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人生に関するtwinbroomのブックマーク (152)

  • 25歳だったお母さんへ。

    母は高校教師だった。 母は24歳のときに妊娠し、仕事をやめ、25歳で出産した。 それが私。 弟と妹も生まれた。 一番下がうまれたとき、母は31歳だった。 今の私と同じ年齢である。 母はいつも穏やかで、今に至るまでずっと「良い母親」だ。 幼い時、母が私を抱きしめてくれるたびに、私の幸せは母の幸せだと感じていた。 私も高校教師になった。 働きはじめはとにかく忙殺されており、朝6時~夜22時まで働いていた。 休日は部活のために朝8時~夕方18時半まで学校にいた。 一校目では吹奏楽顧問だったので運動部よりも拘束時間が長かった。 大変だった。でも、体力はあったし、仕事は楽しかった。 授業もしっかりやった。生徒からもちゃんと信頼された。 恋人もいた。忙しいからこそ、ノンストップで動き続けていた。 何より、自分で働いて得たお金を自分のために好きに使うことができることを楽しんでいた。 ある日洗面所で鏡をみ

    25歳だったお母さんへ。
    twinbroom
    twinbroom 2025/02/18
    スターついてないけど、はてのさんのコメントその通りだと思う
  • いつの間にか子供と夫がいた

    高2の頃の私はどこにでもいるアホなギャルだった。 携帯で友達とメールしながら化粧してて、あ、彼氏と待ち合わせの時間だと思って慌てて準備して、玄関から母に今日帰らないからご飯いらないと叫んで、 父が「いい加減にしろバカ」みたいなことを怒鳴り返してきたのを無視して家を出て、少し先まで歩いた所で、当時流行ってた厚底のがひっかかってコケて、 爪のデコレーションが欠けたのをあーネイル行ったばっかなのにーこんな重いのとれやすいって言ってたネイリストの言うこと正しかったわーと思った、のが最後の記憶。 次にふと気がついたら、知らない家にいて、めちゃくちゃ頭が痛いのと、変なゲームボーイみたいなやつが光って電話マークが出てた。 画面になんちゃら幼稚園みたいなの書いてあって、え?でもボタンないのにどうやって出るの??みたいに思ってたら切れた。 とりあえず知らない人の家だけど、おもちゃとかがあり、生活感があって

    いつの間にか子供と夫がいた
  • 子供が掴まり立ちするようになった

    そこらを歩いている全ての人に起こった、なんの変哲も面白みもない、ただそれだけのことなのに、世界中に伝えてまわりたいほど嬉しい。 寝返りをした時も、ズリハイした時も、ハイハイした時も、顔を見て笑顔を見せるようになった時、お風呂でぱちゃぱちゃ遊ぶようになった時、あらゆる成長や変化の全てが愛おしい。 毎日仕事から帰るとハイハイして玄関までお出迎えしてくれるの愛おしすぎる。 あまりにも幸せすぎて当に全ての事故や病気が怖い。 ウクライナやパレスチナで起きていること、子供や若者が失われるようなことが日で起きうるという事実が怖い。 日戦争に巻き込まれない為には原水と核兵器の配備をして、攻撃されたら相手の首都を火の海にする力が必要だと思う。

    子供が掴まり立ちするようになった
  • 小5の頃、ほんの少しのあいだ特別支援学級にいた

    交通事故で膝の骨が粉々になり、半年くらい車椅子の生活を強いられていたことがある。俺はその間、一時的に「ひまわり学級」いわゆる特別支援学級に登校することになった。もといた教室までの階段を登れなかったし、エレベーターもなく、車椅子が入れるフラットなトイレも1階にしかなかったのが理由だ。 でもひまわり学級は身体障害者向けと言うよりは少し知能や精神に問題のある児童のためのものだった。3〜6年生のそういう児童が集められて、各自の進行度に合わせたプリントを進めたり、先生が一対一で教科書を読んで説明したりする。先生は二人いて、一人は児童の勉強を見て回り、もうひとりは大人しくしていられない子どもを落ち着かせたり指導をする、という感じだった。 俺は車椅子用に広めのスペースを開けてもらった教室の右後方からそれを眺めながら「こりゃヤバいところに来たな」と純粋に焦った。常に奇声が上がっているし、自閉症やダウン症の

