シドニー五輪の予選では大活躍だった平瀬智行(左から2人目) (c)朝日新聞社この記事の写真をすべて見る アジアと世界の間で戦う日本サッカーにおいて、「予選」と「本大会」の差は大きいと言わざるを得ない。戦力的に立場、戦い方を変える必要がある中で、予選では活躍しても本大会では振るわなかった選手、あるいは本大会のメンバーから漏れた選手、チーム編成や怪我などで本大会とは縁がなかった選手たちがいる。 【写真】「ケガがなければ…」日本代表の歴史を変えられた逸材はこちら 「五輪」に目を向けると、“マイアミの奇跡”を成し遂げた1996年のアトランタ五輪では2人のFWが本大会のメンバーから外れた。西野朗監督が率いた当時のチームには、前園真聖、城彰二、川口能活、松田直樹、そして中田英寿といった面々が名を連ねたが、本来、そのチームのエースだったのは、“レフティーモンスター”小倉隆史だった。 四日市中央工業高校で