55年体制が崩壊した1990年代以降の日本政治を特徴付ける政治改革および政界再編の議論が目指したのは、安定した(二大)政党による政権交代を可能にする政治システムの構築であった。一方の軸を担う政党として自民党が半ば自明視されていたため、議論の焦点は、自民党に対抗できる政党の形成に向けられ、20年近い時間をかけた野党勢力の離合集散の結果、民主党が対抗政党の地位を占めるようになった。そして小泉政権が推し進めた構造改革路線の負の側面が顕在化し、さらに後継首相が一年も経たずに政権を投げ出す事態が相次いだことは、自民党政治の末期症状ないし終焉を強く印象付け、政権交代の機運を醸成している。たしかに政権交代への期待感は、小沢一郎の西松建設献金問題の発覚によっていったん萎んだかに見えたが、鳩山由紀夫が新代表に選出された直後の各種世論調査の結果が示すように、麻生政権の支持率回復が一時的な現象であり、次期総選挙の結果次第によっては民主党政権の誕生は大いにありうるといえるだろう。
しかしながら、民主党への支持は、民主党の政策に対してというよりもむしろ「自民党ではない」、あるいは「自民党よりもまし」という消極的理由に拠るところが大きいし、それが「政権担当能力」というお決まりの批判が説得力をもって受け止められる要因にもなっている。しかも結党過程から明らかなように、民主党は、出自を異にする多様な政策グループを抱え、防衛・安全保障政策に関しても、また経済および社会政策の分野においても、党内の意見が集約されているとは必ずしもいえない。そのため、一部には自民党以上に「タカ派」で「新自由主義」的な匂いを漂わせている。民主党の政策的不透明性は、自民党に対抗する政策上の結集軸として福祉などに象徴される社会民主主義的な理念に基づいた中道左派政党に期待する者にとって不安材料となっている。
一方で社会民主主義についてのイメージは依然として旧来の大きな政府と結びつけられ、グローバル資本主義の圧力への対応力に欠けている印象を与える。とりわけ日本の場合、自民党と対峙する政党を支える政策理念を社会民主主義に見出し、政策距離の違いがほとんど存在しない2つの保守政党ではなく、政策上の対立軸に沿って結晶化した保守政党と社民政党による政権交代を想定する議論や試みは、1990年代を通して、大きな挫折感を味わってきた(たとえば、山口二郎『ポスト戦後政治への対抗軸』岩波書店, 2007年: 1章参照)。自衛隊や日米安保条約の容認といった政策転換にもかかわらず、抵抗政党という旧来のイメージを払拭することができず、支持を急速に失っていた社会党の動向は、同時代にあって、党改革を断行し、強力な指導力を発揮する党首に率いられたイギリス労働党やドイツ社会民主党が政権を獲得したヨーロッパの状況と比較対照されることによって、日本政治において社会民主主義勢力の低迷を物語っている。
「左派の蹉跌」を経て、21世紀に入り、日本政治は小泉政権の誕生とともに新自由主義的色彩を強めたわけであるが、小泉政権の構造改革路線に起因する問題が次第に現出するにつれて、貧困や格差などの経済社会問題に対する有効な処方箋の根底に看取できるのが社会民主主義的な理念であることを考えたとき、社会民主主義を政策理念として掲げる政党が支持を獲得するだけの下地は十分に存在するといえるだろう。以上の点を念頭に置くならば、これまで日本における社会民主主義(思想)は国際冷戦の図式に引き摺られ、過小評価されてきたが、新自由主義的なグローバリゼーションがもたらす弊害に対する代案としての社会民主主義に対する新たな関心に呼応しながら、しかも歴史的な文脈のなかで考察する議論が近年登場してきたことは興味深いといえよう。
