“幻の城”が現実に!滋賀県大津市内にある住宅街で歴史的な大発見です。 (記者リポート)「“幻の城”と呼ばれる坂本城の外側と思われる30mもの石垣が初めて見つかったということです」 坂本城は1571年…
せんだ・よしひろ/城郭考古学者。奈良大学文学部文化財学科教授。大阪大学博士(文学)。文部省在学研究員としてドイツ考古学研究所・ヨーク大学に留学。国立歴史民俗博物館考古研究部助教授を経て現職。2014~16年、奈良大学学長。15年に濱田青陵賞を受賞。著書に『織豊系城郭の形成』『戦国の城を歩く』『信長の城』『城郭考古学の冒険』などがある。 ニュース3面鏡 インターネットの登場以来、以前にもまして巷にはニュースがあふれ返っています。そうしたニュースや出来事の中から、DOL編集部が気になる出来事を厳選し、正面のみならず右から左から、価値あるニュース、楽しいニュースをお届けします。 バックナンバー一覧 街道と琵琶湖を掌握して都へ迫る浅井・朝倉連合。なぜ信長・秀吉・家康はこの強固な連合を打ち破ることができたのか。国内外の城に精通し、テレビ・ラジオや講演で大人気の城郭考古学者・千田嘉博教授(奈良大学文学
JRA京都競馬場淀寮の増築工事に伴い、京都市埋蔵文化研究所が調査したところ、淀城跡の家老屋敷が発掘された。18世紀後半に水害対策としてかさ上げ工事が行われていた事実や、1868年の鳥羽伏見の戦いでの火災跡も確認された。当時の防災のあり方や、鳥羽伏見の戦いの状況を知ることができる非常に貴重な史料だ。 見つかったのは、18世紀中頃から後半に、地下1メートル40センチのところで使われた家老屋敷の跡。その後、同じ場所の70センチ高いところに再び屋敷を建てており、軟弱地盤に対応するために生まれた石柱を立てる蝋燭(ろうそく)基礎という工法でかさ上げ工事を行われていた事実も確認された。 今回検出された工法は、当時、関西にはなく、江戸周辺や下総国に多くみられたもの。江戸時代中期に稲葉家が淀藩の藩主となる前、下総国佐倉藩の藩主であったことが関係していると考えられている。淀城は桂川、宇治川、木津川の合流点に接
日本には実に数多くの城が存在する。それら多種多様な城の中でも、特にユニークなのが「能島(のしま)城」だ。 瀬戸内海中央西寄りの芸予諸島に浮かぶ小島を丸ごと利用した海城であり、日本城郭協会の「続日本100名城」(以下、続100名城)にも選ばれている。 2018年の西日本豪雨で被害を受けたことから長らく立入禁止となっていたものの、幸いにも2020年の6月に解除されたので、上陸ツアーに参加してきた。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:神奈川県央部の“サバ神社”を巡る「七サバ参り」で健康祈願! > 個人サイト 閑古鳥旅
1984年大阪生まれ。2011~2019年までベトナムでダチョウに乗ったりドリアンを装備してました。今は沖永良部島という島にひきこもってます。(動画インタビュー) 前の記事:似て非なる海外版マックスコーヒー > 個人サイト AbebeTV おきのえらぶ島移住録 べとまる 大阪城は西日本「石」大会会場 きっかけは一年前に行った大阪城の石垣の取材。 「大阪城は400年前の全国巨石石見本市」より 石垣オブ石垣、大阪城内上位11位の巨石を紹介した。 大阪城の石垣が、デカすぎてすごかったのだ。記事公開後に韓国人の友人に聞いた話で、お父さんと大阪観光してるとき石垣にえらく反応していたらしい。お仕事は土木建築関係。プロの目から見て「400年も前にこんな巨石を積み上げて」というところに驚いた、とのこと。 大阪城=豊臣秀吉のイメージが強いかもしれないが、いや大阪人じゃなければ意外とそれも知られてないかもしれ
「日本100名城」というものが存在する。全国に数多く存在する城のうち、2006年に財団法人日本城郭協会が定めた100の名城だ。 各城にはスタンプが置かれており、スタンプラリーが可能である。私は2008年から10年かけて全てを周り、その道のりを記事にした。→「日本100名城を全制覇したので自慢させてください」 コンプリート間際の2017年、日本100名城に続く「続日本100名城」なるものが定められた。それに伴い新たなスタンプラリーが開始されたのだが、正直言って私はあまり乗り気ではなかった。 しかし、最近になってついに続100名城にも手を出すことになったのだが、そうしたら私の中で新たな城の扉が開かれたのだ。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30
