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philosophyに関するzerosetのブックマーク (16)

  • 『現代思想』誌「進化論の現在」は看板倒れ - まとまり日記

    『現代思想』誌2021年10月号は「現代思想 2021年10月号 特集=進化論の現在 ―ポスト・ヒューマン時代の人類と地球の未来―」と題された特集だった。わたしはこの特集全体の企画意図に問題があると考えるので、手短に述べたい。 わたしの不満は一言で言うと「この号の中身は『進化論の現在』という題名と釣り合っていない、とくにこの題名で生物学の哲学の成果をほぼ無視するのは問題ではないか」ということだ。 まず前半からいこう。哲学・思想系の雑誌が「進化論の現在」という特集を組むときにどういうことを扱うべきか。もちろん決まったルールがあるわけではないが、次のようなトピックが扱われると考えるのが自然だろう: 進化論(進化生物学)の研究の現状 進化論の種々の側面についての哲学的論争の現状(たとえばやや古い話だがここで触れられているような議論) 進化論からの哲学研究へのインプリケーション(たとえば意識の進化

    『現代思想』誌「進化論の現在」は看板倒れ - まとまり日記
  • ピンカーによるニーチェ批判、AIとかスマホとかは理性の敵なのか(「啓蒙をめぐる戦争」の要約【その3】) - 道徳的動物日記

    前々回と前回の続き。 批判その7:啓蒙主義(科学的な理性)は、その産物である人工知能やソーシャルメディアによって葬り去られてしまうだろう。 ピンカーの反論:メアリー・シェリーが『フランケンシュタイン』を書いた時代なら、そのような物語は魅力的なものだっただろう。しかし、電気によって復活する人間の死体と同じく、人間に取って代わる人工知能とはSF的なファンタジーに過ぎない。人工知能脅威論は誤りであり、メディアは過剰な不安を煽っているということは、私の他にも多くの論者が指摘している。ロドニー・ブルックスが「AIの未来予測に関する7つの大罪」で論じているように、新しい技術があらわれた時には人々はその技術をまるで魔法のように何でもできるものだと考えてしまい、その技術の限界を正確に認識することができないのだ。 ヘンリー・キッシンジャーは2018年の記事で「インターネットを利用している人は情報を扱うことば

    ピンカーによるニーチェ批判、AIとかスマホとかは理性の敵なのか(「啓蒙をめぐる戦争」の要約【その3】) - 道徳的動物日記
    zeroset
    zeroset 2019/03/15
    "ニーチェは自分の文学的才能を駆使して「大半の人間の生命には価値がない」と主張し続けた。人道主義とは正反対の主張だ。人道主義とは、神の存在とニーチェ主義の両方を否定することなのである。"
  • ララビアータ:アダムの罪 - livedoor Blog(ブログ)

    『創世記』によれば、神はアダムの前に掟を示し、「善悪を知る木の実をとってべてはならない」と告げたとされる(2・17)。それにもかかわらずアダムは、蛇の誘惑に乗せられたイヴとともにその木の実をべたとされる。誰でも知っている有名な逸話である。キルケゴールも、『不安の概念』においてこの罪へと至る事情を分析しているが、この『創世記』の記述自体は前提されていて、そこに何の疑問も付されていない。 しかし前々から、どうにも腑に落ちない所があると感じてきたので、それについて記しておきたい。 一般的理解によれば、神はあらかじめアダムに何を為してはならないか、何を為してよいかはっきりと示している。それにもかかわらず、アダムはその掟に背いたので罪を犯したのだ、ということになる。しかし、それなら、どうしてこれが「善悪を知る木」と呼ばれるのであろうか?その実をべる前に、アダムは神から善と悪とを知らされているこ

  • <分析>哲学者・戸田山和久著作ダイジェスト - Repeat The Ending

    さしあたり更新おやすみ中です。 戸田山和久さんはいわゆる分析系――戸田山さんや飯田隆さんにいわせると「分析系」とひとくくりにすることが今や期限切れということになるのでしょうが――の哲学者で、単著ではかなり一般向けのを書いていて、マニアックなトピックは雑誌やアンソロジーで扱っているという印象です。『科学哲学の冒険』などで戸田山さんは<分析系>の哲学者としては有名なほうだと思うのですが、論文の多くは一般読者の目にとまりにくいところで書かれてたりするので、その全貌がちょっとわかりづらいことになっていると思います。せっかくファンになっても単著で止まってしまうのはもったいないと思い、そこからディープな戸田山ワールドへ進んでいけるようこれまでの仕事に少し光を当てられたら、と思いました。 容易に入手できるもので哲学関係のものはほとんど読んだと思いますが、もちろん見逃しがある可能性はあります。なお、読ん