酒井哲哉は、思想史的な観点から戦後革新における「民主社会主義」の再考を通じて「政権担当能力のある社会民主主義政党は、なぜ日本で育たないのか」という問いへのアプローチを試みている(「ワールドスコープ:民主社会主義 再考の価値」『読売新聞』2009年5月18日)。酒井によれば、昭和前期の社会政策学者・河合栄治郎にその知的系譜を遡ることができ、戦後になって社会党右派や民社党の思想的基盤となった民主社会主義に対する思想史上の評価はきわめて低い。それは、戦後知識人にとって民主社会主義が負の記号と捉えられ、また革新陣営が掲げるマルクス主義や平和主義と一線を画した反ソ・反共的な姿勢、対米協調関係の重視などに起因し、国際冷戦を投影した保守と革新の二分法的な対立構図で叙述されがちな戦後政治史の見方に立つ限り、民主社会主義を適切に位置づけることを困難にしている。
社会民主主義の位置づけの難しさは、別の論考で論じられているように、戦間期の国際秩序論を視野に入れることによってより明確になる(「社会民主主義は国境を越えるか?──国際関係思想史における社会民主主義再考」『思想』1020号, 2009年)。すなわち蝋山政道や矢内原忠雄らの越境的な福祉への関心に内在する「帝国再編の磁場にあったがゆえに生じた垂直的制御への志向性」(141頁)が、東亜協同体論などの地域主義構想に見え隠れし、「国際関係思想における社会民主主義は、水平的連帯と垂直的制御が諧和する場において、その福祉関心を強権によって具現化することになった」(142-143頁)。そして戦間期の秩序論が孕んでいた越境的(・グローバル)な契機の二重性は、戦後日本における社会民主主義の位置づけや評価にある種の「ねじれ」をもたらすことになる。すなわち河合栄治郎の薫陶を受けた「民主社会主義者」が唱えた近代化論に見られるように、機能的統合論や地域主義構想などの社会民主主義的な秩序論は、「戦後日本においては『保守』の言説とみなされ」た(144頁)。また「講和以後の社会党の統治政党から抵抗政党への転換」が「本来社会民主主義政党に包含されて然るべき要素を、意図せずしてしめだ」したことも「民主社会主義」の位置づけや評価を曖昧なものにしたといえる(「国際関係思想における社会民主主義――戦後日本政治に対するその含意」山口二郎・石川真澄編『日本社会党――戦後革新の思想と行動』日本経済評論社、2003年: 41頁)。
一方、戦後日本政治において社会民主主義の可能性がまったく排除されていたわけではなかったことを労働政治の領野に焦点を当てて明らかにしたのが中北浩爾『日本労働政治の国際関係史 1945-1964――社会民主主義という選択肢』(岩波書店, 2008年)である。権力政治上の対立とイデオロギー上の対立が絡み合う冷戦の特質は、自由主義陣営の内部の労働組合を「『鉄のカーテン』と並ぶ、冷戦のもう1つの前線」(5頁)として浮上させたが、中北は、これまで左派の総評と右派の全労との対立と叙述されてきた戦後日本の労働政治において、「西側指向で生産性の向上に協力しながらも、労働者の生活水準の改善を強力に推し進める戦闘的で統一的な労働組合のナショナル・センターを支持し、その登場を後押しする」(12頁)社会民主主義的な外圧がアメリカをはじめとする各国および労働組合から加えられたと指摘する。そしてアメリカの対日労働外交の射程は、「西側指向で統一的な労働組合」を「基盤とする政権担当可能な社会民主主義政党の結成」(359頁)にまで及んでいたことや、「アメリカ政府は、自民党政権以外の選択肢を否定したわけではなかったし、労働組合に対しても必ずしも敵対的ではなかった。アメリカが拒否したのは、あくまでも共産主義や中立主義であり、西側陣営を指向する西欧的な社会民主主義は、アメリカの冷戦政策が許容する範囲に入っていた」(359頁)といった指摘は、従来の戦後日本政治史像に対する重要な問題提起となっている。加えて中北は、戦後世界における労働組合運動の展開を辿る試みを敷衍して、「貧富の格差の拡大など世界中で深刻な問題を発生させているグローバル資本主義に対抗する鍵は、公正なグローバリゼーションを目指す国際的な労働組合運動と先進国の政府のイニシアティヴに存在する」(363頁)という今日の世界への含意を導き、グローバルな社会民主主義という可能性を示唆している。
