歴史に関するurandomのブックマーク (18)

  • 淡路島の知られざる乗り物「農民車」 その中でもさらにレア車両の開発秘話

    兵庫県の淡路島の知られざる名物といえば「農民車」。重たいタマネギを山積みにしてぬかるみを走破する、手作り感満載の農耕作業車だ。島南部のタマネギ産地・三原平野の鉄工所で誕生してから60年余り。最盛期には10軒以上が「三原型」を手掛けていたが、島中部の旧津名町でもかつて「津名型」が造られていた。中山間地域で活躍した津名型の開発秘話を、野上自工(淡路市佐野)創業者の野上守彦さん(86)に聞いた。(田中真治) 野上さんは農家の長男。中学を出ると、米のほか、山で鳴門みかんなどをほそぼそと作っていた。 「運搬するのは牛しかないからな。メシもわさんなんし、爪がちびて毎日は使えん。格好もようないわな、女の子に臭い言われて恥ずかしいて。牛の尻をたたくのが嫌で、機械使おうと思いついた」 初めは、4Hクラブ(農業青年クラブ)で所有する耕運機の前に一輪車をねじ留めし、かじ棒を付けた。共同防除用の貯水場工事で資材

    淡路島の知られざる乗り物「農民車」 その中でもさらにレア車両の開発秘話
    urandom
    urandom 2022/02/28
    「運搬するのは牛しかないからな。メシも食わさんなんし、爪がちびて毎日は使えん。格好もようないわな、女の子に臭い言われて恥ずかしいて。牛の尻をたたくのが嫌で、機械使おうと思いついた」
  • オペマイ on Twitter: "掃除をしてたら、亡くなった祖父が孫達に遺した絵日記が出てきた。戦争体験などが祖父の挿絵付で描かれている貴重なもの。 https://t.co/OVuh7Azcpj"

    掃除をしてたら、亡くなった祖父が孫達に遺した絵日記が出てきた。戦争体験などが祖父の挿絵付で描かれている貴重なもの。 https://t.co/OVuh7Azcpj

    オペマイ on Twitter: "掃除をしてたら、亡くなった祖父が孫達に遺した絵日記が出てきた。戦争体験などが祖父の挿絵付で描かれている貴重なもの。 https://t.co/OVuh7Azcpj"
    urandom
    urandom 2022/02/17
    すごい。大切さのわかるお孫さんでよかった。/ リプライを見ると早速雑誌編集部が飛びついている。
  • 【主張】建国記念の日 子供たちに意義を教えよ

    今年も新型コロナウイルス禍が続く中での、建国記念の日を迎えた。 国内で初めて患者が確認されてから2年余り、苦難は続く。このような時こそ国の成り立ちに思いを馳(は)せ、幾多の苦難を乗り越えてきた先人をしのびたい。 辛(かのと)酉(とり)の年の1月1日、初代の神武天皇が大和の橿原宮で即位した。よってこの年を天皇の元(はじめ)の年となす―と、日の建国の由来が、日書紀に記されている。 この日は今の暦の紀元前660年2月11日にあたり、現存する国々の中では世界最古の建国とされる。科学的根拠がないから必要ないという批判はあたらない。大切なのは、日が建てられた物語を私たちの先祖が大切に語り継いできた積み重ねである。 明治維新を経て日は奇跡ともよばれる近代化を成し遂げ、今も繁栄している。国民は、国を守り、暮らしを豊かにしようと、力を合わせてきた。 新型コロナ禍の今に求められているのも国民の結束であ

    【主張】建国記念の日 子供たちに意義を教えよ
    urandom
    urandom 2022/02/11
    "国の成り立ち"を教えるとしたら、日付に学術的裏付けがないことや皇紀ともども明治時代に定められたものであること、南北朝や戦後の主権移動に言及しないわけにはいかず、そっち系の人からしたら藪蛇なのでは……
  • 謎の「串刺し人骨」、500年前のペルーで量産された理由