    <分析>哲学者・戸田山和久著作ダイジェスト - Repeat The Ending
  • 山内志朗『普遍論争』 - logical cypher scape2

    中世哲学のトピックの一つである普遍論争について、従来的な図式を壊して解説するもので、語り口は平易なのに難解な。 難解なのは、中世哲学独特の単語や言い回しのせいだが、テクストを引用した後、ちゃんと噛み砕いてくれているので、見慣れない単語に目をくらませずにいけば、一応読める。とりあえず、難しいなーということは分かるw あと、中世哲学って時代がとても長いことに読んでいる最中に気がついた。11世紀から15世紀くらいまである。当然色んな人が出てくるが、ほとんど名前も知らない。知っていても、それこそ名前を聞いたことあるレベル。そういうあたりも、中世哲学のとっつきにくさにはなっている。 ただ、こののすごいところは、後ろに人名小辞典というのがついていて、それがなんとのおよそ3分の1を占めていることで、これを参照すればいいのかもしれない*1。 さて、普遍論争というと、普遍をめぐって、唯名論と実在論と概

    山内志朗『普遍論争』 - logical cypher scape2
    zeroset
    zeroset 2011/01/14
    「中世哲学と近世哲学の間には連続性があり、実際にはよく似ていたのではないか」『磁力と重力の発見』でも同様の指摘があったけど、興味深い
  • 「俺の邪悪なメモ」跡地

    zeroset
    zeroset 2009/10/08
    小阪修平の処女作が文庫化。イラストはひさうちみちお。80年代だなぁ
  • 時はなぜ一方向なのか:観察者問題から説明 | WIRED VISION

    前の記事 紙飛行機で宇宙をめざす戸田拓夫氏 時はなぜ一方向なのか:観察者問題から説明 2009年9月 7日 Chris Lee(Arstechnica) サルバドール・ダリの彫刻『時のプロフィール』、画像はWikimedia Commons 学術論文を読んでいると、時々、これを掲載した編集者たちは「ソーカルされて」いるのではないかという疑問にかられることがある。つまり、いかにも科学的な言葉を並べたニセ論文にだまされているのではないか、という意味だ(「ソーカルされる」なんて言葉はないって? なら是非ともそういう言葉を作るべきだ)。 [ソーカル事件とは、ニューヨーク大学物理学教授だったアラン・ソーカル(Alan Sokal)が起こした事件数学・科学用語を権威付けとしてやたらと使用する、フランス現代思想系の人文評論家たちを批判するために、数式や科学用語をちりばめた疑似哲学論文を執筆し、これを著

    zeroset
    zeroset 2009/09/09
    イーガン「順列都市」の塵理論みたいな話。「あらゆる観察者(必ずしも人間とは限らない)にとって、時間を経験するということは、時間が未来へ向かって流れている場合にのみ可能となるのだ」
  • 東浩紀発言とポストモダン・プレモダンあと還元主義の罠 神は細部に宿り給う

    1.専門家団および公共性の軽侮 ある人が家に入ってくる。机の上の財布をポケットに入れ家を出て行く。この行為は正当か? この問いには、イエスと答えるのもノーと答えるのも馬鹿げている。その家がその人の家であるか、そうでないかによる。前者ならその人は財布を忘れた人であり、後者ならその人は空き巣だ。その前提を知らないままでは正当も不当もありえない。何の話かといえば、 東浩紀の渦状言論: 歴史認識問題についていくつか これの話。例によって出遅れているため、もはやあまり言うべきことは残ってない気がするが、残った部分にちょっと興味のある部分があるので、まずはそこ以外の部分の整理、地ならしに努めよう。 医者団が執刀中の手術室に物理学者がいきなり入ってきて「人体なんて原子の塊に過ぎないのにわかってないお前ら馬鹿」と言ったら叩き出されても仕方がないと大抵の人は思うだろう。医学と物理学を歴史学とポスト

