2010年06月14日00:00 カテゴリ社会・世界情勢 1965年沖縄 「少女轢殺」 報道写真家嬉野京子の証言 沖縄の「今」は、この一瞬の延長線上にあり、この一瞬からさかのぼれば、沖縄戦があり、琉球処分があり、薩摩侵攻がある、そんな一瞬をとらえた報道写真家・嬉野京子さんの講演の書き起こしを、筆者の芳沢章子さんのご厚意で転載します。改行などを変更しました。 沖縄では、米軍関係者による事件・事故が年におよそ1000件、日に3件近く起こっていることは、保坂展人さんのブログ情報で広く知れ渡ることになりました(こちら)。COCCOさんの言葉(こちら)、「基地とやっていくためには、受け入れて諦めなければならないことがいっぱいありました……諦めることに慣れていって……『しょうがないさ』が口ぐせっていうのもほんとはほんとです」にある受け入れなければならないこと、諦めなければならないこと、しょうがないこと
外資系金融機関を担当する経営コンサルタントの活動記録 ~ プライスウォーターハウスクーパースの高橋正敏です。 毎年8月6日に行われる広島の平和祈念式典が本日もつつがなく行われました。私は子供の頃からこの式典についての関心が高くて、テレビで毎年観てきました。また、社会人になってからは、大学時代の友人が広島へ転勤になったのをきっかけに、彼に会いがてら、この式典に参加したこともあります。 戦争や紛争は依然、世界のどこかで起こり続けています。そのせいか、世の中には、戦争や平和に関する色々な式典があります。でも、ここで毎年行われる式典は日本人的で、シンプルで、静粛で、私にとっては、とても心が落ち着くものです。アメリカの9.11関連の演説やグラウンドゼロ建設のときのように、「テロと戦おう」とか、「悪の枢軸は叩かなくてはいけない」みたいに敵(仮想敵)を名指しして愛国心を鼓舞するようなものよりも、こうして
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く