    小5の頃、ほんの少しのあいだ特別支援学級にいた
  • 最近、同じ部署の女性社員から頻繁に話しかけられるようになった

    理由はわかってて、その子がいつも愚痴を言ったりオタクトークをしていた男性社員が先日退職したんだよね で、そいつの次にそういう話題をふっかけやすいのが俺だったと 正直言って仕事の邪魔だが、部署の数少ない若手社員なので懐いてくれて嬉しい気持ちもある ただ、強がりではなく、全く浮かれるような気持ちにはなっていない 彼女は自分が話したいことをウンウンと相槌打ちながら聞いてくれれば誰でもいいんだろう それが明らかすぎて、便利に使われてるなーと毎日ウンウン言って聞き流している こういう人たまにいるけどよくわからんなと思う 性別問わず、話を聞いてくれそうな人に自分が話したいことや思考の整理のためのおしゃべりを一方的に話して去っていく人は意外と多い 大学の頃にサークル活動で知り合った友人にもそういう男がいた そいつは4年間にわたって一方的に話し続けたが、自分が何を話したか全然覚えてなかっただろうと思う で

    最近、同じ部署の女性社員から頻繁に話しかけられるようになった
  • 死んだ日よりも葬式の日よりも、一緒に遊んでいたソシャゲの終了日が

    遊んでいたソシャゲのサービスが終了することになった。世間的には、円満なサービス終了である。 ずっと作品の中心として紡がれていたメインストーリーが終わり、それをもって作品として完結する。 それから数日後にでオンライン版のサービスが終了し、今後はオフライン版としてサービスを行う。 大団円だ。 ソーシャルゲームという、どこで終わるかわからない綱渡りを常に強いられるゲームにとって、当初から予定していたシナリオを完結させて終わることができるというのは、この上ない最高の終わり方だと思う。 そのうえ、全くなくなるのではなく、オフライン版として遊びたい人はまだ遊び続けることができる。 私も、今までに志半ばで終わってしまうゲームをいくつか経てきたので、これは当に最高の幸せな終わり方だとわかる。 なのに、どうしてか、涙が止まらない。 それは、このゲームが、昨年亡くなった私の伴侶が、私と共にメチャクチャハマっ

    死んだ日よりも葬式の日よりも、一緒に遊んでいたソシャゲの終了日が
  • 時給800円のゲーセンに救われた… 閉館の商業施設に寄せた思い出

    終了直前に届いた2千字 「映画のような…」 Xでも拡散 エッセイ全文 あてもなく新京成線に乗り、新津田沼駅で降りた――そして、そこで働き始めて……。閉館する商業施設の「思い出」を市民団体が募っていたところ、閉館の数日前に寄せられたのは、2000字を超えるエッセイでした。全文を貼り出したところ、SNSで大きな反響を呼びました。 終了直前に届いた2千字 「随分詩的な文章だな、と書き出しに驚きました」 長文のエッセイが届いた時のことを、活動名「明里(あけさと)」さんはそう振り返ります。 明里さんが携わる「習志野の歴史を語る会」では、9月末に閉館した「イトーヨーカドー津田沼店」(千葉県習志野市津田沼)にまつわる思い出や写真を募集し、8月末から閉店の9月29日まで飲エリアで展示会を開催しました。 一般の人からも思い出や写真が20件ほど集まり、津田沼周辺の歴史を手書きでまとめた年表などと共に掲示をし

    時給800円のゲーセンに救われた… 閉館の商業施設に寄せた思い出
  • これ食べていい?

    娘の卵アレルギーが、わかったのは1歳の頃だった。母親なら1歳何ヶ月って覚えてるんだろうけど、それがあたりまえになって何年も経つと、細かいことになってしまった。 「これべていい?」娘は会話ができるようになって、事の時に、何度も何度も聞くようになった。 そのたびに、「いいよ」か、「卵が入ってるからだめ」のどちらかで答えていた。 幸い、祖父母も理解があったので、「少しなら大丈夫」とか「慣れれば平気」といって、勝手に与えるとか、そういうトラブルはなかった。(慣れれば平気は大きな意味で間違っていないかも知れないが) 保育園も協力的で、除去の対応だけでなく、マヨネーズは園全体で、マヨドレ(卵なしのマヨネーズ風調味料)にしてくれたり、なるべく同じ見た目のものをだしてくれたりと、給室と協力して対応してくれた。 園での給とおやつは、他の子どものものをべないようにと、先生の横が、娘の指定席だった。