たしかに実際の戦後政治の展開において、社会民主主義を一方の結集軸とする政党政治の確立、およびそれに基づく政権交代の可能性は皆無であり、自民党による一党優位体制が長期にわたって続くことになった。それゆえに社会民主主義という選択肢は「歴史のイフ」に属する問題かもしれないが、酒井や中北が社会民主主義に改めて注目する理由の一端には、1970年代以降の政治経済を規定する思想である新自由主義に依拠した経済政策の弊害、そして社会的不平等や貧困の是正や解消に際して社会民主主義の系譜に連なる理念や政策が有益な知見を提供してくれるという今日的な関心に基づくものであることは明らかである。酒井が指摘するように、民主社会主義の知的水脈が、19世紀後半に自由放任主義を批判し、「新しい自由主義 New Liberalism」を提唱したT・H・グリーンの思想に遡ることができることは、19世紀から20世紀にかけての世紀転換期の国際関係史と現代との共通点を浮かび上がらせるとともに、現代のグローバリゼーション理解に纏わりつく視野狭窄に陥る危険性を回避することにもつながっていく。
社会党の抵抗政党化と自民党の包括政党化に基づく55年体制は、理念の軽視された時代でもあった。社会党は実現可能性の乏しい理念を振りかざすことに満足する一方で、自民党は政権維持のため、ときに相矛盾する理念までも採り入れることに躊躇しなかった意味で、そこに理念の過剰もしくは過少しか見出すことができず、理念と利害の適切なバランスに依拠した政治が存在したとはいえない。小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」まではいかずとも、新自由主義を自民党の理念に据えたことは、その理念の是非をめぐっては議論の分かれるところではあるが、自民党の変容を意味しているといえる。そして自民党が新自由主義に親和的であるというイメージは、対抗軸としての社会民主主義の価値を高める効果を発揮した。たしかに構造改革路線の弊害と2007年参院選の大敗が、自民党に軌道修正を迫り、また先述したように民主党もはっきりと社会民主主義路線に舵を切ったわけではない。しかし「理念を持った責任政党」(酒井「民主社会主義…」)による政治、そして政権交代の実現が政治の健全な在り様だとすれば、社会民主主義の理念を掲げる政党が一定の力を有することは望ましいことであろう。
しかしながら、民主党への支持は、民主党の政策に対してというよりもむしろ「自民党ではない」、あるいは「自民党よりもまし」という消極的理由に拠るところが大きいし、それが「政権担当能力」というお決まりの批判が説得力をもって受け止められる要因にもなっている。しかも結党過程から明らかなように、民主党は、出自を異にする多様な政策グループを抱え、防衛・安全保障政策に関しても、また経済および社会政策の分野においても、党内の意見が集約されているとは必ずしもいえない。そのため、一部には自民党以上に「タカ派」で「新自由主義」的な匂いを漂わせている。民主党の政策的不透明性は、自民党に対抗する政策上の結集軸として福祉などに象徴される社会民主主義的な理念に基づいた中道左派政党に期待する者にとって不安材料となっている。
一方で社会民主主義についてのイメージは依然として旧来の大きな政府と結びつけられ、グローバル資本主義の圧力への対応力に欠けている印象を与える。とりわけ日本の場合、自民党と対峙する政党を支える政策理念を社会民主主義に見出し、政策距離の違いがほとんど存在しない2つの保守政党ではなく、政策上の対立軸に沿って結晶化した保守政党と社民政党による政権交代を想定する議論や試みは、1990年代を通して、大きな挫折感を味わってきた(たとえば、山口二郎『ポスト戦後政治への対抗軸』岩波書店, 2007年: 1章参照)。自衛隊や日米安保条約の容認といった政策転換にもかかわらず、抵抗政党という旧来のイメージを払拭することができず、支持を急速に失っていた社会党の動向は、同時代にあって、党改革を断行し、強力な指導力を発揮する党首に率いられたイギリス労働党やドイツ社会民主党が政権を獲得したヨーロッパの状況と比較対照されることによって、日本政治において社会民主主義勢力の低迷を物語っている。