    ペルーのチンチャ渓谷で発見された串刺しの脊椎。作られた目的を解明するため、200組近くもある遺物が初めて体系的に分析された。(PHOTOGRAPH BY C. O'SHEA) ペルーの渓谷で見つかった、およそ200組もの「串刺しの人骨」。謎めいたこの遺物を初めて体系的に分析したところ、約500年前の先住民たちが、スペイン統治下で荒らされた墓地を再建するために作ったものであるらしいことが判明した。研究成果は、2月2日付けで学術誌「Antiquity」に発表された。 串刺しの人骨が発見されたのは、ペルーの首都リマから南に約200キロの海岸地域に位置するチンチャ渓谷。ここは西暦900年頃からインカ帝国の一部となる1480年頃まで、チンチャ王国の中心地だった。串刺しになっているのは人間の脊椎(背骨)で、「チュルパ」と呼ばれる古代の墓から出土した。 串刺しの脊椎は地元の農民たちの間では古くから知られ

    謎の「串刺し人骨」、500年前のペルーで量産された理由
  • 無料で500万ページの新聞記事を大英図書館がネット上で公開すると発表

    大英図書館が所蔵する新聞を電子化するプロジェクトのBritish Newspaper Archive(BNA)が2021年8月9日に、電子化済みのアーカイブの一部を無料公開することを発表しました。今回無料公開の対象になるのは1880年までに刊行された100万ページで、今後4年間で毎年100万ページずつ、合計で500万ページが無料で閲覧可能になる予定です。 Introducing Free to View Pages | The British Newspaper Archive Blog https://blog.britishnewspaperarchive.co.uk/2021/08/09/introducing-free-to-view-pages-on-the-british-newspaper-archive/ British Library puts 1 million new

    無料で500万ページの新聞記事を大英図書館がネット上で公開すると発表
  • 小野田寛郎を英雄扱いしてきただけでも大概だが、今度はその嘘を世界にまで広めるのか? - 読む・考える・書く

    映画『ONODA』がカンヌでスタンディングオベーションという惨事 ゴーストライターが暴露せざるを得なかったほどひどい手記のデタラメ 小野田はとっくに戦争が終わったことを知っていた 小野田はジャングルに潜んで何をしていたのか? 小野田はなぜ津田氏のルバング島行きを嫌がったのか フィリピンで戦った英雄は断じて小野田などではない 映画『ONODA』がカンヌでスタンディングオベーションという惨事 1974年3月、フィリピン・ルバング島のジャングルに30年潜伏していた小野田寛郎元陸軍少尉が帰国した際の歓迎ぶりはすさまじいものだった。 政府が彼のために日航特別機を用意したことから始まり、機が羽田に着陸する30分前からNHKは特別番組の実況中継を開始、小野田が降りるタラップの下には百人近い政府関係者が並び、またそれ以上の数の報道陣がカメラの放列を敷いていた。 まるで戦勝国の凱旋将軍が帰国したかのような扱

    小野田寛郎を英雄扱いしてきただけでも大概だが、今度はその嘘を世界にまで広めるのか? - 読む・考える・書く
  • 江戸時代のウマが蹄鉄ではなく草鞋(わらじ)を履いていたという話|太田記念美術館

    先日、歌川広重の「名所江戸百景 四ツ谷内藤新宿」をTwitterで紹介したところ、ウマが草鞋(わらじ)を履いているところが気になるという反応をいただきました。 案外、奇抜な構図が好きだった歌川広重。こちらは馬のお尻をアップにしています。広重は馬の足元にしゃがみこんで、町並みをスケッチしたのでしょうか。この場所がどこかは、オンライン展覧会「浮世絵動物園ー歌川広重「名所江戸百景」」(有料200円)にて紹介しています→https://t.co/Mbn5nxRpHX pic.twitter.com/9uSpsGPNpd — 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art (@ukiyoeota) July 16, 2021 確かによく見ると、人と同じ様に、ウマも4つの足すべてに草鞋を履いていることが分かります。 ウマが草鞋を履いていることは珍しいのでしょうか。他の浮世絵も見て

