○吉見俊哉、テッサ・モーリス-スズキ『天皇とアメリカ』(集英社新書) 集英社 2010.2
「天皇こそ近代であり、アメリカこそ宗教である」という逆説を掲げ、日本のみならず、東アジアの近現代史に深い影を落とす「天皇=日本的なもの」と「帝国・アメリカ」を語る。こう要約すると、抽象的で分かりにくそうだが、議論は、つねに歴史的事実を参照しながら、具体的に進む。
冒頭「近代」では、明治に始まる近代天皇制が、過去の伝統とは別の、「近代産業システムに向けての合理化戦略」「国民国家と初期産業システムの駆動軸」として構築されたことを示す。そのような近代化装置は、ヨーロッパやアメリカがそうだったように日本でも、儀礼や宗教性を上手に取り込んで成立した。
続く「現代」では、敗戦・占領期における、アメリカと日本(天皇)の関係を考える。アメリカの支配は、被統治国のナショナリズムを積極的に育てることを通じて、支配体制を世界化するという屈折をずっと持っている。アメリカの政策が日本で成功した理由は「天皇がいたから」だ。アジアの他の国々では、独裁政権をつくらなければならず(李承晩、朴正煕、蒋介石、マルコス、スハルトなど)、日本ほどには成功しなかった。独裁者たちが(天皇と違って)「政治的実体」である以上、ある期間を経ると、アメリカとの関係悪化を招いてしまうためである。
テッサさんによれば、ライシャワーのメモランダムには、天皇はアメリカの占領政策にとって「ベスト・ポッシブル」傀儡になる、と書かれている由。すごいなあ、この身もフタもなさ。以後、日本は、「帝国・アメリカ」に寄り添うナショナリズム=天皇に象徴されるもの=自民党的なものの支配の下で、戦後の高度成長社会を築いてきた。
そして「現在」。アメリカは、オバマの登場によって、新しい方向を模索している。著者たちは、アメリカの人々が「あるべきアメリカ」に寄せる期待の「宗教的なエンパワーメントの仕組み」の両義性を慎重に指摘しつつ、日本が、そうしたポジティブな信仰を持ちにくい歴史的構造にあることを憂う。それでは「もうひとつの日本」の可能性はどこにあるのか。たとえば、ローカルな地域で活動する、草の根の実践家にその可能性はあるか。宗教の力は。もしも共和制を導入(天皇制の廃止)したら…。
著者たちは、無責任に大風呂敷な言辞を弄することなく、真摯に答えを探し続ける。その結果は、下記のように、全く地味な結論に帰着する。
テッサ:大切なのは、その「少し」を積み重ねていくことなのです。
吉見:まったくですね。
吉見氏は、アメリカへの依存に対するオルタナティブは「東アジアの連帯」にあると考えている(ように見える)。しかし、日本、中国、韓国、台湾といった全く実情の異なる国々が、同一の価値を志向し、政治や社会体制の面で協働することはなかなか難しい。そうであれば、「この社会の世俗的で日常的なもの自体のなかから」消費文化、メディア、教育、スポーツ、アートなど、共有できる具体的な価値を拡大していくことが、最も現実的な実践なのではないか、と提言する。つまり、消費文化の欲望に基づく、韓流ドラマへの熱狂や、華流タレントへの注目も、実は、次のオルタナティブの土壌をつくっている(かもしれない)のだ。この結論は、少し楽天的かもしれないけど、私は同意する。
最後の「エピローグ」には、吉見俊哉氏と朝鮮半島の個人的な縁故が語られている。同氏の母は、終戦時、京城(ソウル)に暮らしており、1945年の夏、わずか15歳で、2歳上の兄とふたりで日本に引き揚げたという(釜山の波止場で数日間野宿しながら)。吉見氏の著作を比較的よく読んできた私にも、初めて聞く話で、感慨深かった。自分では意識していなくても、一世代かニ世代さかのぼったら、「東アジア」地域と広汎なかかわりを持つ日本人は、今でもずいぶん多いだろうと思った。
また、テッサさんの「プロローグ」によれば、この対談は5年にわたり、あるときはオーストラリアで、あるときは吹雪の北イングランドで、また集英社の会議室や下北沢のイベント会場の片隅で、続けられたという。「大学」の壁を飛び出したところで、学問の実践を続けるおふたりらしくて、印象的だった。