「左派の蹉跌」を経て、21世紀に入り、日本政治は小泉政権の誕生とともに新自由主義的色彩を強めたわけであるが、小泉政権の構造改革路線に起因する問題が次第に現出するにつれて、貧困や格差などの経済社会問題に対する有効な処方箋の根底に看取できるのが社会民主主義的な理念であることを考えたとき、社会民主主義を政策理念として掲げる政党が支持を獲得するだけの下地は十分に存在するといえるだろう。以上の点を念頭に置くならば、これまで日本における社会民主主義(思想)は国際冷戦の図式に引き摺られ、過小評価されてきたが、新自由主義的なグローバリゼーションがもたらす弊害に対する代案としての社会民主主義に対する新たな関心に呼応しながら、しかも歴史的な文脈のなかで考察する議論が近年登場してきたことは興味深いといえよう。
酒井哲哉は、思想史的な観点から戦後革新における「民主社会主義」の再考を通じて「政権担当能力のある社会民主主義政党は、なぜ日本で育たないのか」という問いへのアプローチを試みている(「ワールドスコープ:民主社会主義 再考の価値」『読売新聞』2009年5月18日)。酒井によれば、昭和前期の社会政策学者・河合栄治郎にその知的系譜を遡ることができ、戦後になって社会党右派や民社党の思想的基盤となった民主社会主義に対する思想史上の評価はきわめて低い。それは、戦後知識人にとって民主社会主義が負の記号と捉えられ、また革新陣営が掲げるマルクス主義や平和主義と一線を画した反ソ・反共的な姿勢、対米協調関係の重視などに起因し、国際冷戦を投影した保守と革新の二分法的な対立構図で叙述されがちな戦後政治史の見方に立つ限り、民主社会主義を適切に位置づけることを困難にしている。
社会民主主義の位置づけの難しさは、別の論考で論じられているように、戦間期の国際秩序論を視野に入れることによってより明確になる(「社会民主主義は国境を越えるか?──国際関係思想史における社会民主主義再考」『思想』1020号, 2009年)。すなわち蝋山政道や矢内原忠雄らの越境的な福祉への関心に内在する「帝国再編の磁場にあったがゆえに生じた垂直的制御への志向性」(141頁)が、東亜協同体論などの地域主義構想に見え隠れし、「国際関係思想における社会民主主義は、水平的連帯と垂直的制御が諧和する場において、その福祉関心を強権によって具現化することになった」(142-143頁)。そして戦間期の秩序論が孕んでいた越境的(・グローバル)な契機の二重性は、戦後日本における社会民主主義の位置づけや評価にある種の「ねじれ」をもたらすことになる。すなわち河合栄治郎の薫陶を受けた「民主社会主義者」が唱えた近代化論に見られるように、機能的統合論や地域主義構想などの社会民主主義的な秩序論は、「戦後日本においては『保守』の言説とみなされ」た(144頁)。また「講和以後の社会党の統治政党から抵抗政党への転換」が「本来社会民主主義政党に包含されて然るべき要素を、意図せずしてしめだ」したことも「民主社会主義」の位置づけや評価を曖昧なものにしたといえる(「国際関係思想における社会民主主義――戦後日本政治に対するその含意」山口二郎・石川真澄編『日本社会党――戦後革新の思想と行動』日本経済評論社、2003年: 41頁)。
