【ベルリン=工藤武人】ドイツのメルケル首相は20日、独南部にある旧ナチス・ドイツのダッハウ強制収容所跡を訪問し、追悼の花輪を手向けた。 DPA通信によると、独首相が在任中に同収容所を訪問したのは、西独時代も含めてメルケル氏が初めて。 ダッハウ収容所は、ヒトラーが政権を奪取した1933年に設置された強制収容施設で、ユダヤ人など20万人以上が収容され、約4万3000人が死亡した。 同通信によるとメルケル氏は、「収容者の運命を思うと、非常に悲しく、恥ずかしい思いでいっぱいになる」と述べ、惨劇を二度と繰り返さないと誓った。 メルケル氏は、同収容所から生還した人たちで作る団体の招きで収容所跡を訪れた。ただ、9月の連邦議会(下院)選挙に向けた遊説の合間を縫っての訪問だったため、「(犠牲者への)配慮を欠いている」との批判も出ている。
リンク 朝日新聞デジタル 麻生副総理の憲法改正めぐる発言の詳細 麻生太郎副総理が29日、東京都内でのシンポジウムでナチス政権を引き合いにした発言は次の通り。 僕は今、(憲法改正案の発議要件の衆参)3分の2(議席)という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民 buvery @buvery 『憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当にみんないい憲法と、みんな納得してあの憲法変わっているからね。ぼくは民主主義を否定するつもりはまったくありませんが 2013-08-01 03:58:10
【ベルリン=宮本隆彦】麻生太郎副総理兼財務相が改憲問題をめぐる発言で、戦前ドイツのナチス政権を悪い例としてあげたと釈明したことを受け、独紙フランクフルター・アルゲマイネは二日「聞いた人はそんな理解はしないだろう」と批判的に報じた。 記事は「ただの『誤解』だ」との見出し付きで麻生氏の釈明を引用。発言の詳細や経緯に加え、安倍政権が改憲を目指している状況や、韓国や中国が反発した事情も伝えた。 フンボルト大で現代史を研究するマルティン・ザーブロ教授(59)は本紙の取材に「ヒトラーは反対する共産党を迫害しながら自身に権力を集中させる全権委任法を成立させた」と説明。「ワイマール憲法がいつの間にか変わっていた」とする麻生氏の発言は誤りだと指摘した。
民主政体でなぜ独裁?=「ナチス憲法」Q&A 民主政体でなぜ独裁?=「ナチス憲法」Q&A −麻生太郎副総理兼財務相のいわゆる「ナチス憲法」発言が物議を醸している。 ドイツは第1次世界大戦(1914〜18年)の敗北に伴って帝政が崩壊し、当時の欧州の中で最も進歩的な民主政体とされるワイマール共和国が成立した。その進んだワイマール憲法下で実施された選挙で、ヒトラー率いるナチス党(国家社会主義ドイツ労働者党)が第一党の座を獲得し、独裁体制へ突き進むわけだが、麻生氏が言うような「ナチス憲法」といったものは存在しなかった。ナチス政権の下でも、ワイマール憲法は形骸化しながらも残っていたのであって、「ナチス憲法」に取って代わられたわけではない。 −どうしてヒトラーはそんな民主的な憲法の下で、独裁体制を構築できたのだろうか。 1933年1月のヒトラー内閣成立直後の3月、国会で「全権委任法」が可決された。
ドイツでナチ犯罪追及の新たな波が起こっています。第2次大戦中にユダヤ人などの大量虐殺の舞台となったアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所のハンス・リプシス元看守(93)を5月6日にドイツ南西部シュツットガルト検察当局が逮捕。5月30日には、同じくアウシュビッツ・ビルケナウでナチ親衛隊の隊員だった、旧東独メクレンブルク・フォアポンメルン州出身の3人が捜査されていることが明らかになりました。 ナチス・ドイツは、隣国への侵略戦争や600万人を殺害したといわれるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)など数々の戦争犯罪をしてきました。ナチスが連合軍に敗れ去った後、ニュルンベルク国際法廷は、ナチスの最高幹部19人に有罪判決。日本と違うのはその後、旧西独で自国の裁判所によってナチ犯罪を裁き続けていることです。 「ナチ犯罪に時効なし」の原則が1979年に確立しました。独検察庁がつくった、ナチ犯罪について情報収集を
