昨日、東海村の日本原子力研究開発機構・JAEAにヒアリングに行きました。今回の放射能事故の“様々ななぜ?”を聞きにいくためです。今回のヒアリングの目的は2つ。ひとつは先ほどひとつ前のブログで書いた「WSPEEDI」についてともうひとつが「3月15日に行われた高速道路上の放射線分布測定」について。 高エネルギー加速器研究機構放射線科学センターと理化学研究所が3月15日、16日、17日、4月8日に東北道、磐越道、常磐道と一般国道で放射能測定を行っていたのです。 論文はこちら 高速道路上の放射線分布測定.pdf この論文でも書いてあるように4月8日に測定結果と3月15日の汚染分布がほぼ同じなのです。つまり、3月15日までに起きた事故によって線量の高い、いわゆるホットスポットが福島県のいわゆる“浜通り”にできたのです。 3月15日までに何が起きたのか。茨城県日立市の放射能データを見ると。こちら。1
1954年生まれ。78年早稲田大学政治経済学部卒業後、ダイヤモンド社入社。「週刊ダイヤモンド」編集長などを経て現職。著書に『複雑系の選択』『めちゃくちゃわかるよ!経済学』(ダイヤモンド社)『浦安図書館を支える人びと』(日本図書館協会)など。 DOL特別レポート 内外の政治や経済、産業、社会問題に及ぶ幅広いテーマを斬新な視点で分析する、取材レポートおよび識者・専門家による特別寄稿。 バックナンバー一覧 文部科学省は4月19日に、福島県の小中学校や幼稚園などの校庭を利用する際の暫定的な放射線許容量を発表した。この文書の数値的根拠は、原子力安全委員会に助言を求めた原子力災害対策本部が書き、それを文部科学省へ送って同省が公表したものである。つまり政府の意思決定である。 それによると、屋外活動時間などの前提をいくつか設定した上で、放射線許容量を年間20ミリシーベルトとした。 この数値をめぐって4月末
akoustamのボランティア日記、ついに今日が第六日です。 4月30日の14時過ぎに到着してから早6日、もう帰る日がやってきてしまいました。 朝のミーティングにも、支給される朝食にも、しばらく出会うことはありません。なお昨日で一気にボランティアの数も減り、また200人ほどでの運営となっています。 なので、今日僕が希望した現場も20人ほどで木材を撤去するというチーム。昨日はここで人海戦術をとっていたのが嘘のように、細々と作業は進みます。 (しかしストリートビューには津波前の姿が残っていて、以前はこういう店が建っていたのが分かるという。確かにお店の看板やこの家の屋根の構造は、僕が片付けた木材の姿そのものです…やるせない。) 昨日までに仲良くなったボランティア仲間も、ほとんどが帰ってしまい、どことなく沈んだ雰囲気の中でしたが、気落ちしているヒマはありません。たとえ一人でもいいから片付けの手を貸
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く