一方、戦後日本政治において社会民主主義の可能性がまったく排除されていたわけではなかったことを労働政治の領野に焦点を当てて明らかにしたのが中北浩爾『日本労働政治の国際関係史 1945-1964――社会民主主義という選択肢』(岩波書店, 2008年)である。権力政治上の対立とイデオロギー上の対立が絡み合う冷戦の特質は、自由主義陣営の内部の労働組合を「『鉄のカーテン』と並ぶ、冷戦のもう1つの前線」(5頁)として浮上させたが、中北は、これまで左派の総評と右派の全労との対立と叙述されてきた戦後日本の労働政治において、「西側指向で生産性の向上に協力しながらも、労働者の生活水準の改善を強力に推し進める戦闘的で統一的な労働組合のナショナル・センターを支持し、その登場を後押しする」(12頁)社会民主主義的な外圧がアメリカをはじめとする各国および労働組合から加えられたと指摘する。そしてアメリカの対日労働外交の射程は、「西側指向で統一的な労働組合」を「基盤とする政権担当可能な社会民主主義政党の結成」(359頁)にまで及んでいたことや、「アメリカ政府は、自民党政権以外の選択肢を否定したわけではなかったし、労働組合に対しても必ずしも敵対的ではなかった。アメリカが拒否したのは、あくまでも共産主義や中立主義であり、西側陣営を指向する西欧的な社会民主主義は、アメリカの冷戦政策が許容する範囲に入っていた」(359頁)といった指摘は、従来の戦後日本政治史像に対する重要な問題提起となっている。加えて中北は、戦後世界における労働組合運動の展開を辿る試みを敷衍して、「貧富の格差の拡大など世界中で深刻な問題を発生させているグローバル資本主義に対抗する鍵は、公正なグローバリゼーションを目指す国際的な労働組合運動と先進国の政府のイニシアティヴに存在する」(363頁)という今日の世界への含意を導き、グローバルな社会民主主義という可能性を示唆している。
たしかに実際の戦後政治の展開において、社会民主主義を一方の結集軸とする政党政治の確立、およびそれに基づく政権交代の可能性は皆無であり、自民党による一党優位体制が長期にわたって続くことになった。それゆえに社会民主主義という選択肢は「歴史のイフ」に属する問題かもしれないが、酒井や中北が社会民主主義に改めて注目する理由の一端には、1970年代以降の政治経済を規定する思想である新自由主義に依拠した経済政策の弊害、そして社会的不平等や貧困の是正や解消に際して社会民主主義の系譜に連なる理念や政策が有益な知見を提供してくれるという今日的な関心に基づくものであることは明らかである。酒井が指摘するように、民主社会主義の知的水脈が、19世紀後半に自由放任主義を批判し、「新しい自由主義 New Liberalism」を提唱したT・H・グリーンの思想に遡ることができることは、19世紀から20世紀にかけての世紀転換期の国際関係史と現代との共通点を浮かび上がらせるとともに、現代のグローバリゼーション理解に纏わりつく視野狭窄に陥る危険性を回避することにもつながっていく。
社会党の抵抗政党化と自民党の包括政党化に基づく55年体制は、理念の軽視された時代でもあった。社会党は実現可能性の乏しい理念を振りかざすことに満足する一方で、自民党は政権維持のため、ときに相矛盾する理念までも採り入れることに躊躇しなかった意味で、そこに理念の過剰もしくは過少しか見出すことができず、理念と利害の適切なバランスに依拠した政治が存在したとはいえない。小泉純一郎が「自民党をぶっ壊す」まではいかずとも、新自由主義を自民党の理念に据えたことは、その理念の是非をめぐっては議論の分かれるところではあるが、自民党の変容を意味しているといえる。そして自民党が新自由主義に親和的であるというイメージは、対抗軸としての社会民主主義の価値を高める効果を発揮した。たしかに構造改革路線の弊害と2007年参院選の大敗が、自民党に軌道修正を迫り、また先述したように民主党もはっきりと社会民主主義路線に舵を切ったわけではない。しかし「理念を持った責任政党」(酒井「民主社会主義…」)による政治、そして政権交代の実現が政治の健全な在り様だとすれば、社会民主主義の理念を掲げる政党が一定の力を有することは望ましいことであろう。