ドイツ、ブランデンブルク州ポツダムにあるベーリッツ・サナトリウムはかつてヒトラーが、第一次世界大戦における最大の会戦と言われている1916年のソンムの戦いで太ももの怪我を治療した病院として知られている。 この病院は、当時流行していた結核の治療のため、ドイツ国立保険研究所により、1898年から1930年の間に建てられたものだが、アドルフ・ヒトラーが戦争の傷を治療する為に入院して以来、ドイツ帝国軍の軍病院となった。 この病院は総面積200ヘクタールで60の建物で構成された医療複合施設の療養所で、ひとつの町として機能していた。第二次世界大戦後、1945年にソ連軍に占領され、ソ連軍病院として使用されることとなる。 ソ連はここで、様々な治療のための研究を行っていたが、1995年、民営化された。病院はその後、パーキンソン病の患者を支援する神経リハビリテーションセンターとして使用されていたが、立地条件が
ドイツ・バイロイト(Bayreuth)で上演されるリヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner)のオペラ「ローエングリン(Lohengrin)」(2013年5月19日撮影)。(c)AFP/DAVID EBENER 【5月21日 AFP】ナチス(Nazis)の独裁者アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)が愛好したことで知られるドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner)の生誕200年を控え、世界各地のオペラハウスではさまざまなイベントが準備されている。 ワーグナーを題材にした書籍は歴史上の音楽家の中で多いかいもしれない。そして生誕200年に合わせ、新たな伝記や批評研究、評論本がさらに発表されている。雑誌や新聞は評論やインタビュー、記事を立て続けに掲載し、楽曲をあらたに演奏・録音した新盤も一斉に発売されている。 5月22日の生誕200年を前に、世界の有名
「ナチス版」ワーグナー上演中止=客が体調崩す−ドイツ歌劇場 「ナチス版」ワーグナー上演中止=客が体調崩す−ドイツ歌劇場 【ベルリン時事】ドイツ西部デュッセルドルフの歌劇場「ドイツ・オペラ・アム・ライン」は9日、ナチスをテーマに演出したリヒャルト・ワーグナーの歌劇「タンホイザー」の上演を中止した。ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)を想起させる場面に体調を崩し、治療を受ける観客が相次いだためという。 ドイツのメディアによると、強制収容所の看守によるユダヤ人殺害のほか、ガス室や焼身自殺を描いた場面が盛り込まれていた。歌劇場は、演出家が変更を拒んだため、今月上旬に始まったばかりの上演を中止すると説明。今後はコンサートとして音楽だけを演奏する。(2013/05/10-09:06)
【ベルリン=工藤武人】2000年から07年にかけ、ドイツ各地でトルコ系やギリシャ系移民ら10人がネオナチ・グループに射殺された連続殺人事件の裁判が、ミュンヘン上級地裁で始まり、「世紀の裁判」(DPA通信)として独社会の強い関心を集めている。 ナチスの過去克服に努めてきた戦後ドイツが、ネオナチの脅威に目を背けていた現実を突きつけているためだ。 ニュルンベルクやハンブルク、ミュンヘンなど国内各地を舞台にした連続殺人事件では、トルコ系移民8人、ギリシャ系移民1人、ドイツ人女性警察官1人が犠牲になった。検察当局は、一連の事件は、「国家社会主義地下組織」を名乗る旧東独テューリンゲン州で設立されたグループの男女3人の犯行と見ている。3人は97年から11年にかけて、銀行強盗14件、複数の爆発事件も起こしたとされる。 同地裁では6日、殺人の共謀罪などに問われている女性メンバーのベアテ・チェーペ被告(38)
権力を掌握するに至ったナチスの歴史を扱った展示会には数万人が足を運び、第三帝国をテーマにしたテレビドラマには数百万人の視聴者がつく。ヒトラーが現代のベルリンに現れるという小説は、一夜にしてベストセラーとなる人気ぶりだ。 ドイツでは今年、ナチスに関する歴史の節目を迎えるため、これまで以上に自国の歴史に興味を持つ人が多くなっているようだ。あの時代に祖父母が何を経験したのか、海外で平和活動に従事する今日のドイツ人にとってナチスの負の遺産がいかに障害となっているか、ギリシャやスペインの失業者がなぜメルケル首相を「新たなヒトラー」と揶揄(やゆ)するのかなど、テレビや新聞、ネット上でもナチスに関する話題は尽きない。
