○路上観察学会『昭和の東京:路上観察者の記録』 ビジネス社 2009.2
赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊、林丈二、松田哲夫の「路上観察学会五人衆」が、1986年3月~87年3月、東京二十三区で行った六次の調査で発見された物件を収録している。確かに、ちょうど昭和末年に当たる。
「あとがき」に赤瀬川さんが書いているとおり、当時はデジカメなんて影も形もなく、ピントを手で合わせるカメラが主流だった。オートフォーカス機能が普及して「みんなの写真は格段によくなった」という。なるほど、ときどき、いかにも素人が家庭用カメラで撮影と分かる、のっぺりした写真が混じり、昭和の風情を感じさせる。
けれども被写体に関していえば、私の知っている「昭和」(1960~70年代)の記憶を呼び覚ますものはそれほど多くない。アール・デコやロマネスクふうの洋館、しっくいや銅板の装飾などは、もっと遠い過去につながっているし、こんな風景が日本にあったのか?!と驚くような珍物件もあるし、植物ワイパーや雨樋のくねりかたに美を見出す感覚は現代美術的だし…。要するに「どこでもない、いつでもない」楽しい風景が、本書には集められている。
それでも著者たちによれば、こうした風景の多くはバブルを境に東京から消えてしまったそうだから、「昭和の東京」というタイトルも、あながち嘘ではないのかもしれない。「取り壊された」「廃業した」「今はもうない」と説明されているのはさびしく、たまに「今でも人が住んでいる」などとあると嬉しい。「江戸東京たてもの園に移築された」は微妙。むしろニワトリ小屋になったテレビや、植木鉢となった用水桶みたいな「余生の送り方」が好ましいように思う。
赤瀬川原平、藤森照信、南伸坊、林丈二、松田哲夫の「路上観察学会五人衆」が、1986年3月~87年3月、東京二十三区で行った六次の調査で発見された物件を収録している。確かに、ちょうど昭和末年に当たる。
「あとがき」に赤瀬川さんが書いているとおり、当時はデジカメなんて影も形もなく、ピントを手で合わせるカメラが主流だった。オートフォーカス機能が普及して「みんなの写真は格段によくなった」という。なるほど、ときどき、いかにも素人が家庭用カメラで撮影と分かる、のっぺりした写真が混じり、昭和の風情を感じさせる。
けれども被写体に関していえば、私の知っている「昭和」(1960~70年代)の記憶を呼び覚ますものはそれほど多くない。アール・デコやロマネスクふうの洋館、しっくいや銅板の装飾などは、もっと遠い過去につながっているし、こんな風景が日本にあったのか?!と驚くような珍物件もあるし、植物ワイパーや雨樋のくねりかたに美を見出す感覚は現代美術的だし…。要するに「どこでもない、いつでもない」楽しい風景が、本書には集められている。
それでも著者たちによれば、こうした風景の多くはバブルを境に東京から消えてしまったそうだから、「昭和の東京」というタイトルも、あながち嘘ではないのかもしれない。「取り壊された」「廃業した」「今はもうない」と説明されているのはさびしく、たまに「今でも人が住んでいる」などとあると嬉しい。「江戸東京たてもの園に移築された」は微妙。むしろニワトリ小屋になったテレビや、植木鉢となった用水桶みたいな「余生の送り方」が好ましいように思う。