2024年12月18日のブックマーク (5件)

  • 日本の田舎の廃屋を、約100万円で買ったアメリカ人夫婦。エアビーにて1泊2万円で貸し出す

    ニューオーリンズで6年にわたり都市農場とエアビーアンドビー(Airbnb)を営んだのちに、ハウスシッター(長期留守にするクライアントの家に住み込み、その管理を代行する仕事)として働きながらメキシコを旅してまわったダニ・ベントン氏とエヴァン・ベントン氏夫は、次の冒険を探した。 ふたりは都会にも簡単にアクセスできる、シンプルな田舎暮らしを求めていた。気候がよくて、べ物の多くを自給できれば理想的だ。

    日本の田舎の廃屋を、約100万円で買ったアメリカ人夫婦。エアビーにて1泊2万円で貸し出す
    tokyocat
    tokyocat 2024/12/18
  • 否定文を理解できないAIたち - ジョイジョイジョイ

    BERT や GPT の登場により、テキストを扱うモデルは大きく発展しましたが、否定というごくありふれた操作を扱うのが依然難しいです。 稿では、その理由と、部分的な解決策を紹介します。 目次 目次 否定文を理解できないAIたち 否定文を理解できずに困ること なぜ否定文をうまく扱えないのか なぜたまに成功するのか 対処法 ファインチューニング プロンプトの工夫 否定文を意識した訓練 文書数を増やす クエリとキーを拡張する おわりに 否定文を理解できないAIたち BERT (tohoku-nlp/bert-base-japanese-v3) で A =「私はお寿司が好きです。」 B =「私の好きなべ物はお寿司です。」 のテキスト埋め込みのコサイン類似度を求めてみましょう。A と B は同じようなことを言っており、予想されるようにコサイン類似度は 0.9695 と高いです。 では、 A =「

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    tokyocat
    tokyocat 2024/12/18
    おもしろい! そして、なるほど〜
  • はてなの在宅リモート中心の働き方を競争戦略で切り取る - Hatena Developer Blog

    こんにちは。コンテンツエンジニアリングマネージャーの id:yigarashi です。EMとして企業の働き方について考えを巡らせていたところ、勉強中の競争戦略との結びつきから示唆を得たので記事にまとめようと思います。 2020年の初頭から世界を襲った新型コロナウイルス感染症により、多くの企業がリモートワークへの移行を余儀なくされました。それから5年弱、感染症の脅威は相対的に小さくなりコロナ禍以前の生活を取り戻す動きが増えています。企業の働き方についても、リモートワークと出社勤務の両方を経験した上で、改めて両方の選択肢を検討できる時期と言えるでしょう。しかしながら、リモートワークと出社勤務のどちらが優れているか、私の知る範囲では絶対的な結論というのは現れていないように思います。各社がどんな歴史を歩み、現状をどう捉え、そしてどんなメリットを志向するかによって判断は変わるだろうと考えます。

    はてなの在宅リモート中心の働き方を競争戦略で切り取る - Hatena Developer Blog
    tokyocat
    tokyocat 2024/12/18
    “「インターネットが大好き」をバリューズに掲げ20年以上もテキストコミュニケーションを扱ってきた会社はそうそうありませんから” さすが はてな
  • 大学を無償化してはいけない|飯田泰之

    にわかに活発化している大学無償化論ですが...財源論とは無関係に大学を無償化してはいけません.大学進学への金銭的支援は奨学金制度の拡充と大学への委託によって行うべきです. 高校の無償化とは訳が違うんです. 日はすでに多くの人が指摘している【逆再分配】,個人的にはより重要な問題である【規制強化】について説明したうえで,【大学収益率と生産性】【奨学金改革】についてお話しします. 逆再分配問題 大学無償化への批判としてもっともメジャーなものは【逆再分配】でしょう.すでに多くの論説が指摘しているように,大学進学家計はその他の家計よりも所得が高い傾向があります.大学無償化は大学進学家計への支援ですから,相対的な高所得家計への再分配(逆再分配)になっています. 例えば,『学生生活調査』(日学生支援機構・令和4年)によると大学学部学生(昼間部)の家庭の年間収入は平均853万円.『国民生活基礎調査』(

    大学を無償化してはいけない|飯田泰之
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    tokyocat 2024/12/18
  • 「ポストモダン文学」のあとで|佐々木敦『90年代論』第6回|光文社新書

    阿部和重の登場 阿部和重は1968年、山形県の東ひがし根ね市神じん町まちで生まれました。上京して日映画学校(現在の日映画大学)で学び、卒業後も働きながらシナリオを書き続けていましたが、執筆中のシナリオが映画にするにはディテールを書き込み過ぎていることに気づき、自分はむしろ小説を書く方が向いているのではないかと思い至り、群像新人文学賞への応募をはじめ、「生ける屍しかばねの夜」というタイトルの作品で見事受賞を果たし(ちなみに三度目のトライだったそうです)、同作は『アメリカの夜』と改題されて群像の1994年6月号に掲載、阿部は小説家としてデビューすることになります。 よく知られている話ですが、阿部が働いていたのは当時渋谷の公園通りにあった西武百貨店系列の多目的ホール、シードホールでした。そう、保坂和志と同じです。今はなきこの場所は「都内S区」にある「Sホール」として『アメリカの夜』の舞台にな

    「ポストモダン文学」のあとで|佐々木敦『90年代論』第6回|光文社新書
    tokyocat
    tokyocat 2024/12/18