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    zeroset 2008/12/08
    「彼の発言内容はポストモダンではなく近代以降の常識であるとはすでに言ったが、さらにもう一歩後退して、前近代(プレモダン)にまで逆戻りしているとすら言えるだろう」
  • デリダは何と言っているのか - HODGE'S PARROT

    『生きることを学ぶ、終に』で、ノエル・マメール市長による同性婚容認を「ためらわずに署名によって支持した」デリダが、同書でホロコースト否定論について何といっているか記しておきたい。 ジャン・ビルンバウム──この観点から(大学の無条件的自由に対する絶対的な要求)、ガス室の存在とショアーの現実性を否定する否定論者たちのケースをどのように考えるべきでしょう? ジャック・デリダ──あらゆる問いを提出する権利はあります。その上で、問いに応答する仕方が偽造や明らかに事実に反する断言を言い募ることであるなら、その挙措がもはやまっとうな知や批判的思考に属さないものであるなら、その場合には事情は違ってきます。それは能力欠如あるいは正当化されない道具化であって、その場合には制裁を受けることになります。出来ない生徒が制裁を課されるように。教授資格を持っているからといって、大学で何を言ってもよいということにはなりま

    デリダは何と言っているのか - HODGE'S PARROT
    zeroset
    zeroset 2008/12/04
    「彼が、大量の証拠に反して、これらの批判的問いから、確証され証明された真理の観点からは受け入れられない断言へと移行すると主張するときには、その場合には、彼は能力が欠如していることになります」
  • ポストモダニズム系リベラリズムとは何か - 瓶治郎の現代詩

    瓶治郎の現代詩

    zeroset
    zeroset 2008/12/04
    「ポストモダニズム系リベラルの理論家であっても、歴史の事実性は分かることのできる範囲で真実を認識するのが当然のことだ。そして、その上で歴史の事実が持つ意味の多様性を認めるのがポストモダニズムである」
  • 東はこういうべきだった・公共性と歴史と科学(追記で応答 - 地下生活者の手遊び

    はてなブックマーク - 進化論否定論者のように南京虐殺を扱う東浩紀 - 地下生活者の手遊び まあ、東浩紀も一応予防線は張っていて などに応答しますにゃー。 事実を扱うのは科学 自然科学は事実の共有を可能にしたという意味で、ジンルイにとって特別な地位をしめていると、科学論関連で何度か述べていますにゃ。で、これは自然科学以外の諸科学にも基的にあてはまることだと考えますにゃ。事実というのは、自然現象にだけあてはまるコトバなどではにゃー。 よって、事実認識が問題となった文脈において、科学を持ち出すのは当然のことではにゃーでしょうか? 科学を信仰するとかいう大仰な話ではなく、事実認定に関してジンルイが作り上げたもっとも強力で有用な体系が科学であるから、事実認定において科学を持ち出したというだけのことにゃんね。 自然科学も構成されたものである 自然科学は事実の探究で、歴史学(人文科学・社会科学など)

    東はこういうべきだった・公共性と歴史と科学(追記で応答 - 地下生活者の手遊び
    zeroset
    zeroset 2008/12/02
    明快。「科学と相対主義は両方とも公的な原理である」「公共性を語るのに、相対主義【だけ】を持ち出すのはどうよ?」/↑「追試可能」じゃなくても、反証可能な事例は科学で扱えますよ。それこそ大進化とか天文学とか
  • 「第19回 哲学って役に立つの?――伊勢田哲治インタビュー其の一」 日刊!ニュースな本棚|Excite エキサイト : ブックス(文学・書評・本のニュース)