日本100名城というものがある。全国に数多く存在する城郭の中から、2006年に財団法人日本城郭協会が定めた100の名城だ。 選ばれた各城には専用のスタンプが設置されており、スタンプラリーを楽しむことが可能である。私は2008年から周り始めたのだが、今年でやっと全100城を制覇することができた。 本当にようやく終わったという感じなので、ちょいとその道程を語らせてくださいな。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:九州の味「うまかっちゃん」5種食べ比べ > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter
投稿日 : 2017年4月6日 最終更新日時 : 2017年4月25日 投稿者 : nihonjokaku2015 カテゴリー : お知らせ, 日本100名城 「続日本100名城」が4月6日(城の日)、東京都千代田区の文部科学省記者クラブにおいて、選定委員長を務めた小和田哲男日本城郭協会理事長により発表されました。各県別の「続日本100名城」はこちらをご覧ください。 なお「続日本100名城」公式ガイドブックの出版、スタンプラリーの実施は共に予定されていますが、周到な準備が不可欠です。そのため実施には半年から1年はかかるのではないか、と見ております。公式ガイドブックもスタンプラリーも、時間的余裕を持って事前にこのHPでご案内させていただきます。今しばらくお待ちください。
名古屋市議会の自民党会派は22日、名古屋城天守閣の木造復元に向けた約10億円の補正予算案に条件付きで賛成する方針を決めた。民進党会派なども賛成を決めている。同日開かれる経済水道委員会で可決すれば、23日の本会議で成立する見通し。文化庁によると、コンクリートで戦後に再建された天守閣の木造による建て直しは全国初。 天守閣木造化は河村たかし市長の目玉施策で、総工費約500億円の大型事業が本格始動する。自民会派は、適正な収支計画の策定を条件としており、同委員会で採択する付帯決議に盛り込む方針。 市は昨年6月の議会に予算案を提出。完成時期を当初、東京五輪が開催される2020年としたが、議会の理解が得られず22年に修正した。議会からは業者選定や収支見通しに疑問の声が上がり、3度継続審査となっていた。 1945年の空襲で焼失した天守閣は、59年に鉄骨鉄筋コンクリート造りで再建された。耐震不足が指摘されて
1945(昭和20)年の空襲で焼失し、鉄筋鉄骨コンクリート造りで再建された名古屋城天守閣が、木造で復元される方向になった。国の特別史跡の城郭での木造復元は初。事業を進める名古屋市の河村たかし市長と、慎重論の根強かった市議会多数会派が27日、完成時期について基本的に合意した。総事業費は現在約500億円規模で、今後圧縮を検討する。 河村氏と市議会側は、愛知県と名古屋市が共同開催を目指すアジア競技大会の2026年やリニア中央新幹線開業の27年を完成目標とすることで一致した。 名古屋城天守閣は、延べ床面積4564平方メートル。姫路城の約2倍の規模がある。 現在の天守閣は再建から57年… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。
弘前城“曳家”の舞台裏に迫る 9月25日 19時10分 青森県弘前市にある国の重要文化財、弘前城。全国でも数少ない、天守が現存するお城で、日本屈指の桜の名所として多くの人たちに親しまれています。 そんな弘前城で今進められているのが「曳家」です。曳家とは、建物をそのままの形で移動させる技術のことを言います。今回、天守をジャッキで持ち上げ、レールに乗せて移動させようとしているのですが、もちろん簡単にはいきません。全国的にも珍しい城の移動を任された職人に青森放送局の矢部誠人ディレクターが密着しました。 なぜ弘前城で 現在、曳家の作業が続けられている弘前城です。天守は、高さ14.4メートル、総重量400トン。その天守を3か月かけて70メートル移動させようというのです。 そもそも、なぜ弘前城で曳家を行うことになったのか。 大きな要因は「石垣のはらみ」です。築城から200年以上が経過している弘前城は
国指定の重要文化財になっている青森県弘前市の弘前城で、天守の「曳屋(ひきや)」工事が16日から始まる。 石垣修理のための工事で、天守を石垣から持ち上げて2か月以上かけて約70メートル移動させ、石垣を修復した後に元の位置に戻す。天守の曳屋工事は全国的にも珍しく、市は曳屋工事を公開して観光客の誘引につなげる。 弘前城は旧津軽藩の城で、現在の天守は、江戸後期の1810年に建てられた。城のある公園は桜の名所で知られる。近年、石垣が劣化によって外側に膨らみ、崩落の危険がでてきていた。 曳屋工事は、高さ約14メートル、重さ400トンの天守をジャッキで持ち上げてレールの上の台車に載せ、移動させる。1日1メートルほどずつ動かし、約70メートル先の本丸奥に移す。移動完了は10月下旬を予定する。