    江戸時代のウマが蹄鉄ではなく草鞋(わらじ)を履いていたという話|太田記念美術館
  • 幕末大名夫人の知的好奇心

    幕末大名夫人の知的好奇心 日向国延岡藩内藤充真院 神崎 直美 著 (城西大学准教授/1963年生まれ) 2016年2月刊 A5判・214頁・並製・カバー装 ISBN978-4-86602-953-5 C3021 2700円 (税別) 【PDF版・無料公開】/【正誤表】 日向国延岡藩主内藤政順の奥方充姫(充真院[じゅうしんいん]。寛政12年[1800]-明治13年[1880])に関する初めての人物伝。なお充姫は彦根藩主井伊直中の娘で、大老井伊直弼は異母弟にあたる。 書では、充真院の著書のなかから 主として『色々見聞したる事を笑ひに書』『五十三次ねむりの合の手』を選び、その知的好奇心と人物像を明らかにした。 前者は、幕末から明治初期の江戸(東京)と延岡で見聞した日常雑記で、後者は、文久3年(1863)、充真院64歳、生まれ育った江戸を離れ、初めて領国に転居することになった時の旅日記である。

    urandom
    urandom 2021/07/06
    延岡藩藩主内藤政順の妻・内藤充真院の行跡についての本。3-4章では充真院による言及を通して当時の習俗が広く紹介されている。著者は城西大学准教授の方。全編無料公開中。
  • 「星条旗を最初に作った女性」伝説はおそらく作り話

    米国最初の国旗を作ったのはベッツィー・ロスだと言われているが、それが真実であるという証拠は見つかっていない。独立戦争の約100年後、全米を熱狂させた国旗フィーバーの中で生まれた伝説だ。(ALAMY STOCK IMAGES) 植民地だった米国が独立を宣言した18世紀後半、当時の首都フィラデルフィアで、一人の女性が最初の星条旗を作ったという。その人の名前はベッツィー・ロスことエリザベス・グリスコム・ロス。彼女の物語は、米国の小学校では演劇の定番になっており、愛国伝説として語られることもある。 しかし、米国で愛されているこの物語は現在、作り話と考えられている。 「調査した歴史の専門家はみな、ベッツィー・ロスが最初の星条旗を作った、あるいはデザインに貢献したという確かな証拠はないと述べています。そもそも、国旗を検討する組織があったかどうかすら定かではありません。存在していたかもしれませんが、何の

    「星条旗を最初に作った女性」伝説はおそらく作り話
  • 「蚊の擬人化ってなんだよ…」江戸時代の日本人、顕微鏡で蚊を観察してキャラ化していた「もう…好き!と」 - Togetter

    ミサンザイ 同人誌 「天皇を旅する」 「まんが東京ご縁起めぐり」 @katsunomisanzai いや蚊の擬人化ってなんだよ…と思ったのだけど、文化年間・1800年代初頭にこれだけのリアルな蚊を描いてしかもネタとして昇華できるって実はすごいんじゃないかと考え直したらまじまじ眺めてしまう… pic.twitter.com/lEuA0k1Dba 2021-05-23 00:44:42 ミサンザイ 同人誌 「天皇を旅する」 「まんが東京ご縁起めぐり」 @katsunomisanzai 天皇陵や大嘗祭斎田を探訪したり、天皇が登場するマンガを読みくらべて描かれ方を調べたり、ローカルな皇族伝説やご落胤伝説が残る場所を訪ねたり…天皇にまつわることを全方位的に探求中。同人誌『天皇を旅する』1、2号とらのあなで委託販売中。ティアズマガジン130で紹介してもらいました。サークル名ミサンザイ。note

    「蚊の擬人化ってなんだよ…」江戸時代の日本人、顕微鏡で蚊を観察してキャラ化していた「もう…好き!と」 - Togetter
    urandom
    urandom 2021/05/29
    フックが『顕微鏡図譜』を書いた150年くらい後と思うとまあそんなものなのかなと感じる。
  • 江戸っ子は雨が降ると、みんな裸足になるのか、調べてみた。|太田記念美術館

