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とても刺激的な映画を観(み)て、本を読んだ。たまたま同時期に公開/出版されたものにすぎないが、両者を並べて評してみたい。 映画は森達也監督の「FAKE」。佐村河内守氏を取材したドキュメンタリーだ。一昨年のゴーストライター騒動−−聴覚障害者で現代のベートーベンとも呼ばれた著名作曲家に、実はゴーストライターがいた。本人は楽譜も書けず、耳もよく聞こえると告発されたのだ。ワイドショーや週刊誌で袋叩(だた)きに遭い、マスヒステリーの様相を呈した。 騒動は完全に消費され、その後、佐村河内氏は沈黙を貫く。「FAKE」のカメラは、妻と猫と引きこもる自宅室内へと侵入、佐村河内氏の肉声を伝える。出演依頼に訪れるテレビ関係者の滑稽(こっけい)な態度、追及する外国人ジャーナリストとの緊迫したやりとり。「A」や「A2」でオウム真理教の内部から外へとカメラを向けた森監督の卓抜した手腕は存分に発揮される。だが、それだけ
「障害児の出産を減らす方向に」発言の茨城県だけじゃない、日本中に蔓延する排除の空気と出生前診断に山崎ナオコーラが… 「(障がい児の出産を)茨城県はそういうことを減らしていける方向になったらいいなと」 今月18日、茨城県総合教育会議の席上でこのように発言した長谷川智恵子教育委員。長谷川教育委員は「妊娠初期にもっと(障がいの有無が)わかるようにできないんでしょうか。4カ月以降になると堕ろせないですから」「(特別支援学級は)ものすごい人数の方が従事している。県としてもあれは大変な予算だろうと思った」「意識改革しないと。生まれてきてからでは本当に大変です」とも発言。しかも、この発言に非難が集まるなか、今度は橋本昌・茨城県知事までもが「産むかどうかを判断する機会を得られるのは悪いことではない」などと述べ、騒動はさらに拡大した。 結果、長谷川氏は24日付けで退職、橋本知事も陳謝に至ったが、教育や政治に
本の紹介をしたい。著者は「障害のある子の親」であるが、以下に書くことは少しだけ読み替えれば「障害児者の親」に限らず「親」一般にも当てはまる部分が多いだろう。書名が「障害のある子の親である『私』」ではなく、「障害のある子の親である『私たち』」となっているのはちゃんと理由がある。著者がつけたのか出版社がつけたのかはわからないが、ここに込められた大事なメッセージこそがこの本の大きな価値だ。 障害のある子の親である私たち 作者: 福井公子出版社/メーカー: 生活書院発売日: 2013/09/15メディア: 単行本(ソフトカバー)この商品を含むブログ (3件) を見る 障害児者の親が書いた本は他にもたくさんある。親が書いた本に救われた経験をもつ親もいる。 子どもを産み、育てる過程での不安、ショック、悲嘆、自責。それらはひとりで抱え込むにはあまりに重く、誰かの支えを必要とする。自分のような支援者もその
2011年春、東北の被災地に行ってきたことがある。 GW後ならば、私のような非力な人間でも需要があるだろうと思い、友人のプロジェクトに参加させてもらう形で、規制線内に物資などの支援に行ってきた。 語弊があるかもしれないが、そこで見たのは、死者に優しく、弱者に厳しい世界だった。自衛隊員が絶望的な表情で、膨大な人力と重機で遺体捜索する一方、道路が寸断された向こう側では、眼鏡、スリッパ、毛布、サインボール等が散乱する海岸近くの砂地で被災者たちがテント生活を送り(公共施設からはみ出る形)、そこには水道もガスもトイレもなく、風呂はサウナ、電気は発電機で若干しかない状態だった。他方、上空では、海自のヘリがしきりに遺体捜索で飛んでいた。 元自衛官の友人は、「自衛隊は遺体捜索より、さっさと道路等のインフラを修復し、被災者の生活再建と向上に注力するべき」ではないかと呟いたが、私も同感だった。既に亡くなった方
2000〜10年代、転職や資格、異業種交流などを通じてスキルアップ、キャリアアップを図ろうという“ブーム”があった。現在でも、朝活やTOEIC受験、資格取得などにはげむ人は多く、“スキルアップブーム”は一向に冷める気配はない。しかし、『なぜ、勉強しても出世できないのか?』(ソフトバンククリエイティブ)の著者、佐藤留美氏によれば、そんな“スキルアップ族”の多くは失敗し、スキルダウンしていったという。 今回、佐藤氏に、 「勝ち組になるはずだった若者たちは、どうして負け組になってしまったのか?」 「幸せな仕事人生を送るために“本当に”必要な仕事術」 について聞いた。 ーー今回、『なぜ、勉強しても〜』を書かれたきっかけについて、教えていただけますでしょうか? 佐藤留美氏(以下、佐藤) 私はこれまでに、一生懸命スキルアップに励んでいる、いわゆる「スキルアップ族」と呼ばれる30歳前後の人をたくさん取材