江戸時代初頭、天下を取った徳川家康の命によって、西国に備えた防衛拠点として置かれた名古屋城。20もの大名を動員して築かせた壮大な城郭は、「尾張名古屋は城でもつ」と称されるほどだ。 その名古屋城について調べていたところ、宝暦年間(1751~1764年)に「天守を引き上げて天守台の積み直しが行われた」とあった。 えぇ? あの巨大な天守を引き上げた? 重機もジャッキもない江戸時代に、一体どうやって? 気になったので、調べてみた。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:修験道の山巡り > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twit
TOP > 学研ホールディングス > 今、城が熱い!「日本100名城公式スタンプ帳つき」書籍が20万部突破!年間入場者数50万人超えの城が続出中! 株式会社学研ホールディングスのグループ会社、株式会社学研パブリッシング(東京・品川 代表取締役社長:中村雅夫)が出版する、『日本100名城公式ガイドブック スタンプ帳つき』(B5判)と『日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき』(A5判)が、この春の増刷で各10万部を超え、合わせて20万部を突破した。 今年3月に世界遺産でもある姫路城(兵庫県)の約4年にわたった保存修理工事が終わり、4月には東日本大震災で被災した白河小峰城(福島県)の復興式が行われるなど、城に関するニュースが続いている。また、年間入場者数が記録を更新した城も続出。昨年末には、犬山城(愛知県)が初の50万人を超えたことを、この春には、和歌山城(和歌山県)が18年ぶりに
島根県の「松江城天守」が新たに国宝に指定されることになりました。城が完成した年を裏付ける祈とう札が最近になって見つかるなどしたためで、天守が国宝に指定されるのは63年ぶりです。 島根県松江市にある松江城の天守は外観は4重、内部は地上5階、地下1階の形式で、中国地方に唯一残る「四重五階」の天守です。高さ2階分の通し柱を多用するなど独自の建築的特徴があります。創建の際に平和を願って奉納されたと伝えられる2枚の祈とう札が3年前、75年ぶりに見つかり、慶長16年(1611年)に城が完成したことが裏付けられるなど新たな事実が明らかになったことで文化史的な価値が高まったと評価されました。 天守が国宝に指定されるのは昭和26年の兵庫県の姫路城、昭和27年の長野県の松本城、愛知県の犬山城、滋賀県の彦根城に続いて5件目で63年ぶりとなります。 また、昭和8年に建てられた東京・港区の「旧朝香宮邸」や、福岡県大
戦国武将の織田信長(1534〜82年)が1563年(永禄6年)に築城した愛知県小牧市の小牧山城は、3段の石垣(高さ約6メートル)で囲まれていたことが発掘調査で分かった。 同市教委が12日発表した。市教委は「近づくと高さ6メートルの石垣がそびえ立っているように見え、若い信長が、部下や敵対する勢力を圧倒する演出効果を狙ったのではないか」と分析している。 小牧山城の中心部を囲む石垣については、これまでの城跡の調査で、上から1、2段目(高さ計約4メートル)は出土していたが、3段目が確認されたのは初めて。新たに見つかった3段目は高さ約2メートルで、下部の約1メートルは高さや幅が30〜50センチの自然石を積み上げていた。今回発掘されたのは北東の長さ約25メートルにわたる部分だが、市教委によると、3段の石垣は山頂の中心部を周回している可能性があるという。 信長は1563年に、居城を尾張国(愛知県)
土が成ると書いて「城」・・姫路城や熊本城のような美しい城郭が築かれる以前の城は、石垣も天守もなく掘って盛って柵を立て木を組んだワイルドなものでした。「攻防ってこういうことなんだ!」ってその場に立つとすごく分かります。武将たちがしのぎを削った戦国時代を体感しましょう。 1.荒砥城(長野) 荒砥城は中世の史実に基づいて復元された戦国期の山城。村上義清の葛尾城の支城として機能していたそうです。2007年にはNHK大河ドラマ「風林火山」のロケが行われ、武田晴信(信玄)の初陣、海の口城攻防戦が撮影されました。 千曲川の向こうに村上義清の本城だった葛尾城の山が見えます。 基本情報 ・名称:城山史跡公園 荒戸城 ・住所:長野県千曲市大字上山田3509−1 ・アクセス:しなの鉄道「戸倉駅」下車 ・営業時間:開門【午前9時】~閉門【午後5時】 *入城は午後4時30分まで ・定休日:12月29日~1月
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