    先日のTwitterにて、こちらの歌川広景の「江戸名所道外尽 四十六 郷御守殿前」を紹介したところ、雨の日はみんな裸足なの?というご質問がいくつかありました。 突然の夕立。3人いるのに傘は1つだけ。皆が濡れないようにと考えたアイデアがこちら。上の男はご満悦ですが、下の2人は迷惑顔。傘もボロボロですし、これならいっそ雨に濡れた方がいいのでは。隣の男も変な格好。原宿の太田記念美術館で開催中の「ニッポンの浮世絵」展にて12/13まで展示しています。 pic.twitter.com/sYhvo8zXEn — 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art (@ukiyoeota) November 14, 2020 たしかに雨が降るなか、みんな裸足です。実は、筆者はこれまでまったく気にしていなかったのですが、言われてみれば「なるほど」と思い、早速調べてみました。 たとえば、

    江戸っ子は雨が降ると、みんな裸足になるのか、調べてみた。|太田記念美術館
    urandom
    urandom 2021/04/29
    おもしろい。この視点を持ったうえだと、同じ浮世絵もますます活き活きとして見える。
  • 「NHK大河ドラマでは描きづらい」渋沢栄一の激しすぎる"女遊び"の自業自得 その性格は長男にも受け継がれた

    NHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一は、跡継ぎだった長男を40歳のときに勘当している。歴史研究家の河合敦氏は「長男の篤二は女性問題を起こして勘当された。しかし渋沢栄一も数え切れないほど隠し子がいた。希代の実業家も、息子を叱る立場にはなかった」という――。(後編/全2回) ※稿は、河合敦『渋沢栄一と岩崎弥太郎 日の資主義を築いた両雄の経営哲学』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。 渋沢栄一の大きな悩みの種だった「跡継ぎの長男」 岩崎弥太郎は素晴らしい後継者を育成したが、意外なことに渋沢栄一は後継者の育成に失敗している。 明治24年(1891)、栄一は渋沢家の家法と家訓を制定した。江戸時代の豪商たちも、よくこうした規定をつくっていたが、栄一のそれは近代的なものであった。これに協力したのが、東京帝国大学の教授で法学者の穂積陳重だったからだ。 穂積は栄一の長女・歌子の夫であ

    「NHK大河ドラマでは描きづらい」渋沢栄一の激しすぎる"女遊び"の自業自得 その性格は長男にも受け継がれた
  • 「浄土」PDF一覧

    創刊号から先月号までPDFでお読みになれます。 お読みいただくには「Adobe Reader」が必要です。標準でPCにはインストール済みと思いますが、お持ちでない方は、http://get.adobe.com/jp/reader/からダウンロードしてインストールしてください。

  • 陸軍登戸研究所、暗部に迫った高校生 30年の活動記録:朝日新聞デジタル

    戦時中、極秘に特殊兵器を開発したとされる通称「陸軍登戸研究所」。謎に包まれていた研究所の「暗部」を掘り起こしたのは、1980年代からの高校生や市民らによる地道な活動だった。約30年の活動記録を展示す…

    陸軍登戸研究所、暗部に迫った高校生 30年の活動記録:朝日新聞デジタル
  • 長野のローカル番組で徳川家光の「本物の絵」が発見されるまで | FRIDAYデジタル

    元祖「ヘタウマ画伯」徳川家光、渾身の作!? その価値と魅力を専門家に聞く 徳川家光といえば、参勤交代、鎖国など、江戸幕府を強権的政策でゴリゴリに強化した3代目将軍とイメージを持つ人が多いだろう。しかし、そんな彼が実は、元祖「ヘタウマ絵」の画伯だったことをご存知だろうか。 そんなヘタウマ絵の”お宝“が、長野のローカル局・テレビ信州の夕方の情報番組『ゆうがたGet!』(11月3日放送分)の鑑定コーナーで、発見された。 徳川家光《竹に雀図》 個人蔵 「最初、『なぜ長野県に家光の絵が?』『しかも、こんなヘタな絵を?』などと、信じていませんでした(笑)」と番組プロデューサー徳川家光《竹に雀図》(部分) 個人蔵 家光の絵が描かれた掛け軸で、長野市在住の男性が所持していたものという。弱弱しい筆使いで竹と雀を描いているその絵は、お世辞でも上手とは言えないモノに見える。とはいえ、「将軍の絵」で「値段はつけら