    これ食べていい?
  • 永瀬拓矢32歳、70分超の電話取材で本音を思わず口に…「藤井(聡太)さんを人間として見てはいけないんです」「これが最後かもしれませんよ」(大川慎太郎)

    「私が自分の頭をよくしようと思ったのは、和服の構造を理解するためじゃないんです。わかりますか? 将棋のために頭をよくしたかったのに、いろいろなことに対してバランスよく能力を上げてしまって、一般人レベルの生活ができるようになってしまった(笑)。そこがちょっと悲しかったんです」 しかし、それは人間としての成長であり、一般的には幸せなことではないか。もちろん永瀬もそんなことはわかっている。 「人間としては一流になれるかもしれませんけど、将棋の超一流にはなれないのかもしれないと思うようになりましたね。人間らしさで勝負するのは、対人間なら通用するでしょう。でも藤井さんを人間と見てはいけないんですよ。やっぱり藤井さんみたいな超一流になるには、将棋だけに没頭していた頃に戻らなきゃいけない。なんというか、その頃って漆黒の世界にいたような感じなんです。でも自分はその後、人間らしくなったというか、彩のある世界

    永瀬拓矢32歳、70分超の電話取材で本音を思わず口に…「藤井(聡太)さんを人間として見てはいけないんです」「これが最後かもしれませんよ」(大川慎太郎)
  • 今年も妻の実家に帰省した。

    車で3時間ほどかかるの実家に今年のお盆も行ってきた。 まだ小学生の娘はの実家が好きで、おじいちゃんとおばあちゃんに(それとに)会えるのを毎年楽しみにしているんだ。 お義父さんとお義母さんも娘のことが好きだから歓迎してくれて、娘はいつにも増してはしゃいでた。 それで疲れたのか、夜には晩御飯をべるとすぐに寝ちゃったんだ。 晩御飯の後、大人だけで少し晩酌しようかって話になって、でもお酒が足りなくなった。 もうちょっと飲みたいよねって話になって、お義母さんが「私が買ってこようか」って言ってくれたんだけど、近くにコンビニがあるし俺が行ってきますって名乗り出た。 それでお願いされて、コンビニまでお酒を買いに行ったんだ。 外に出ると夏の熱気がまだ残っていて、それでも知らない夜の住宅街を歩くというのは不思議と悪い気分じゃなかった。 酔いを醒ますのにもちょうど良かったのかもしれない。 コンビニは空い

    今年も妻の実家に帰省した。
  • クソうぜぇ客いたから、もう書くわ

    こういうのってホントは良くないんだろうけど、流石に頭に来たからもう書く。 こんばんは。はじめまして。 30手前で〇ープ嬢やってる増田です。 この時期って、というか今週も先週に引き続いて繁忙期。 お店としてはけっこうな稼ぎ時で、お盆って地域によって日にちが少し違ったり、業種によっては休みがずれ込んだりするでしょ? それで先週に引き続いて今週も忙しかった。 でも稼げるときに稼ごうって思って、今日も頑張って働いてたんだ。 今日の夕方、指名が入ってさ、相手はくたびれた感じのおじさん。 歳は多分50前後だと思う。 明らかに非モテだなって、一目で分かった。 けど仕事だからね。こっちだって一応はプロだからさ、表情にはおくびにも出さずに笑顔で接したんだ。 もちろん、仕事だから甘い言葉だって囁きます。 お兄さんカッコいいね、って言いながら体を洗ってあげて、勃起したお〇ん〇んを見て、わぁ…大きい…!なんてテン

    クソうぜぇ客いたから、もう書くわ
  • 職場のADHDのAさんが辞めてくれて嬉しい1

    私の職場のADHDのAさん(私の後輩)が辞めてから職場が明るくなった。 スムーズに仕事が回るようになって、みんなイライラしなくなった。 なぜ私がAさんがADHDかということを知ってるのかというと、Aさんが飲み会で突然カミングアウトしたからだ。 Aさん「実は自分、ADHDで…」 静まる周り。 Aさん「あ〜、一般人の方は知らないですよね。ADHDというのは…」 その後AさんはADHDについてとても詳細に説明してくれた。 しかしその場の人の反応がイマイチだったのADHDについて知らなかったからではなく、他の人が話している最中に話し始めたからという理由が大きいことに気づいていないだろう。 みんな先ほどの話が気になっていたはず。少なくとも私はそうだった。 Aさんのカミングアウトを受けて私は正直そうだろうなと思った。思い当たるフシしかなかった。 Aさんはとんでもなく視野が狭く、ありえないほどミスが多く