2008年に行われたタナー講義をもとにした、人間の協力傾向をめぐる進化心理学についての本。前半はトマセロの講義、後半はその講義のディスカッションに参加していた他の研究者からのコメント。トマセロの研究がどのようなものかは、一番さいごのスペルキからのコメントがよくまとまっていて、分かりやすかった。 トマセロは、マックス・プランク進化人類学研究所*1で、幼児とかチンパンジーとかでの実験を通して、進化心理学的な研究をしているみたい。 最近、協力がどうして進化したのかという関する本がいくつか出ていて、なんか流行ってんのかなーという感じがしたので、読んでみた。 以前読んだ、スティーヴン・ミズン『歌うネアンデルタール』 - logical cypher scape2でも、音楽の起源として、ホミニドの協力行動との関わりが重視されていた。 時々、グライスとかネーゲルとかサールとかの名前も出てきて、この分野で
〈本の紹介〉辺見庸著「国家、人間、あるいは狂気についてのノート」を読む/ 河津聖恵 2013年04月16日 16:06 文化・歴史 「内面化された『私達のファシズム』」をあぶり出す」 大震災以後この国では、表層と深層、国家と人間、身体と心、言葉と意味の乖離が、もはや止めようもなく進行している。深層が表層を突き破り、新たな災厄や戦争が始まる予感がする。前兆はどこにあるか。破滅を食い止めるために何が出来るか。私達は今を覆う明るい闇に眼をこらし「暗順応」し、「正気」を装う「狂気」を「視かえし」、実相を突きつけていかなくてはならない。本著は今なお見者たらんとする者に、「じっと視かえす」位置と方途を、魂を抉るように指し示してくれる。 冒頭で、メディアが総力をあげて隠す「日本的情念の古層」が指摘される。情念の発動には、恐怖と快楽の脳内回路の短絡が関わる。二.二六事件の首謀者が「あの快感は恐らく人生至上
中野通りで先日、ウオーキング花見と洒落てみたが、以前の濃密さは感じなかった。梶井基次郎や坂口安吾の小説、井上陽水やイエロー・モンキーの曲に、桜は狂気の象徴として描かれていたが、東日本大震災後、空気は変わる。狂気は既に社会に蔓延し、正気を駆逐する勢いだ。 なんて偉そうに書いてみたが、狂いつつあるのは、社会ではなく俺の方かもしれない。淡々と伝えられるニュースに違和感を覚える〝孤独な狂者〟の拠りどころは、2月に発刊された辺見庸の「国家、人間 あるいは狂気についてのノート」である。 メーンに据えられた鵜飼哲との対談を読み解くためのテキストとして、既出の評論、詩文集「生首」と「眼の海」からの抜粋に書き下ろしを加え、再構成する形を採っている。テーマは多岐にわたるが、咀嚼できていない辺見の言葉を書き散らすのは無意味だ。当稿では自分の経験や感覚に照らす形で、狂気について記すことにする。 まずは、俺が<社会
深尾葉子著『日本の男を喰らい尽くすタガメ女の正体』(講談社+α新書)は既に騒然たる反響を呼んでいる。その出版前後のツイッター上の騒動については以下をご覧いただきたい。 出版前 http://togetter.com/li/491036 出版直後 http://togetter.com/li/492269 同書については既に、ながたかずひさ氏による書評が出ている。 http://rakken.sblo.jp/article/65710385.html これつづいて、法社会学者の福井康太・大阪大学大学院法学研究科教授の書評が出た。深尾氏への手紙の形式をとっているが、公表を前提に書かれたもので、福井教授の許可を得てここに掲載する。 ===== 深尾先生 福井です。『日本の男を喰らい尽くすタガメ女の正体』(講談社+α新書)[以下タガメ本]を一気に読み上げました。タガメ本は、「タガメ女」というキーワ
「何か」がおかしいのは分かっている。でも、その「何か」がよく分からないからもどかしい。売春島、偽装結婚、ホームレスギャル、シェアハウスに貧困ビジネス。自由で平和な現代日本の周縁に位置する「あってはならぬもの」たち。それらは今、かつて周縁が保持していた猥雑さを「漂白」され、その色を失いつつあるのだという。 著者は、『「フクシマ」論』でおなじみの社会学者・開沼博。私たちがふだん見て見ぬふりをしている闇の中で目を凝らし、現代社会の実像を描き出す。本書のベースとなったのは、ダイヤモンドオンラインでの連載でも好評を博した「闇の中の社会学」シリーズである。 明治以前から売春を生業とする島 その孤島では、島の宿に宿泊するか、あるいは置屋に直接赴くかすれば「女の子」を紹介される。「ショート」の場合は一時間で2万円、「ロング」がいわゆる”お泊り”を指し4万円。女の子の割合は日本人と外国人が半々か、やや外国人
ハンス・アビング 著 芸術への崇拝は、十九世紀西洋で、ブルジョア的な金権と経済合理性に対するロマン主義的反撥(はんぱつ)として生じた。芸術家は金のために仕事をするのではない、美的価値は市場価値とは異なるというような考えが、この時期に生まれたのである。しかし、「芸術の神話」が真に確立したのは、芸術家らが反抗しようとした、当のブルジョア自身が、そのような芸術を崇拝し、そのために奉仕することを高尚なことだと考えるようになったときである。 さらに、国家も芸術を支援することで威信を示そうとするようになった。芸術を理解する文化的国家と見られたいのである。その結果、芸術は市場によってよりも、政府や企業・ブルジョアからの贈与によって成り立っている。それだけではない。贈与が、市場価値とは異なる美的価値を保証する仕組みになっている。たとえば、市場で売れなくても、公的な助成金を得たり、美術館によって買い上げら