    1968年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。メリーランド大学よりPh.D.(philosophy)取得。現在、名古屋大学大学院情報科学研究科助教授。科学哲学・倫理学専攻。社会認識論、科学と技術の倫理、メタ倫理学など、哲学と倫理学を架橋する逸材として注目を集めている。著書に『哲学思考トレーニング』(ちくま新書)、『疑似科学と科学の哲学』、『認識論を社会化する』(ともに名古屋大学出版会)など。 公式サイト:伊勢田哲治のウェブサイト 伊勢田さんの新著『哲学思考トレーニング』は、ありそうでなかった「哲学の道具箱」として、学生から社会人まで幅広くオススメしたい1冊。書で開陳されている哲学的思考スキルを使いこなすコツを中心に、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いの答え方、科学哲学の現在、分析哲学の魅力などなど、若き哲学者の音をたっぷりお届けいたします。 ――哲学の入門

    zeroset
    zeroset 2008/12/02
    『哲学思考トレーニング』を中心に、伊勢田哲治へのインタビュー。「絶対的な答え」は求めないけど「よりマシな答え」を求めるのが科学、と
  • 科学哲学の冒険

    京都科学哲学コロキアム三十周年記念の会「科学的実在論をめぐるワークショップ」資料 『科学哲学の冒険』はちょっと冒険しすぎではないか? 伊勢田哲治(名古屋大学情報科学研究科) Oct. 30, 2005 1 まずは褒めておく ・戸田山氏による実在論論争の紹介は要約としては非常に読みやすく、初学者の勉強の助けになることは間違いない。 ・自然主義から科学的実在論を擁護するという路線はこれまであまり日では見なかったので、その意味では非常に意義がある。 ・しかし細部に目をやると、各論者の議論の要約に不正確なところ、ピントのずれているところが目立つ 2 実在論論争の枠組みの捉え方 戸田山氏による論争の枠組みの整理 独立性テーゼと知識テーゼのそれぞれへの賛否を軸とした四分割表で定義(P.150) ・道具主義は観察不能な対象について独立性をみとめないのでは?ということはしかし社会構

    zeroset
    zeroset 2008/11/27
    伊勢田哲治による批判的な評。「『科学哲学の冒険』はちょっと冒険しすぎではないか?」
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    zeroset
    zeroset 2008/02/19
    古代~中世のカトリック神学の流れの、わかり易いまとめ
  • 日本の俗流クオリア論を撃破する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    はクオリアなる言葉が一般にも知られている奇妙な国だが、しかしその一般的なクオリア理解はもともとの哲学的なクオリア理解とはあまりに異なっていてとてもおかしい。日でクオリアなんて用語が流行ったのは、小泉旋風真っ只中のポピュリズム時代でのある脳文化人Mの活躍のせいなのだが、未だにその後遺症はあちこちに残っている。それを正すのがこの論考の表向きの目的だ*1。 もうひとつの目的は、心の哲学における機能主義を正しく理解してもらうことだ。今でも機能主義は心の哲学どころか認知科学でも主流の立場だ。日ではごく少数の例外を除くと心の哲学における機能主義がろくに受け入られておらず、まともな擁護どころかましな解説さえろくに見かけない。まともな解説も理解もされてないから、まともな批判がされているといえない。クオリア概念はもともと機能主義批判として現われたのだから、クオリア解説と機能主義解説をセットにするのは

    日本の俗流クオリア論を撃破する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    zeroset
    zeroset 2008/02/01
    「主観的な個人差のほとんどは機能主義で十分に説明がつく」「クオリアは初めから哲学的問題であって、どうやっても科学で扱えないのは定義上から自明」
  • 特別演習「科学哲学」知識の『客観性』について――カール・ポパーの理論

    特別演習「科学哲学(2)」第2回発表レジュメ 「知識の『客観性』について――カール・ポパーの理論」 宮崎 文彦(今田研M1/政治社会学) はじめに 今回のテーマは「知識の『客観性』」であるが、この問題に対して非常に有益なる貢献を行った科学哲学者の一人にカール・ポパー(Karl Popper 1902‐94)が挙げられる。また彼の場合、単に科学哲学のみに止まらず、そこでの理論を社会科学(方法論)へ応用していることから特に重要になるものと思われるので、ここで取り上げ紹介しておきたい。ただそれだけポパーの理論は広範囲に及ぶものであるので、ここではポパーがいかなる文脈において「科学」(「科学的方法」)というものを考えていったのかという点に絞って、以下のような論点から紹介していきたいと思う。 基的認識「科学と非科学」の境界設定 実証主義批判 可謬主義と客観性 帰納法批判 カール・

    zeroset
    zeroset 2006/11/14
    「『科学』と『非科学、えせ科学、形而上学』はいかなる基準によってわけられるのか」。ポパーの理論の解説
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