    職場のADHDのAさんが辞めてくれて嬉しい1
    twinbroom
    twinbroom 2024/07/29
    ブクマカがこれ読んで10分くらいで思いついた無責任な「こうすればよかったのに」なんて、当事者は数年単位で考えてるんだから、当然やってみて、ダメだった結果がこれなんだと思うよ。おつかれさまでした。
  • 19人育てた里親「親のない子はこんな残酷なことになるのか」里親から引き離される晩に小2男の子が言ったこと 「生きるのをやめようと思ったけど、この家があるから生きることにした」

    「障害のある子」だけ預かる里親になったワケ 閑静な住宅街の一角にある、二階建ての一軒家。可憐な花に彩られた玄関周り、あたたかな雰囲気が漂う「坂」と表札がかかるこの家には、「坂」と異なる姓を持つ子どもが5人暮らしている。ここ「坂ファミリーホーム」は、何らかの事情で親と暮らせない子どもが、里親に育まれながら成長していく場所だ。 ※「ファミリーホーム」とは2009年に創設された制度で、養育者の住居で5〜6人の里子を育てる、里親を大きくしたようなもの 私にとっては3年ぶり、そしておそらく6回目となる来訪だった。里親の坂洋子さん(67歳)が、明るい笑顔で迎えてくれる。リビングには家族旅行の集合写真や、それぞれの子の七五三や卒業式などの写真、子どもたちの作品が壁に飾られ、足を踏み入れただけで、愛情に満ち溢れた、あたたかな雰囲気を肌で感じた。 小柄ながら、いつもパワフルな“みんなのお母さん”であ

    19人育てた里親「親のない子はこんな残酷なことになるのか」里親から引き離される晩に小2男の子が言ったこと 「生きるのをやめようと思ったけど、この家があるから生きることにした」
  • 夫は私が浮気性の異常性欲者だということを知らない。

    当方、アラフォー既婚、子持ち女。 夫とは現在、セックスレスだ。 夫は私が浮気性の異常性欲者だということを知らない。 セックスというものの存在は小学校3年生の頃には知っていた。 父が隠していたエロやAVで知識を仕入れた。 小学4年生の頃には立派にオナニーをしていたけれど 指を突っ込んでみてもキュッキュと痛むだけで、全然気持ち良くはなかった。 どうしても性への興味が強すぎて処女は12歳の頃に10万円で売った。 相手はガラケーの出会い系サイトで知り合ったチビでデブのオッサンだ。 チンコというものが忘れられなくて、すぐにまた別の奴にマンコを売った。 特別可愛いわけじゃないけれど、繁華街に住んでいたのでチンコと金には困らなかった。 15歳の頃、mixiで知り合った24歳の男と付き合った。 私が処女じゃないと知ってガッカリしていた。今思えばそりゃそうだ。 その彼氏はちゃんと私のことを大事にしてくれて

    夫は私が浮気性の異常性欲者だということを知らない。
  • バイト中に遭遇した女 【虚】

    なんか、この前バイトしてたらやべえことがあって。とりあえず、憶えているままに書くわ。 バイトはコンビニなんだけど、夜の10時からシフト入ってた。マンションの一階に入ってる店舗で、夜中でも住人がちょくちょく買い物にくるから、まあま忙しい。でも、そのときは客がひとりもいなくて、先輩は裏方で何かやってた。俺はレジカウンターで雑用してた。そしたらさ、女が急に店に飛び込んできて。 血まみれだったんだよ、その女。 俺が立ってるカウンターのところにふらふら近づいてきて、かなり近距離で向かい合ったんだけど、そいつの鼻、ぺしゃんこだった。口からもすげえ血が出てて、もう顔面が真っ赤でべちょべちょ。あまりにも突然のことだったから、一瞬、放心状態みたいになっちまった。 で、女が口をパクパクさせて、何か俺に伝えてこうよとしてんだよ。でも、ガフガフって音がするだけで、何をいってるのか全然わかんなかった。よく見ると、舌

    バイト中に遭遇した女 【虚】
    twinbroom
    twinbroom 2024/07/23
    よかった。顔の潰れた女性はいなかったんだ!
  • 勤務中に突然イキかけた