本書「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」(参照)の表題の問いについて関心がある人なら、それは「おわりに」の数ページが扱っているだけなので、さっとそこだけ立ち読みすれば終わる。ただ、さっと読んでわかる回答は書かれていない。筆者の用意した回答としては「庶民の宗教だから」というのが筆頭に来るが、それが明瞭に支持された解説に拠らずややわかりづらい印象を受ける。しかし、そこは本書の欠点ではない。 むしろ本書全体を読めば、明瞭な答えに導かれる。つまり、浄土真宗は妻帯から家系による寺の相続が可能になったこと(本来寺はそういうものではない)と、妻帯に伴う縁組みで閨閥が形成できることだ。 浄土真宗を宗教としてみるとわかりづらいが、諸侯や商店の特異とも見ればよいとも言えるだろう。浄土真宗藩や浄土真宗店とでもいうようなものである。さらに江戸時代に幕府から特別に保護されたことの要因も大きい。 ただし、それらの
戦後SF事件史---日本的想像力の70年 (河出ブックス) 作者: 長山靖生出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2012/02/11メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 2人 クリック: 122回この商品を含むブログ (34件) を見る なんだ、戦後 SF 事件史で、愛国戦隊大日本とかにも触れてて、ぼくが一回も出てこないの? つまんなーい。ちなみにこの本、しょせんは戦後「日本」SF「業界」事件史なんだよね。 が、それ以上にぼくががっかりしたところは、本書の最後。東北震災と前後して小松左京が死んだことに触れて「日本は今、もっとも必要な人材を失ったのである」(p.271) と述べて、SF 的な想像力こそが震災からの復興に大きく役立つはずだ、とまとめている。 小松左京的な構想力のかつての意義とその現代的な課題については、イナバ、田中、山形の SF 鼎談でかなり語った。そしてそこでも指摘
ホブズボームの『創られた伝統』以来、いま現在一見「伝統的」と見なされている事物が実は近代になってから創作されたものであるという認識枠組みは、社会学や人類学方面ではそれなりに一般化していますから、その意味ではその通俗音楽分野への応用研究ということでだいたい話は尽きるのですが、 http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334035907 「演歌は日本の心」と聞いて、疑問に思う人は少ないだろう。落語や歌舞伎同様、近代化以前から受け継がれてきたものと認識されているかもしれない。ところが、それがたかだか四〇年程度の歴史しかない、ごく新しいものだとしたら? 本書では、明治の自由民権運動の中で現れ、昭和初期に衰退した「演歌」――当時は「歌による演説」を意味していた――が、一九六〇年後半に別な文脈で復興し、やがて「真正な日本の文化」とみなされるようになった過
アイデンティティの経済学その1の続き 第二部はアイデンティティの経済学を4つの実例に即して解説した内容である。僕には最初のケース(士官学校や労働市場のケース)は非常になじみの深いテーマ。拙著の『日本型サラリーマンは復活する』(NHK出版)でもとりあげた社会資本(本書ではこれを「忠誠心」としている)が、賃金の下方硬直性の由来であるとか、あるいは賃金格差があまりなくとも人々はやる気を刺激される、といった制度の説明として利用できる話。ここらへんの話題は実証も豊富であり、本書でもいくつかの業績について注意を促している。 ここでは最後の実例である「差別と社会的排除」について簡単にまとめておく。数日前に研究会が行われたがそこでテーマになったグンナー・ミュルダールはかってアメリカの黒人問題を『アメリカのジレンマ』としてまとめた。本書でも黒人問題(貧困、犯罪率の高止まり、失業問題、教育環境の劣位など)が存
まさか出るとは思わなかったアカロフらの野心的な著作である。なぜ野心的か。それはいままでの経済学は「自分がなんであるのか」というアイデンティティについて(例外はあるものの)最近までほとんどまともに考究していなかったからだ。 まず本書でいうアイデンティティは社会的な文脈で理解されているものだ。例えばアイデンティティは、自らがどんな社会カテゴリーにあてはまるか、という形で人の行動動機に影響を与える。なぜなら社会カテゴリーが違うと、それに伴う行動動機に違いが生じるからだ。この違いは、主にその社会カテゴリーによる「規範」や「理想」によってもたらされる。 アカロフらは、「行動が規範や理想と合致したときの利得、あるいは合致しないときの損失を表す「アイデンティティ効用」という概念を持ち出し、それを通常の効用と区別する。そしてアイデンティティ効用には、外部性が含まれる可能性を示唆している。例えば他人が「おま
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