【ベルリン=工藤武人】ドイツ政府が、国内で出版禁止になっている旧ナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーの著書「我が闘争」について、著作権の保護期間が切れる2015年末以降も禁止を続ける方向で検討していることが明らかになった。 独連邦議会が2日、野党社会民主党(SPD)議員団からの質問に対する独政府の回答書を公表した。 アーリア人の人種的優越を主張した「我が闘争」は、第2次世界大戦直後にドイツを占領した連合国が出版禁止とし、ドイツもこの措置を継続。著作権はバイエルン州政府が管理している。ヒトラーは大戦末期の1945年に自殺した。 ドイツでは、著者の死後70年で著作権の保護期間が切れるため、同州の州都ミュンヘンの現代史研究所は2016年以降、学術的な観点から同書を出版する準備を進めている。しかし、独政府は回答書で、同書の内容は「人間蔑視の思想」と非難。著作権保護期間が切れた後も、出版を「効果
ヒトラーが現代に復活するという物語「彼は戻ってきた」。ドイツでベストセラーになっている=2013年3月、篠田航一撮影 【ベルリン篠田航一】ナチス・ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーは死んでおらず、現在のベルリンで突然目を覚ましたが、その風貌や言動から「風変わりなコメディアン」と勘違いされ、テレビスターになっていく−−。そんな筋書きの小説「彼は戻ってきた」が、ドイツでベストセラーになっている。昨年9月の発売以降、既に40万部を超すヒットとなり、独メディアによると、日本を含む20カ国以上での翻訳が決まっているという。 ドイツではヒトラー賛美が刑法で禁じられており、ヒトラーが人気者になる過程を描くこの作品は「かなり危険」(シュテルン誌)との指摘もある。だが、著者でジャーナリストのティムール・ベルメス氏は独メディアに対し、「人々がヒトラーに自然に共感していく過程を描くことで、逆にその危険性を指摘し
過去にローンやクレジットカードの返済を延滞・滞納したことがある等、思い当たるふしがある方は、今後のカードローン審査に無事通るのか不安に思うのではないでしょうか。
ナチス・ドイツによるオーストリア併合75年に合わせ、オーストリアの世論調査機関が実施した調査で、ナチスのヒトラー支配下の時代について「全てが悪かったわけではない」と考える国民が42%に上った。オーストリア紙スタンダードが伝えた。 オーストリアはナチズムを掲げる組織の設立や支援のほか、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の否定や正当化を法律で禁じている。調査結果はドイツ誌シュテルンが「ショック」と報じるなど、国内外で波紋を広げている。 世論調査は16歳以上の有権者502人を対象に実施。「ナチス禁止の法律がなかったら、ナチスは思想が受け入れられ選挙で成功すると思うか」との問いに54%が「かなり可能性が高い」と答えた。「オーストリアに強い指導者が必要」と回答したのは年齢の高い層を中心に61%に達した。2008年の同様の調査では約20%だった。 ヒトラーはオーストリアのブラウナウ出身。
ドイツ・カールスルーエ(Karlsruhe)の警察が公開した、移民ら10人を殺害したとされる極右グループ「国家社会主義地下組織(NSU)」のメンバー、ベアテ・チェーペ(Beate Zschaepe)容疑者の顔写真(2011年11月1日公開)。(c)AFP/BUNDESKRIMINALAMT 【11月9日 AFP】ドイツ検察当局は8日、7年間にわたってトルコ系移民ら10人を殺害したネオナチグループの中心的な存在とされる女を、殺人罪などで起訴したと発表した。 南部ミュンヘン(Munich)で起訴されたのは、「国家社会主義地下組織(National Socialist Underground、NSU)」を名乗る極右グループのメンバー、ベアテ・チェーペ(Beate Zschaepe)被告(37)。2000~07年にドイツ各地でトルコ系やギリシャ系の移民男性9人とドイツ人女性警察官1人の計10人を殺
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