    タイトル通りで、打ち合わせ中に突然身体が絶頂寸前になって危うくイくところだった。 とてもリアルで相談できる内容ではないので、もし読んでくれた人で経験者がいたら対処法を教えてくれるとありがたい。 増田は女。 とりあえずありのまま起こったことを書く。 その日は打ち合わせのため同僚数人と他社に出向いていて、会議室の椅子に座って1分後くらいにふと違和感を感じた。 違和感というか性感。 下腹~クリにかけてびりびりとした気持ちよさを確かに感じて驚いた。 思わず何かが性器に当たっているのか、腿の下に手を突っ込んで確認してしまうくらいだったが、特に何もなかった。 ただ急に無から性感が生えてきて、あっという間に強くなり、数分後にはオナニーも佳境絶頂一歩手前くらいの気持ちよさが下腹からひしひしと湧き上がってきていた。 めちゃくちゃ動揺したし、あまりに非現実的すぎて夢なら覚めるように念じるも会議は無慈悲に進行し

    勤務中に突然イキかけた
  • 精子観察キットを使ってみて感じたこと

    7/13 驚いた。コメントを返しておく。 https://anond.hatelabo.jp/20240713003005 筆者の友人の女性との話題で、女友達が妊活に苦労していて大変そうみたいな話をよく聞く。身の回りの男性もすでに既婚者となるなか独身を貫く筆者にはおおよそ無縁な話であるが、女性の子供が欲しいながら恵まれなかったという話に相槌を打つのである。 しかし教養として知る話として、不妊の原因の半分は男性にあると言われている。子供ができないことにヒステリックになる背景に、男性が他人事になって検査もしてくれないと聞く。プライドはわかるが検査はした方がいいと思った。 それはそうとして、そもそも諸君は自身の精子を見たことがあるだろうか。毎日出している白いやつと言えば半分は合っているのだが、実は精子は白くないのを知っているだろうか。そもそも毎日向き合っているものを知らずして他人に押し付けてよい

    精子観察キットを使ってみて感じたこと
  • 子育て終わった!やったーー!!【問い合わせに関する追記】

    7/11 なんかツイッターの有名な方に拡散していただいたようでありがとうございます!!!とんでもないことになってしまった… 子育て終わった開放感で書き殴った日記がこんなことになるとは思ってもみませんでした。 取材に関しては、別の媒体で内容を掲載されることで息子に微妙に違ったニュアンスでこの日記の内容が伝わってしまうもしれないリスクがあるので申し訳ありませんがお断りさせてください。 ひぇーーーー!なんかめちゃくちゃ読まれてる!!今更恥ずかしい!! お祝いのコメントありがとうございます!!! めちゃくちゃ嬉しいです!!! 子どもはインスタとかビーリアル(ビリアル?かどっちか)をちょっとしかやってないらしいし、仕事に関する勉強で忙しいらしいからこの日記も読まれないと思ってはいるけど、もし読んじゃったら教えてね!!! 私が当は愛せるか分からなかったし子供産むの怖かったって話はちょっと前チラッとし

    子育て終わった!やったーー!!【問い合わせに関する追記】
  • 実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後

    そのじいさんが亡くなった。 昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。 安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。 そんな調子で車を借りて

    実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後
  • 妻の七回忌終わった時点での感想

    やっぱり俺は薄情かもしれない 葬式の時以来泣いた覚えないし 墓参りは義両親や友人をアテンドするときしか行かねーし 仏壇にいたっては法事の時しか手を合わせてない まぁ生前も墓やら仏壇やらイミフって感じだったしそこは許しねってことで だからと言ってのことを思わない日は無い 特に「娘の今をに見せたかった」ってのは毎日思う 娘が立って歩いたり、しゃべったり、保育所で仲のいい子ができたり、歌うのが好きだったり、 ごはんが美味しいときに黙ってサムズアップしたりするのをは全部知る前に逝ってしまったから 「あの時死ぬのをがためらってくれていたら」、「俺がにもっと寄り添っていれば」、 「実家がの症状をもっと理解してくれていたら」なんていうタラレバが頭をよぎることはあるが 熱量的に言えば「今日の晩御飯何作ろう?」の方が大きい 父子家庭だからと言って育児で困っていることはほぼ無いというか には申

    妻の七回忌終わった時点での感想