    長野のローカル番組で徳川家光の「本物の絵」が発見されるまで | FRIDAYデジタル
    urandom
    urandom 2021/01/06
    "ただ、家光は鳥をよく描くんですが、足がうまく描けないのは一つの特徴で、この絵でも竹にのっているつもりなのか、なんなのか、よくわからないことになっています。 "
  • 産業革命で余った人材はどうなったのか

    イギリスで産業革命が起きて大規模な機械化が進み技術的な失業者が大量に出たとき 彼らをどうしたのだろう?と考えて調べたら、犯罪者が増えて刑務所に入りきらなくなり、 刑務所に入らない分はオーストラリアを流刑地としてどんどん人を送ったとあって笑ってしまった。 これから「単純オフィスワーク」の技術的失業が大量に発生すると思うけど、 流刑地なんて日にはないからどうするんだろう、失業者の行き先は?無いよな?ということを考えてみて、 ああ、だから生まれてくる子供の数が減ってるんだ、上位ホワイトカラーとブルーカラーのみ子供を作って 「単純オフィスワーク」しかできない中の下の層が出産育児離れをしているんだ、と理解した。

    産業革命で余った人材はどうなったのか
    urandom
    urandom 2020/12/08
    実際には余った人材のほとんどは需要を押し付けられた植民地にいて、人知れず飢えて死んだ(木綿織布工たちの骨はインドの平原を白くしている、ってやつ)。
  • 数百点も存在する偽文書「椿井文書」とは。町おこしに使われる史料は本物か?  その数、数百点!「自治体史」にも多数引用|教養|婦人公論.jp

    「井堤郷旧地全図(乙)」井堤郷は現在の京都府井手町あたり。右端に美努王の墓が描かれているが、多くの学者から学術的に否定されている。この絵図は康治2年(1143)作成の古い絵図を椿井政隆が模写したという形を取っているが、中世の年号が記された文書を近世に写したという体裁をとることは椿井の常套手段だった。なお、図は椿井の原図を明治時代に写したもの(京都府立京都学・歴彩館蔵) 中世の地図、城の絵図、家系図……学校の教材や地域の町おこしに使われる史料が、全くの偽物だったら? 近畿地方に数百点もの規模で存在する、江戸時代の偽文書「椿井文書(つばいもんじょ)」。それらは誰によって作られ、私たちにどのような影響があるのだろうか。15年以上前から「椿井文書」に着目し、研究を続けてきた馬部隆弘准教授によると、最近になってやっとスポットが当たり、研究も注目されるようになったという ※稿は、『椿井文書――日

    数百点も存在する偽文書「椿井文書」とは。町おこしに使われる史料は本物か?  その数、数百点!「自治体史」にも多数引用|教養|婦人公論.jp
  • 江戸時代のスズメたちの世界に潜入してみた|太田記念美術館

    顔はスズメなのに、体は人間。不思議な姿をした鳥人間たちを描いた、歌川国芳の「里すずめねぐらの仮宿」。 動物を擬人化させることが得意だった、歌川国芳の代表作の一つです。 歌川国芳の「里すずめねぐらの仮宿」をクローズアップすることで、スズメたちが暮らしている世界をじっくりと観察してみましょう。 まずは、画面の左上。格子窓のある部屋、赤い絨毯の上に、華やかに着飾ったスズメが座っています。スズメの世界の花魁のようです。 この作品が制作されたのは、弘化2年(1845)のことでした。その年、吉原遊廓は火災にあい、仮宅(仮営業所)での営業がおこなわれていました。しかし、その宣伝をしようと思っても、当時は天保の改革によって、幕府から花魁を描くことを禁止されていました。 そこで国芳は、人間をすべてスズメにすることによって、これはあくまでスズメの世界の遊廓であるとして、浮世絵を描きました。題名に「ねぐらの仮宿

    江戸時代のスズメたちの世界に潜入してみた|太田記念美術館
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