付けてください。(2018年1月) 脚注による出典や参考文献の参照が不十分です。脚注を追加してください。(2018年1月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2018年1月) 出典検索?: "神" 神道 – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL

    神 (神道) - Wikipedia
    suna_zu
    suna_zu 2013/10/25
    日本では、神として、有力者を死後に祭る例(豊臣秀吉=豊国大明神、徳川家康=東照大権現など)権力闘争に敗れまた逆賊として処刑された者を、後世において「怒りを鎮める」ため祭る例(菅原道真、平将門)あり。
  • 如来 - Wikipedia

    ブッダゴーサによる語義釈[5]の全てではないが、一部として、 tathā āgata(如く到れる) - 「(古仏と)同じく一切を知る智慧に到達した者」。過去に出現した古仏がみな一切智性に到達した様に、同様に釈迦牟尼仏も一切智性に到達したため。 tathā gata(如く去れる) - 「(古仏と)同じくすべての煩悩を滅して去る者」。 tatha-lakkhaṇaṃ āgata(真如相に通じる) -  「真如 (tatha タタ) の特徴を悟った者」。 などがある。

    suna_zu
    suna_zu 2013/10/25
    「如」が真実、「来」が来たるの。真実の世界から来た者。梵名タタ-ガタ(तथागत[tathāgata])音写は多陀阿伽陀。「真如(tathā タタ-)から来るもの、真如へと去っていくもの」が漢訳されて如去如来や如来如去。如来
  • 菩薩 - Wikipedia

    この項目では、仏教の菩薩について説明しています。片手数珠の菩薩(ボサ)については「数珠」を、ウイグルの部族長については「菩薩 (ウイグル)」をご覧ください。 この項目に含まれる文字「薩」は、オペレーティングシステムやブラウザなどの環境により表示が異なります。 「薩」の文字は公式の表記「」と異なる可能性があります。

    suna_zu
    suna_zu 2013/10/25
    梵名ボーディ・サットヴァ(बोधिसत्त्व [bodhisattva])の音写、成仏を求める(如来に成ろうとする)修行者。修行中ではあるが、人々と共に歩み、教えに導く。
  • 垂迹神と本地仏 - 本地垂迹 - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。 改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2017年8月) 出典は脚注などを用いて記述と関連付けてください。(2017年8月) 出典検索?: "地垂迹" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 飯綱権現を祀る高尾山薬王院の権現堂 地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、神道の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考えである。仏神迹説と呼ばれる場合もある。 飯縄権現 蔵王権現 白山権現(『仏像図彙』より) 愛宕権現(『仏像図彙』より) 龍蔵寺 (丹波篠山市)愛宕

    垂迹神と本地仏 - 本地垂迹 - Wikipedia
    suna_zu
    suna_zu 2013/10/25
    平安時代794年-1185年/1192年頃の考え。